みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

人が人のことを理解する

2012-07-19 21:13:09 | Weblog
ことほど難しいものはない。
人の「理解」というのは知識の積み重ねから導きだされるものと、「体験、経験」値からしか導きだされないものの二種類あるような気がしてならない。
特に、恵子が病気で倒れて以来ひたすら回復を目指してリハビリ生活を送るようになってからは、なおさらこのことが切実に感じられるようになってきた。
昨日、久しぶりの友人と電話で話をした。
もう二十年来の友人なので、気心は知れているし、お互いの心情も状況もよく理解している。と思っていたが、実際はそうでもなかった。
彼から恵子の具合を聞かれリハビリの様子や現在の生活のことなどを話した。しかし、その後に彼が言った一言がちょっとショックだった。
「恵子さんは狛江にいるの?」
え?一瞬、耳を疑った。
私が伊豆の自宅にいて、彼女が狛江の実家にいるという離ればなれの状況が今も続いていると思っていたのだろうか。
私以外に彼女の面倒を見れる人が他にいるとでも思ったのだろうか。
彼女が病気を発症する前はたしかにそういう二重生活に近いようなことを続けていた。
なので、彼も、恵子が退院して自宅に二人で戻り私が彼女を介護する毎日という状況をきっと「想像できなかった」のだろうと思う。
杖で歩いているということで、老人のような生活を想像したのだろうか。
自分の家族の介護をしたことがあるとか、家族に病気の人がいるとかいう「実体験」がないと、人はなかなか自分とは違う状況に思いをはせることはできない生き物なのかもしれない。
私も、恵子が病気に倒れ、彼女の半身が麻痺して、その彼女の介護を毎日しなければならない状況を実際に体験するまで、それがどういうものでどれだけの時間とどれだけの労力が必要なのかといったことを想像することはできなかった。というよりも、想像しようとすらしていなかった。
二人とも、なんとなく「しばらく健康でこのままの生活を続けているだろう」という何の根拠もない安心感を持っていたからだ。
しかし、この「なにげない平穏な日常」がどこまで続くのかは誰にもわからない。
今日、次の瞬間この「日常」が途切れニッチもサッチもいかなくなってしまうかもしれない。
人は、それを実体験するまではその体験を理解することはできない。ましてや、人の家庭のこと、想定をはるかに越える病気のこと、麻痺のことなど、理解しろという方が無理なのだ。
ごく親しい友人に数年前に脳卒中を発症して現在は「ほぼ治って元気に仕事をしている」人がいる。
恵子が彼と同じ病気になった時、どれだけこの友人が頼りになったかわからない。
恵子が入院してからは、毎日のように彼に電話した。
私にとっては想定をはるかに越えた状況だったから、「それ」を実体験した人のことばほど有り難いものはなかった。
恵子が脳卒中に倒れたその日、医者から「完全には治りませんよ」と宣告された時の絶望感は今思い出しても辛い。
でも、人の一生には「絶望」と「希望」、「幸福」と「不幸」の間にはそれほど深い溝も高い壁もないことに気づくのもこれまた経験や体験でしか理解できない部分だ。
その状況を「不幸」だと思うのも「幸福」だと思うのも考え方次第。
そんなことはわかっているよ、と人も自分も思うけれども、それを本気でそう思えるようになるまでの「時間」は人によって違う。
この「時間」こそがおそらく人にとって最も大事な「体験値」なのではないかと思う。
脳卒中を克服した件の友人が発症から回復までの間に体験した「時間」は、それを体験した本人とそれを共有した家族(奥さん)にしかわからない。
今でも、彼は「ああ、それは奥さんの方がよく知ってるから奥さんに聞いて」と笑いながら私に言う。
他人は、単に「病気、良くなってヨカッタですね」と言うだけだが、そこに至るまでの「時間」は他人には絶対に共有できないものだ(特に、脳疾患患者の「その時間」は数年から数十年単位だ)。
でも、考えようによっては、それはけっして「不幸」な出来事ではなく、他の人が体験できなかったことを体験できたのだから、人よりもadvantageがあると思えばよいのではないのか。
私は、そう思うようにしている。
例えば、大変な難病や身体、精神に障害を持っている人の家族を他人は「大変だな」と同情の目で見るが、そういう障害と一緒に生きている人たちの中には、「いえ、障害を持っていても全然不幸じゃありませんよ。むしろ、幸せです」みたいな発言をする人が多い。
でも、私はそういうことばを聞くたびに「ウソだろう。家族に障害のある人がいて幸せなわけがないじゃないか。単なる強がりかエエかっこしいだろう」と思っていた。
しかし、自分の家族が障害者手帳をもらうりっぱな(?)障害者となった今、このことばの意味はよく理解できる。
人は健常者でいることだけで幸福になるわけではない。そんなことは当たり前のことだろう。
だとしたら、障害者だろうが、健常者だろうが、自分の状況を素直に受け入れてそこを出発点に考えるだけで「絶望」は簡単に「希望」に変わってくれる。
恵子が倒れた時私がその脳卒中の先輩から言われたのは「元通りにするという考え方は絶対に捨てた方がいいです。一つ一つまたゼロから覚え直していく。一度リセットされたものをどうやって成長させていくのか。逆に楽しみが増えるじゃないですか。楽器だって最初からできる人はいないんですよ。少しずつ覚えていくこと自体が楽器を習う楽しみなんじゃないですか」。
恵子のできることは、毎日少しずつ増えている。
それが本当に「楽しい」ことだと実感できるって、別に不幸なことでも何でもないんじゃないのかな。

