みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

2月のパソコンクラッシュ事件以来

2007-05-25 07:56:26 | Weblog
ずっといろいろなメルアドの回復を丹念に試みてきたおかげで、おそらくクラッシュ前の8割ぐらいは回復できたのではないかと思っているが、それでも2割ぐらいの人のメルアドが復帰できないでいる。
私の友人で(あるいは、友人と思って下さっているか、知り合いだゾと思ってくださっている人で)、「最近、みつとみさんから連絡来ないナ?」と思っている人はぜひ私のメルアドに連絡して欲しい。こちらから、そうした方々に届く手段がないもので、お便りを待っているしか方法がない人もけっこういる(そういう人が私のこの日記を見ていてくださるといいのだが)。
そうやって考えると、メールやインターネット、携帯という通信手段で人と人がつなっがっていると考えるのは、ある意味、錯角なのかも?と考える時もある。意外と簡単にそうした人と人を結び「糸」は切られてしまうんだということも自覚しなければならない。インターネットというのは通信ネットワークなわけだけれども、そのネットワークの中に自分がどういう位置を占めているのかいないのかをきちんと把握しておく必要もありそうだ。最近は、歩きながらパソコンをかかえてキーボードをうっている人さえ見かけるが、彼ら彼女らは本当は一体「どこにあるのだろう?」とも思う。本当は、現実にそこに生身の身体を持って歩いている姿が本当の「所在」なのだけれども、パソコンに向かっているその人の「所在」は、おそらく現実の場所にはなくって、パソコンの中で「起こっている(と錯角している)」空間に存在しているのかもしれないナ?とさえ思えてしまう。
私のメルアドは、toshiro0115@ybb.ne.jp flute@land.linkclub.or.jp などいろいろあるのだけれども、そうした自分の「住所」が「本当の住所」なのかも含めて(私の2月の時点のようにパソコンがいったんクラッシュしてしまうと、その住所も宇宙のどこかに吹き飛ばされてしまい永遠に「迷子」になってしまいかねない)インターネットという電波上での「所在」怪しさと危なさをもう一度しっかり認識する必要がありそうだ。

とってもいい季節

2007-05-23 23:56:21 | Weblog
になってきた。
あんまり気持ちがいいので、家の中にこもっていたくないのだが、仕事で中にいることがやっぱり多い。日曜のプロデュース公演の日もあまりにも気持ちよく、第一部と第二部の間に、スタッフは外で日なたぼっこ、出演者は全員昼寝。何ともまあ、のどかな光景だった(笑)。こんな緊張感のないコンサートも珍しいが、コンサート自体はとってもヨカッタ。音響が予想外にいいのにはちょっとビックリ。リハの時から音は響いていたのだが、どうせ本番になったらお客さんに吸われてしまうだろうとタカをくくっていたら、これがけっこういい響き。今回のトライアル公演の一番の成果はこの音響。その他、雰囲気もいいし、何よりお客さんの質がいい。これは、これからのプロデュース公演シリーズは期待がもてる。
月曜はフルフルのリハで、火曜はレッスン日、今日は朝から東フィルのリハを新国立劇場でずっと見学(演目がR.シュトラウスの『バラの騎士』なので豪華な作りで面白い)。今書いているオーケストラ本の取材目的なのだが、在京のいろんなオケのステージマネージャーさんに話しを聞いているところ。けっこう面白い本が書けそうだ。
夜は、赤坂のクラシックのライブハウスというCasa Classicaに新倉瞳さんの演奏を聞きに行く。彼女にも、私のプロデュース公演に出てもらいたいと思っている。帰り際に東芝EMIの知り合いと会う。新倉さんは東芝 のアーティストだから当然か?(笑)
明日はフルフルのライブ。私の新曲の出来がイマイチ心配だが、今のメンバーは本当に若いからきっと大丈夫じゃないかナ?とは思っているけど、これもあまり根拠のある話しじゃない(ハハハハ)。
といった具合のこの一週間毎日屋内にいることが多い。天気がいいのも明日ぐらいまでらしいので、明日こそはゆっくりと太陽を浴びたいものだ。

