みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

毎日がミュージカル

2016-02-19 09:22:39 | Weblog

私は、なんでも歌にするクセがある。

このクセ、今に始まったことではなく、多分若い頃から「気がついたらそうなっていた」という感じ。

だから、家の中で一人ミュージカルをやっているようだと感じる時もある(そういう人も世の中にはけっこういるかもしれない)。

もちろん、歌うのは私だけで恵子は絶対に歌わない(彼女も歌ったら本気でミュージカルになってしまうので、これもちょっとヤバい)。

恵子が「郵便屋さん来たよ。見てきて」と言えば(彼女は車椅子なのですぐには見に行けない)「ゆうびんやさん、ゆうびんやさん、もう来たの?…」なんて勝手な歌詞を即興で作り、歌いながらいそいそと郵便受けをチェックしに行く。

メロディもほとんど即興だけれども、その時の気分で(というか、即興で作った歌詞の語呂で)既存の曲の替え歌になったりする時もある(童謡や歌謡曲、ポップスだけでなく、自分が練習してきたクラシックのフレーズだったりする時もあるから恐ろしい)。

でも、たいていは私が子供番組をやっていた時に作ったような簡単なフレーズで歌うのでひょっとしたら子供には受けるかもしれない(笑)。

これは、もう一種のクセなので「気がつくと(無意識に)やっている」としか言いようがない。

洗濯物を洗濯機に入れる時もそうだし、台所で野菜の皮をむいたり切ったりしている時も何かしら口ずさんでいる(別にハナ歌を普通に歌っているわけではなく、自分がしている行為を歌にしているのだから「ミュージカル」、なのだ)。

(人が見たら)さぞ楽しそうにも見えるかもしれないが、これを近くでいつもやられている相手にとってはけっこう「ウルサイ」はずだ(迷惑かも?)。

もちろん聞かされる相手は恵子だけで、誰か他に人がいる時にやったことはない(ということは、完全に無意識というわけでもないようダ…)。

恵子が病気になる前は、時に「うるさいからヤメなよ」と言われた(まあ、あまり文句を言うタイプの人ではないのだが)。

でも、病気になってからは(彼女のテンションがちょっと落ちたせいか)あまり叱られることもない。

(無反応というのも)ちょっと寂しいナ… と思い、「歌だけじゃあ受けないんだったら…」と最近は踊りも加えるようになってきた(別に受けようと思ってやっているわけではないのだが)。

とはいっても、そんなにダンスに自信があるわけではないので、他人から見るときっと滑稽なパフォーマンスに見えるはず。

というか、わざとこっけいなフリをつけている時もある。

さすがに恵子も「なにやってんのよ」と笑う。

 

彼女のリハビリ訓練のためにいろいろなリズムパターンで歩く練習や手を動かす訓練をしている時も意図的に歌う(こちらは、「1、2、1、2」といった単なるリズムパターンにフレーズをつけて歌っているだけなのだが)。

病院やいろいろな場所で療法士さんたちのリハビリ訓練を数限りなく見てきたが、ほとんどの療法士さんたちも患者さんのためにリズムだけは取っているものの、歌っている人を見たことがない(「歌えば良いのに」といつも思うが…そういう療法士さんが実際いないのはナゼ?)。

恵子のリハビリの日課の一つとして「足湯」訓練を行っている。

夜、彼女の就寝前、彼女が風呂場に行くのではなく、私が風呂場から温泉を大きな容器にためてベッド脇まで持っていく(うちのお風呂は温泉を引いている)。

彼女の足をほぐして動きを促すリハビリなので、「グー,チョキ、パー、ホイ」とか言って彼女が足の指をリズミカルに開けるようこれまた即興のリハビリソングを歌う。

 

毎日がけっこう「ミュージカル」(なのダ)。


医者の資質

2016-02-07 14:18:28 | Weblog

恵子が病気になってからいろいろな病院でいろいろな医師のお世話になってきた。

そして、今もお世話になっている。

しかし、最初に運び込まれた急性期病院で医師から浴びせられた「上から目線」は今も忘れられない。

大きな病院の医師ほどきっとそうなのだろう。

次に移った回復期病院では、医師自らが恵子の前で跪き「同じ目線」を実践してくれた。

その姿を見て、患者の恵子と一緒に「こんなお医者さんもいるんダ」と安堵した。

そうした長期の入院生活を終えて自宅でリハビリ生活に入り彼女も社会に復帰しようと張り切っていた矢先の一昨年の春の大腿骨骨折。

ある意味、魔が差したような一瞬だった。

再入院を余儀なくされた。

それでも、再び頑張って回復しなければと思っていたにもかかわらず彼女の気持は次第に萎えていった(今もまだそれは回復していない)。

またしても、医師の不用意な態度とことばだった(恵子はこの医師の診察を受けるたびにどんどん暗く落ち込んでいった)。

若い療法士たちとはこれ以上の出会いはないほど「ウマがあい」、さあこれから頑張るゾという気持をナゼに医師自らが水をささなければいけないのか(実際、リハビリ訓練ではどんどん回復していたのに…)。