エアギター

2012-07-11 19:22:25 | Weblog
なる遊びが登場した時「なに、こいつらアホなことやってるんだ」と正直思っていたし、その気持ちはずっとあったのだが、妻のリハビリで身体のメカニズムを研究したり介護施設とのコラボを通してお年寄りたちの身体の動きを見ていくうちに「待てよ。エアギターって私の思っていたこととはまったく違った意味を持っているのかもしれないな」と思うようになってきた。
単なる「演奏の真似」には違いないのだが、基本的には、あたかもギターを本当に弾いているように見せなければならない。
ということは、「本物の動き」を熟知していなければ「それらしくは見えない」ということになる。
この「動きを真似る」という能力は脳の発達過程にはとても大事な要素なのだ。
脳の研究書を読むと必ず出て来る「ミラーニューロン」ということば。
人やサルに特有の「模倣する」脳細胞のことだ。
これがあるからこそ、人は「進化」し「文明」を作ってきたとも言えるのだから、このエアギター、単なる「真似」ということばだけで片付けられない側面を持っている(ミラーニューロンの障害が自閉症を引き起こすという説を唱える人もいるのだから、逆もまた真なりだ)。

これが他の楽器だったらどうだろう。
例えば、「エアヴァイオリン」。
昔見たフランス映画に『愛を弾く女』というのがあった。
エマニュエル・ベアール主演の恋愛映画で、彼女はプロのヴァイオリン奏者の役。
その彼女をはさむレコーディング・プロデューサーとヴァイオリンの修理技師という二人の男性の間の三角関係がテーマの映画だった。
この映画で私が最も関心したのが、ベアールのヴァイオリンを弾く演技だ。
日本の俳優だったら、演奏の演技は遠いカメラから俯瞰の映像だったり、アップの手の演技だけは本職のスタントにやらせたりするのだが、この映画でのベアールのヴァイオリンの演技は最高だった。
「この人、ひょっとしたらヴァイオリン本当に弾けるんじゃないの」と思わせるまでの「完璧な模倣」だった。
指のポジションからボーイングから何から何まで、私は映画を見ながらずっと(弾けるのかな?と)「だまされ」続けていた。
きっと、相当練習したはずだ。
日本でも映画『スイングガールズ』の子供たちは全員ちゃんと本当に演奏していたのだが、それとこれとはちょっと話が違う。
「本当に演奏する」のと「演奏する真似を完璧に行う」のでは意味合いが違う。
実は、私は、この「エアヴァイオリンをしばらく前から恵子にやらせている。もちろん、リハビリの一環として。
人が物を持ったり握ったり、例えば、ペットボトルの蓋を開けたりする時に使う筋肉は手のひらの膨らみの部分、「指屈筋群」という筋肉だ。
恵子の場合、長い麻痺の間にこの部分の筋肉がものの見事に痩せ細ってしまい、モノを掴んだりする作業にあまり役立っていない。
ということは、まずこの筋肉を鍛えていかないとモノを持つだけでなくお箸を持ってご飯を食べることもママならないということになる。
「これってひょっとしたらヴァイオリンのボーイングの練習が役に立つのでは?」と思った私は、すぐさま知り合いに「ねえ、小さな子供用のヴァイオリン持っていたでしょう?貸してくれない?」と言って早速
1/16のヴァイオリンを借りてきた。
昔ヴァイオリンのレッスンを受けたことはある。
なので、「正しい弓の持ち方」ぐらいはきちんと理解しているつもりだ。
その持ち方を恵子に指導する。
でも、もちろん、本気で彼女にヴァイオリンを弾かせようとしているわけではない。
「弾く真似」をして欲しいのだ。弾く真似をすることによって手の指屈筋群が鍛えられればという思いからだ。
本物の弓を使っているので、厳密に言えば「エアヴァイオリン」ではないのだが、目的が筋肉トレーニングなのでしっかりとボーイングを真似ることは必須。
