今年は特別なイベントがあるわけではないので(昨年はお台場のホテルでレディースオーケストラ<フルムス>のカウントダウンコンサートをやっていたのでけっこう忙しかった)、わりとゆったりとした気分で過ごしている。
毎年、煮しめや煮豆、ナマスなど基本的なお正月料理は作っておく。今年も一通り作ったので今晩やってくる友人もそれらを食べられるはずだ(笑)。
スーパーやデパートに並ぶお正月料理は値段はけっこうするが中身の味はどうなのかナ?といつも思ってしまう。
食べることというのは人間にとって必要不可欠な作業(というのはプロテスタント的な考えですネ)であると同時に最大の快楽(これがカソリック国の考えです)だと私はいつも思っている。
だから、よく言われることだけれども、イギリスやドイツ、北欧といったプロテスタント系の国々の食にはあまり「快楽」という要素が見られない。要するに、ちゃんと生きていかれるだけの最低限の栄養を取ればいいというのがプロテスタントの食に対する姿勢だから基本的にオイシサにとだわる理由がないわけだ(まあ、これも全ヨーロッパということではなく、ルターの宗教改革以降に始まった思想なのだけれど)。
それに対して、カソリック系の国々、例えば、フランス、イタリア、ラテンアメリカの国々は「食こそ人間の最大の快楽」という基本姿勢があるからこそ、これだけ食にこだわって「オイシイもの」を追求した「食文化」が発展してきたのだろうと思う。アメリカという国はそれらの要素がみんな混ざっているのだけれども、建国の基本姿勢が「ピューリタニズム」にあるので、やはりプロテスタント的な考えが濃いはずだ。だから、あまり食にはこだわってこなかった(西部開拓の最中に料理にそんなにこだわれるはずもないのだけど)。結果、まずい。
とそこまで言い切ってしまうといろいろなところからクレームが来るのは必至なのだが、私の経験上、アメリカ人の舌や料理が信用ならないことだけは確かだと思っている。なにしろ、缶詰文化やファーストフード文化を作ってきた国なのだから。
じゃあ、日本を含めた東洋の食は?ということになるのだけど、それは、仏教的な思想であってもアニミズム的な思想であっても基本的に食も生物も大きな「生物の輪(つまり生きとし生けるものの生の連鎖の輪)」の中にいるという考えは浸透している。なので、植物や動物の死を自分の生にするという哲学的な思想から食文化を作るのが東洋の基本姿勢。
キリスト教的なプロテスタントかカソリックか?みたいな発想(生をストイックにとらえるか「快楽と許し」みたいな発想でとらえるかといった二元論)にはならない。つまり、東洋は、「おいしさ」も大事、「生を尊重する」考えも大事ということになり、私はそれの方が「自然と生を大事にする」わけで、それが地球全体に徹底していれば今のような環境破壊のような問題は起こらなかったのでは?と思うのだけれども。
まあ、なんだかんだ言っても、また来年が来てしまうのだが、つい先日から新しいことを始めたせいか、このブログも更新の機会がまた前にも増して減ってしまった。
前回も言ったが12月の頭から podcastという私の配信するインターネットラジオをスタートさせている。
私は、以前にも、FMの番組のパーソナリティをやった経験はあるのだが( FM東京系列で「カフェポートアズール」というヨーロッパの音楽情報番組の台本、構成、DJをやっていた)、今回はそのインディーズ版といったところだ。
まだお聞きになっていない人は、下にある URLをパソコンでクリックしてみてください。かなりクリアな音で( FMの音よりもいいはず)私の番組が聞けるはずです。
http://www.voiceblog.jp/mitsutomi/
毎年、煮しめや煮豆、ナマスなど基本的なお正月料理は作っておく。今年も一通り作ったので今晩やってくる友人もそれらを食べられるはずだ(笑)。
スーパーやデパートに並ぶお正月料理は値段はけっこうするが中身の味はどうなのかナ?といつも思ってしまう。
食べることというのは人間にとって必要不可欠な作業(というのはプロテスタント的な考えですネ)であると同時に最大の快楽(これがカソリック国の考えです)だと私はいつも思っている。
だから、よく言われることだけれども、イギリスやドイツ、北欧といったプロテスタント系の国々の食にはあまり「快楽」という要素が見られない。要するに、ちゃんと生きていかれるだけの最低限の栄養を取ればいいというのがプロテスタントの食に対する姿勢だから基本的にオイシサにとだわる理由がないわけだ(まあ、これも全ヨーロッパということではなく、ルターの宗教改革以降に始まった思想なのだけれど)。
それに対して、カソリック系の国々、例えば、フランス、イタリア、ラテンアメリカの国々は「食こそ人間の最大の快楽」という基本姿勢があるからこそ、これだけ食にこだわって「オイシイもの」を追求した「食文化」が発展してきたのだろうと思う。アメリカという国はそれらの要素がみんな混ざっているのだけれども、建国の基本姿勢が「ピューリタニズム」にあるので、やはりプロテスタント的な考えが濃いはずだ。だから、あまり食にはこだわってこなかった(西部開拓の最中に料理にそんなにこだわれるはずもないのだけど)。結果、まずい。
とそこまで言い切ってしまうといろいろなところからクレームが来るのは必至なのだが、私の経験上、アメリカ人の舌や料理が信用ならないことだけは確かだと思っている。なにしろ、缶詰文化やファーストフード文化を作ってきた国なのだから。
じゃあ、日本を含めた東洋の食は?ということになるのだけど、それは、仏教的な思想であってもアニミズム的な思想であっても基本的に食も生物も大きな「生物の輪(つまり生きとし生けるものの生の連鎖の輪)」の中にいるという考えは浸透している。なので、植物や動物の死を自分の生にするという哲学的な思想から食文化を作るのが東洋の基本姿勢。
キリスト教的なプロテスタントかカソリックか?みたいな発想(生をストイックにとらえるか「快楽と許し」みたいな発想でとらえるかといった二元論)にはならない。つまり、東洋は、「おいしさ」も大事、「生を尊重する」考えも大事ということになり、私はそれの方が「自然と生を大事にする」わけで、それが地球全体に徹底していれば今のような環境破壊のような問題は起こらなかったのでは?と思うのだけれども。
まあ、なんだかんだ言っても、また来年が来てしまうのだが、つい先日から新しいことを始めたせいか、このブログも更新の機会がまた前にも増して減ってしまった。
前回も言ったが12月の頭から podcastという私の配信するインターネットラジオをスタートさせている。
私は、以前にも、FMの番組のパーソナリティをやった経験はあるのだが( FM東京系列で「カフェポートアズール」というヨーロッパの音楽情報番組の台本、構成、DJをやっていた)、今回はそのインディーズ版といったところだ。
まだお聞きになっていない人は、下にある URLをパソコンでクリックしてみてください。かなりクリアな音で( FMの音よりもいいはず)私の番組が聞けるはずです。
http://www.voiceblog.jp/mitsutomi/