親子の関係がどうのこうのと口はばったいことは言えないのだが、最近の事件を見ていると視点をどこに置いて生活するかで人の生活というのはこうも違ってくるのかと思ってしまう。
親がいるから子は産まれる。当たり前の話だが、問題はきっとその後のことなのではないかと思う。ここで言う親とは夫婦だ。夫婦というのは社会の最小の単位だが(個人だけでは社会にならない)、この社会関係は子供ができた瞬間に一気に別ものに変質してしまうことが多い。というか、子供の出現と共に一気に希薄になる夫婦関係というのは世の中に本当に多い。
ある意味、「夫婦は他人だけど親子は血続き、つまり血縁」という考え方が強いのだろうけど、私はむしろ反対に考えた方がいいのではないだろうかと思っている。日本の社会はずっと血縁主義で来たので、社会の単位も血縁で(だから不二家のような血族経営の会社には問題が起きやすくなってしまう)社会の基本単位である家庭も、その基本を夫婦にはおかずに親子関係においてしまう傾向が強い。本来は、夫婦も親子の関係も愛情が基本になっていなければならないのに、最近の家庭にはこれがとっても希薄な感じがする。ナゼかと言えば、きっと愛情を所有と勘違いしている人が多いからだ。夫婦も、どちらかがどちらかを所有するような関係は愛情とは無縁だし、子供だって親の所有物ではない。
私の大学時代の友人に当時の最高裁の長官の息子がいた。最高裁の長官と言えば、総理大臣と同じぐらいの地位の人だ。彼はそういう人物の息子であることに多少のプレッシャーは感じていたと思う。この友人の兄も東大の法学部、親戚には有名な学者や評論家がゴロゴロいるその環境の中で私の友人だけが私立大学の仏文学部。おそらく、親類中からは異端扱いされていたのだろう(というか、そうとう落ちこぼれに見られていたはずだ)。しかし、彼は明るく大学を卒業し、明るくどこかの大学院に行って明るくどこかの大学の教授におさまった。ある意味、プレッシャーをハネのけたのだろう。彼は、間違っても、妹さんを殺害してしまった歯科医の息子のような状況にはならなかったということだ(まあ、そんなこと誰も考えはしなかったが)。
親が子供の人生を心配するのは当然のことだが、親が子供の人生をしばることはできない。そんな権利もない。子供は親の所有物ではないのだから。愛情とこの所有欲とを勘違いしない方がいいと思う。
ペットの飼い主にもそれは言える。ペットの飼い主のほとんどはペットを所有している意識だから、愛情と勘違いして時々トンデモない行為をする。犬の身体に寒いだろうからと服やそれと同じようなモノを巻き付けて飼ったり、散歩させたりしている人がよくいる。これってトンデモない勘違いだと私は思っている。あんなモノ、犬やネコにとったらはなはだ迷惑この上ないことだ。地球上のあらゆる生物が、生きていく上で最も大切な機能は体温維持機能だ。あらゆる生物にとって最も生の脅威となるのは「寒さや飢え」だ。だから、寒さをしのぐためにたくさんの体毛をはやしている生物が存在したりする。人間も北に暮らす人と熱帯に暮らす人では体毛の量や汗腺の量も違う。生物の身体というのはそうした環境に対応していくようにできている。そうでなければ生きていかれないからだ(お年寄りが寒い冬によく亡くなるのは、この体温維持機能がうまく働かなくなるからだ)。生物はそうやってこの地球上をサバイバルしてきたはずなのに、人間は犬やネコに余計なことをして、自らの体温調節機能を狂わせようとしている。これって本当の愛情なのだろうかと思う。
人間でも、子供に異常な愛情をそそぐ人ほど問題を起こしやすい。それは、本人が愛情だと思い込んでいるものが、本当は単に自分勝手な所有欲に過ぎなかったりするからだ。
私は、単純に、夫婦というか、男女の愛情をもっと素直に表現できる関係から家族や家庭を育てていって欲しいなと思う。子供は勝手に育っていくもんだと私は思っている。親はなくても子は育つというけれど、私はこれは本当だと思う。子供というものは、ある意味、社会が育てていくものなんじゃないのかナ?
