というニュースを聞いて、「だから何?」という感想が先にわくのだけれども、同時に「これも当然」という気もしてくる。
1990年オープンだということだが、それ以前からタワーレコードは渋谷で営業していたし、渋谷にはレゲエ専門のレコードショップやそれこそ映画音楽専門のショップもあったりしてこういう大規模店舗の(音楽ソフトの販売店)が音楽文化を担ってきた云々のメディアのコメントにはまじで「アホかい?」と思ってしまう。
音楽産業が「無策」のまま商売をしてきたことのシッペ返しの一つがこういう大規模販売店の閉店につながっただけの話で、これと「音楽文化」とはまったく無関係。
逆に言うと、メジャーレコードレーベルとこうした大規模な外資が日本の音楽産業を牛耳ってきたからこそ今の音楽文化の衰退があるわけで、こうしたCDショップの閉店を嘆くというよりも、「ここからまた本来の音楽文化が復活してくれれば」という楽観論の方が先に芽生えてくる。
別にこれは音楽だけの話ではなく、「大きいことはいいことだ」的なマヤカシの哲学(かナ?)が高度成長期に日本にもたらされたおかげで日本人のモノの考え方が根本から覆されてしまったのではないかと思ってしまう。
それに私たちのような団塊の世代という「わけのわからないノー天気集団」が加担していたことは確かで、そのことに団塊の世代の人たちが未だに気がついていないのが私には不思議でならない。
もはや、団塊の世代ピープルは、自分たちの老後をいかに楽に楽しく暮らせるか?といったことにしか関心がないようでちょっと見苦しい(と私には思える)。
私は、世代で人間を区別するありがちな社会論は大嫌いなのだが、この自分の同世代の人たちの自分勝手さは時々見ていて腹のたつことも多い。
最近you tubeなどに書かれている若い人たちのコメントがやけに右よりで愛国主義的なのが気にならなくもないが、それはきっとそれよりも上の世代の作ってきたあまりにも外国の言いなりになった「無策社会」への苛立ちと反発がそうさせているのでは?と思えなくもない。
私自身が若い頃にも自分より上の世代の人間たちの身勝手さに妙に腹をたてたものだけれども、きっと今の若い世代の人たちも「何やらワケのわからない年寄りたちがやけに多いな」ぐらいに思っているのかもしれない。
たかがレコード店がつぶれたぐらいの話というよりも、これからの「音楽文化」を真剣に作っていきたいと思うのであれば、年に関係なく前向きな「哲学」と「方法論」が今こそ必要なのでは?と思ってしまう。
そうでないと、音楽そのものの価値が「この程度」という形でどんどん隅っこに追いやられてしまうのではないのか? そんな危機感が私には先に来る。
1990年オープンだということだが、それ以前からタワーレコードは渋谷で営業していたし、渋谷にはレゲエ専門のレコードショップやそれこそ映画音楽専門のショップもあったりしてこういう大規模店舗の(音楽ソフトの販売店)が音楽文化を担ってきた云々のメディアのコメントにはまじで「アホかい?」と思ってしまう。
音楽産業が「無策」のまま商売をしてきたことのシッペ返しの一つがこういう大規模販売店の閉店につながっただけの話で、これと「音楽文化」とはまったく無関係。
逆に言うと、メジャーレコードレーベルとこうした大規模な外資が日本の音楽産業を牛耳ってきたからこそ今の音楽文化の衰退があるわけで、こうしたCDショップの閉店を嘆くというよりも、「ここからまた本来の音楽文化が復活してくれれば」という楽観論の方が先に芽生えてくる。
別にこれは音楽だけの話ではなく、「大きいことはいいことだ」的なマヤカシの哲学(かナ?)が高度成長期に日本にもたらされたおかげで日本人のモノの考え方が根本から覆されてしまったのではないかと思ってしまう。
それに私たちのような団塊の世代という「わけのわからないノー天気集団」が加担していたことは確かで、そのことに団塊の世代の人たちが未だに気がついていないのが私には不思議でならない。
もはや、団塊の世代ピープルは、自分たちの老後をいかに楽に楽しく暮らせるか?といったことにしか関心がないようでちょっと見苦しい(と私には思える)。
私は、世代で人間を区別するありがちな社会論は大嫌いなのだが、この自分の同世代の人たちの自分勝手さは時々見ていて腹のたつことも多い。
最近you tubeなどに書かれている若い人たちのコメントがやけに右よりで愛国主義的なのが気にならなくもないが、それはきっとそれよりも上の世代の作ってきたあまりにも外国の言いなりになった「無策社会」への苛立ちと反発がそうさせているのでは?と思えなくもない。
私自身が若い頃にも自分より上の世代の人間たちの身勝手さに妙に腹をたてたものだけれども、きっと今の若い世代の人たちも「何やらワケのわからない年寄りたちがやけに多いな」ぐらいに思っているのかもしれない。
たかがレコード店がつぶれたぐらいの話というよりも、これからの「音楽文化」を真剣に作っていきたいと思うのであれば、年に関係なく前向きな「哲学」と「方法論」が今こそ必要なのでは?と思ってしまう。
そうでないと、音楽そのものの価値が「この程度」という形でどんどん隅っこに追いやられてしまうのではないのか? そんな危機感が私には先に来る。