伊豆の恒例の合宿

2007-05-15 00:08:04 | Weblog
を先週の週末に行った。もう一年以上やっていなかったので、みんな心待ちにしていたようだけど、今回の合宿の成果は何といってもずっと晴天だったこと。
大体私は「雨男」と呼ばれるぐらい、自分のコンサートは雨だったり嵐だったり大雪だったりと、天候には恵まれない。だいいち、これまでの合宿だって、みんな雨の印象しかないんじゃないかと思うぐらい天気には祟られている。それが、今回は晴天に恵まれていたのは(最後の日曜は雨の予報だったのにもかかわらず)、何のせいなのか?よっぽど晴れ女がいたのかもしれないが、まあそれが誰なのかは詮索しないでおく。
それと、もう一つ今回の合宿の成果は、家の庭で育てているバラがかなり見ごろになっていたこと。私はそれほどのマニアではないけれど、育てているバラの品種にはこだわっている。というのも、オールドローズ系の香りのいい品種しか育てていないからだ。普通、花屋さんに売っているのはハイブリッドのほとんど匂いのしないバラが多いから、ウチのバラの香りをかぐと「バラってこんなにいい匂いがするんだ?」と、みんな一様に驚く(なかには、バラに匂いがあることに驚く人までいる。バラの香りの香水を知らないのだろうか?)。
 フェリシテ・パルマンティエ、マダム・シャルル・ソバージュ、クリムゾン・グローリー、ネージュ・パルファン、マーガレット・メリル、ピンク・シフォン、などなど、おいしそうな名前だったり、舌をかみそうな名前だったり、貴婦人のような名前だったりするが、みんな私が今育てているバラの品種の一部だ。こういう文章では香りをうまく表現できないが、本当にすべてとびっきりのいい匂いのバラばかりだ。しかも、一つ一つ本当に香りが違う。こういうバラの奥の深さに魅了されてバラ作りにハマっていく人が世界中に多いのだが、きっと私もそうなっていきそうである意味怖い(笑)。いつも、長野にある村田バラ園という専門農家さんのカタログを見て苗を注文する。カタログだけで、数百種類のバラが掲載されている。それこそ、オールドローズ系、ハイブリッド、つるバラ、立ち木のバラ、そしてミニバラまで本当に多種なのだが、本当に世界中にあるバラの種類というのは千ではきかないだろう。一体どれだけの種類があるのか、想像できないほどだ。
今現在ウチで育てているのは20種類ほど。今年中にもう10種ほど増やすつもり。「そんなに育ててどうするの?」と言われそうだが、夢はバラ園作り!
マジにそう思っている(笑)。

菖蒲をスーパーで見かけ

2007-05-05 00:19:29 | Weblog
「あ、そうか、菖蒲湯か」と思い買って風呂に入れる。でも、まったく期待はずれ。匂いがない。まったくないとは言わないがホントにかすかな匂い。別に、菖蒲だけでなく、今の花も野菜も匂いがホントに薄い。春先、近所の花屋にミモザの鉢植えが置いてあるのを見つけ、マスターに「このミモザって匂いがないね」と言ったら、その花屋のマスター言わく「え?ミモザって匂いないじゃない。ウチで売ってるのはみんな匂いしないよ」。この発言には、正直ビックリした。花屋さんがミモザに匂いがないと思い込んでいるとしたら、今の子供たちが、バラに匂いがなかったらり(花屋で売っているハイブリッドのバラは匂いがとっても少ない種類だ)、野菜に匂いがなかったりするのもしょうがないことなのかナ?と思ってしまう。
日本の社会から匂いがこうも毛嫌いされ始めたのはいつ頃からなのだろうか?無香料が売りの商品が巷にあふれ、匂いがないことがイイことだ的な感覚が日本中にまん延している。人間の感覚にとって、匂いというのは、いい匂いも悪い匂いもとても重要なもの。この感覚が薄いと、人は大体が危険を察知する能力を失うし(人は、危ないモノを匂いで判断する)、食事を楽しむこともできなくなるし(味はその半分が匂いで感じるもの)、あらゆる意味で鈍感な人間を育てることになってしまう。
それに、日本の社会はいい匂いを判断する能力を失っているだけでなく、いやな匂いにまで鈍感になっているような気がする。先日名古屋のタクシーが全面禁煙になるというようなニュースをやっていたが、私は、これは「当たり前」の話しだと思う(東京のタクシーも早くそうするべきだ)。副流煙の害がどうのこうのと言う前に、あの匂いを何でみんな許容できるのか不思議でならない。タバコを吸う人には、ひょっとしたらいい匂いなのかもしれないが、吸わない人間には悪臭以外の何者でもない。というか、私は、電車で隣にタバコを吸う人が座っただけで気持ちが悪くなる。あのヤニの匂いをかがされるのはかなりの苦痛だ。
匂いも音も味も環境や社会によって考え方が変わるので、私たちが使うスパイスのクミンの匂いは、中東の人たちには、けっこうセクシーさを象徴する匂いなのかもしれない(以前イランの人にそんな話しを聞いたことがある)。私には、クミンの匂いはワキガの匂いを連想させるが、肉料理にはけっこう欠かせないスパイスでもある。昔の人は、和服にお香をたきしめて匂いを移し、そうして着ていた(英語では、匂いをつけることを「着るwear」という単語で表現する)。匂い袋もそうだし、サシェのようなものも人はオシャレで利用していたわけだが、最近はそういうことをする人は少ないのかもしれない。私は、大事な人に対して書く手紙の便せんはあらかじめサシェで匂いを写したものを使う。別に相手がそれに気づこうが気づくまいがそれはかまわない。これが、私自身のオシャレのつもりだから。
匂いも味も音楽もオシャレに楽しまなければ、人生本当にツマラナイ。