一時は、この医師を何とか法的に訴える手段はないものかとも考えたが、そんな「立証不可能」な事例で医者と争ってみても、こちらの人生の貴重な時間が無駄になるだけだ。

とにかく前に向って歩いていかなければと頑張ってはいるものの、彼女の気持はなかなか上向いてくれない。

きっと彼女の気持の中で何か大事なものが失われてしまったのかもしれない。

私にとって理想的とも言える医師の姿を描いた映画『パッチアダムス』の中で主人公パッチアダムスが医師を目指して医学部で勉強を始めた時に彼の気持に冷水を浴びせたのが医学部長のことばだった。

「患者に必要なのは友達ではなく医者だ(つまり、医者は患者と友達になる必要はないと、このお偉いさんは言っているのだ」。

違う。絶対に違う。

本来「病気」を治すのは医者でもなく薬でもなく、患者本人だと私は思っている。

患者の中に「治る」意志がない限り、医者もクスリも効果はない。

パッチアダムスは、そのことがわかっているから「患者と友達になる医者」を目指そうとして実際にそれを実践できるクリニックを作ってしまう(そういう実話をもとにした映画だ)。

すべてのお医者さんがこの映画を見たところで何も変わらないとは思うが、この世の中、お医者さんがあまりにも「エラ過ぎる」ような気がしてならない。

専門的な知識があるから?

高度な医療技術があるから?

試験が難しいから?

単純に、医療スタッフの中でも、下から事務職、ヘルパー、療法士、看護士、医者といった序列は歴然としてあるし、介護施設の中だって、介護士より看護士の地位の方が上だ(入居者の人が急病になっても、介護士は自分の意志で救急車を呼べない。まず看護士か医師の判断を仰がなければならない)。

つまり、世の中にはそうした「序列」というものがあり、命令系統が暗黙のうちに決まっているわけで、それを乱したり逆らったりすることは許されない。

しかし、パッチアダムスはそれに公然と逆らい、すべての人たちと「同じ目線」でつきあおうとする。

私からすると「そんなこと当たり前じゃん」と思えるのだが、世の中というのは、そういう「同じ目線」をけっして許そうとはしない。

例えば、2年や3年の勉強で免許が取れる資格と7年も8年も勉強しなければ資格が取れないものが「同じ地位であって良いはずがない」と考える人のなんと多いことか。

だから、療法士さんや看護士さんは常に医師の下にいなければならない。

しかし、恵子にとっての最高、最良の「友人」は療法士さんだ。

けっして医師ではない。

看護士さんやヘルパーさんも「友人」ダ。

でも、恵子の友人となってくれる医師なんかどこにもいない。

私は、恵子と結婚する前もした後も、「夫婦」とか「夫」とか「妻」といった意識を持ったことはほとんどない。

常に「友人」だったし、今も彼女の「ベストフレンド」のつもりだ。

だからこそ、何を置いても彼女を回復させなければ、一日も早く彼女自身が前向きに明るく生きられるような環境や家庭を作らなければと一生懸命になっている。

9月に彼女の「作品展」を地元の伊豆高原でやる。

私の「友人」がこの展示会の場所を紹介してくれた。

私の気持を汲んでくれたのだ(友人というのは本当にありがたいもの)。

伊豆高原の駅から徒歩でもすぐに行かれるような観光施設の一つに小さなギャラリーが併設されている。

その会場で、恵子の作品を9月の一ヶ月間展示、そして販売も行う(ついでに、私と友人たちが演奏するような音楽イベントも行おうと思っている)。

彼女にしてみれば、病気になる前は何度も展示会を行っていたし、自分の作品を幾つかのお店で常設/委託販売してもらっていた。

そんな彼女の仕事が病気で完全に中断されてしまったのだが、彼女自身が自分でそういう「彼女自身の道」をまた切り開いていってくれるお手伝いをするのがベストフレンドである私の役目なのではないのか。

病気以前の作品も、以後の作品も両方展示しようと彼女は今張り切って創作を始めている。

人の心と対話するのが「音楽」だと私は思っている。

だからこそ、いろんな形で「病む」人たちにも「癒し」を届けられるのだと思う。

けっして、「音楽療法はこうあるべき」といったマニュアル(方法論)が人を癒すのではない。

一人一人の「病む」人たちにそれぞれに合った「心の癒し」を届けられるような「箱(それこそパッチアダムスが作ったようなクリニックのような場所)」が作れたらナといつも思っている。

今あるデイケアのような子供だましの場所ではなく(そこで一生懸命働いている人たちには本当に悪いのだが、現在のデイケアのシステムは介護する人たちの時間的負担を軽減するだけの意味しか持っていないところが多い)、音楽家やピエロ、コメディアン、ダンサー、保育士、カウンセラー、介護士、看護士、療法士さんなどの「プロ」の人たちが「病んだ人たち」に常に心のケアをしてあげられるような「夢のような」場所が作れないのかナといつも考えている。

西洋医学と代替医療がぶつかりあうのではなく、「同じ目線」で混在できる時代が来てくれたらとも思っている(少しずつベクトルはそちらに向っているような気もするが)。

「患者に必要なのは医師でもクスリでもなく、まず友達だ」と心から思ってくれる医師がこの世の中に一体どれだけいるのかナ。