二人でいつもドヴォルザークの『ユーモレスク』を弾く真似をしている。
今は、単なる物まねだが、そのうちちゃんとしたポジションを左の指でおさえようと思っている。
でも、そこまでいかなくてもこのエアヴァイオリン、彼女のリハビリには十分役立っている。
入院中から始めたキーボードのレッスンも、今では本当のピアノを右手の指がおさえられるところまで来た。
ピアノのキーを麻痺した指が動かすというのはそれほど簡単にできることではない。
ピアノの音がちゃんと出せるというのは、恵子にとってかなりの進歩なのだ。
シンセイサイザー、チェンバロ、ピアノと指の負荷が増えるのを少しずつ楽しみながら克服している。
チェンバロにしても、ピアノにしても、見ていると、まるで楽器を初めて買ってもらった子供のように楽しげだ。
「こんな人だったかな?」と不思議にも思うが、脳卒中という病気は時として思わぬ変化を人にもたらす時があるという(私は、そんな記述をさまざまな本で発見してきた)。
なので、彼女の脳の中に突如「音楽脳」とかいう部分ができたのだとしても何も驚くにはあたらないだろう。
このエアギターやエアヴァイオリンならぬ、エア楽器、きっと介護施設のお年寄りたちの脳トレにも効果があるのではと思っている(人間の脳というのは「錯覚」から発展する場合もたくさんあるのだから)。
これは、私への課題であると同時に「希望」だとも思っている。

タニタのヘルスメーター

2012-07-03 22:08:12 | Weblog
は、ちょっと前から家にある。
もっぱら、私の体重、体脂肪、筋肉量、代謝率、内臓脂肪などをチェックするために使われているけれども、本当の目的はそうではない。
退院後の恵子の体調管理に役立つだろうと思って購入したからだ。
しかし、しばらくその目的のためには使えなかった。
というのも、彼女自身がメーターの上に乗ることができなかったからだ。
このヘルスメーターに乗ってさまざまな項目をチェックするには、ある程度の時間(ほんの十数秒なのだけど)メーターの上に裸足で乗っていなければならない。
でも、恵子の身体はそれができなかったのだ。
彼女は右足に装具をつけている。
なので、装具をつけたままメーターに乗っても計量はできない。
裸足にならないとメーターは正常に作動しない。
ということは、装具をはずさなければならないということになるのだ。
しかも、杖も何の支えもなしにメーターにしばらくの間バランス良く静止しているということは今の恵子にとってそれほど容易いことではない。
でも、最近やっとそれができるようになった。
装具なしの歩きも少し練習している。
まあ、それはそれでいいのだが、それこそ一年ぶりぐらいで計った体重を見て彼女はちょっとショックを受けている。
あまりの体重の少なさにだ。
「もうちょっとあると思ったのに…ガッカリ」と肩を落とす。
まあ、それも当然で、今彼女の身体から筋肉という筋肉が極端に落ちているからだ。
人間の体重は、脂肪の重さというよりも筋肉の重さの方がはるかに多い。
人間が年をとり痩せるのも筋肉量が低下するから。
彼女もリハビリで少しずつ負荷をつけながら身体を動かしてはいるが落ちてしまった筋肉がそう簡単に取り戻せるものでもない。
ということは、彼女の身体の回復はイコール体重の増加に比例するとも言える。
麻痺した右半身に筋肉がついてくればそれだけ身体がしっかり動くようになり、それだけ体重も増加するはず。
そう思って計った彼女の先週の体重は、たったの31キロ(わお、私の体重の半分以下だ)。
「まあ、とりあえず目標は35キロにしよう」。
そう二人で言い合ったものの、この目標に到達するのはいつの日なのだろうか。