社会が健全じゃないから、不健全な子供、不健全な親子、不健全な夫婦が生まれてくるのだろうか?
親がいるから子は産まれる。当たり前の話だが、問題はきっとその後のことなのではないかと思う。ここで言う親とは夫婦だ。夫婦というのは社会の最小の単位だが(個人だけでは社会にならない)、この社会関係は子供ができた瞬間に一気に別ものに変質してしまうことが多い。というか、子供の出現と共に一気に希薄になる夫婦関係というのは世の中に本当に多い。
ある意味、「夫婦は他人だけど親子は血続き、つまり血縁」という考え方が強いのだろうけど、私はむしろ反対に考えた方がいいのではないだろうかと思っている。日本の社会はずっと血縁主義で来たので、社会の単位も血縁で(だから不二家のような血族経営の会社には問題が起きやすくなってしまう)社会の基本単位である家庭も、その基本を夫婦にはおかずに親子関係においてしまう傾向が強い。本来は、夫婦も親子の関係も愛情が基本になっていなければならないのに、最近の家庭にはこれがとっても希薄な感じがする。ナゼかと言えば、きっと愛情を所有と勘違いしている人が多いからだ。夫婦も、どちらかがどちらかを所有するような関係は愛情とは無縁だし、子供だって親の所有物ではない。
私の大学時代の友人に当時の最高裁の長官の息子がいた。最高裁の長官と言えば、総理大臣と同じぐらいの地位の人だ。彼はそういう人物の息子であることに多少のプレッシャーは感じていたと思う。この友人の兄も東大の法学部、親戚には有名な学者や評論家がゴロゴロいるその環境の中で私の友人だけが私立大学の仏文学部。おそらく、親類中からは異端扱いされていたのだろう(というか、そうとう落ちこぼれに見られていたはずだ)。しかし、彼は明るく大学を卒業し、明るくどこかの大学院に行って明るくどこかの大学の教授におさまった。ある意味、プレッシャーをハネのけたのだろう。彼は、間違っても、妹さんを殺害してしまった歯科医の息子のような状況にはならなかったということだ(まあ、そんなこと誰も考えはしなかったが)。
親が子供の人生を心配するのは当然のことだが、親が子供の人生をしばることはできない。そんな権利もない。子供は親の所有物ではないのだから。愛情とこの所有欲とを勘違いしない方がいいと思う。
ペットの飼い主にもそれは言える。ペットの飼い主のほとんどはペットを所有している意識だから、愛情と勘違いして時々トンデモない行為をする。犬の身体に寒いだろうからと服やそれと同じようなモノを巻き付けて飼ったり、散歩させたりしている人がよくいる。これってトンデモない勘違いだと私は思っている。あんなモノ、犬やネコにとったらはなはだ迷惑この上ないことだ。地球上のあらゆる生物が、生きていく上で最も大切な機能は体温維持機能だ。あらゆる生物にとって最も生の脅威となるのは「寒さや飢え」だ。だから、寒さをしのぐためにたくさんの体毛をはやしている生物が存在したりする。人間も北に暮らす人と熱帯に暮らす人では体毛の量や汗腺の量も違う。生物の身体というのはそうした環境に対応していくようにできている。そうでなければ生きていかれないからだ(お年寄りが寒い冬によく亡くなるのは、この体温維持機能がうまく働かなくなるからだ)。生物はそうやってこの地球上をサバイバルしてきたはずなのに、人間は犬やネコに余計なことをして、自らの体温調節機能を狂わせようとしている。これって本当の愛情なのだろうかと思う。
人間でも、子供に異常な愛情をそそぐ人ほど問題を起こしやすい。それは、本人が愛情だと思い込んでいるものが、本当は単に自分勝手な所有欲に過ぎなかったりするからだ。
私は、単純に、夫婦というか、男女の愛情をもっと素直に表現できる関係から家族や家庭を育てていって欲しいなと思う。子供は勝手に育っていくもんだと私は思っている。親はなくても子は育つというけれど、私はこれは本当だと思う。子供というものは、ある意味、社会が育てていくものなんじゃないのかナ?
社会が健全じゃないから、不健全な子供、不健全な親子、不健全な夫婦が生まれてくるのだろうか?