もうそろそろ昨年9月2日の恵子の脳卒中の発症から数えて丸5ヶ月になる。
半年近い月日が過ぎて退院のタイミングとその後のリハビリのプランニングを病院とも相談し始めている。
現在の日本の医療システムでは回復期の病院にはマックスで半年しか入院していられないことになっている(本当はもっと早く出なければならない人たちもいる)。
今のリハビリ病院に転院したのが10月半ばだからその最終期限は4月の半ばということになる。
その日が来れば自動的に病院から追い出されてしまう。
ということは、そろそろ「退院」という二文字を真剣に考えないといけない状況にあるということだ(その時点で患者や家族の満足の行く結果があるにせよないにせよダ)。
当初は退院後、東京でしばらくリハビリを続け、その後に伊東の自宅に二人で戻ろうと計画していたが、退院後東京にはあまり長居はせずすぐに伊東の方に戻るという方向に今は考えを変えている。
リハビリ環境にどちらが良いかという天秤なのだが、病院の数や施設、医師、療法士の数といったものは東京の方が多いに決まっている。
伊東市にも伊豆全体的に見てもそれほど多くの施設も専門家の数も揃ってはいない。
しかしながら精神的なストレスを考えると伊豆のノンビリした環境の方が恵子のリハビリには圧倒的に良いのでは?と思えてきたからだ(やたら階段の多い東京の環境は身体の不自由な人間にはとても暮らしにくい環境だ)
それに、東京での暮らしには老人(恵子の叔母)との同居というストレスもある。
これは生半可なストレスではない。
ある意味、これは私は人生で初めてのストレス体験なのでは?と思えるほどのものだ(恵子もそうだったが、私もこれまで何度キレそうになったことか)。
音楽というものを生業にして何十年も過ごしてきた私だが、経済的な不安定さは私には全くストレスではなかった。
最初から「音楽で安定した収入なんて望んでもいなかった」ことなので、ある意味、「お金なんかどうでもよかった」。
むしろ、音楽を職業にできる楽しさ、嬉しさの方が勝っていたからだ。
そして、今回の恵子の病気もいろいろな意味で私のやることは突然増えてしまったわけだけだが、そんなこともどうでもいいと思っている。
恵子という最愛の人間を助けてあげられる喜びの方が勝っているからだ。
しかし、それとはまったく違う義叔母との生活には、私の精神にはちょっと御しがたい負担が大きい。
二人で伊豆の家からいつも眺めていた夕陽の光景を今日彼女は描いてくれたが、まさしくこんな光景が二人には今一番欲しいものの一つなのだ(彼女も「この絵は気合いをいれて描いた」と言っていた)。
それこそ「里心」なのかもしれない。
半年近い月日が過ぎて退院のタイミングとその後のリハビリのプランニングを病院とも相談し始めている。
現在の日本の医療システムでは回復期の病院にはマックスで半年しか入院していられないことになっている(本当はもっと早く出なければならない人たちもいる)。
今のリハビリ病院に転院したのが10月半ばだからその最終期限は4月の半ばということになる。
その日が来れば自動的に病院から追い出されてしまう。
ということは、そろそろ「退院」という二文字を真剣に考えないといけない状況にあるということだ(その時点で患者や家族の満足の行く結果があるにせよないにせよダ)。
当初は退院後、東京でしばらくリハビリを続け、その後に伊東の自宅に二人で戻ろうと計画していたが、退院後東京にはあまり長居はせずすぐに伊東の方に戻るという方向に今は考えを変えている。
リハビリ環境にどちらが良いかという天秤なのだが、病院の数や施設、医師、療法士の数といったものは東京の方が多いに決まっている。
伊東市にも伊豆全体的に見てもそれほど多くの施設も専門家の数も揃ってはいない。
しかしながら精神的なストレスを考えると伊豆のノンビリした環境の方が恵子のリハビリには圧倒的に良いのでは?と思えてきたからだ(やたら階段の多い東京の環境は身体の不自由な人間にはとても暮らしにくい環境だ)
それに、東京での暮らしには老人(恵子の叔母)との同居というストレスもある。
これは生半可なストレスではない。
ある意味、これは私は人生で初めてのストレス体験なのでは?と思えるほどのものだ(恵子もそうだったが、私もこれまで何度キレそうになったことか)。
音楽というものを生業にして何十年も過ごしてきた私だが、経済的な不安定さは私には全くストレスではなかった。
最初から「音楽で安定した収入なんて望んでもいなかった」ことなので、ある意味、「お金なんかどうでもよかった」。
むしろ、音楽を職業にできる楽しさ、嬉しさの方が勝っていたからだ。
そして、今回の恵子の病気もいろいろな意味で私のやることは突然増えてしまったわけだけだが、そんなこともどうでもいいと思っている。
恵子という最愛の人間を助けてあげられる喜びの方が勝っているからだ。
しかし、それとはまったく違う義叔母との生活には、私の精神にはちょっと御しがたい負担が大きい。
二人で伊豆の家からいつも眺めていた夕陽の光景を今日彼女は描いてくれたが、まさしくこんな光景が二人には今一番欲しいものの一つなのだ(彼女も「この絵は気合いをいれて描いた」と言っていた)。
それこそ「里心」なのかもしれない。