みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

今日イタンビューした加古さんも

2009-03-19 21:51:57 | Weblog
湯河原に住んでいるということを知りけっこううれしくなった。
エイベックスの会議室で加古隆さんやらスタッフの人たちに名刺を配り終わった途端、加古さんが「なんだ、伊豆から来られたんだったら熱海あたりでインタビュー設定した方がよかったかもしれませんね」と笑いながら言った。
まあ、たしかにアーティストとインタビュアーだけの都合を考えればそういうことだけれども、世の中そんな簡単にはいかない。雑誌の編集の人やらレコード会社、マネージメントなどの人たちの都合の方が何よりも優先する(別にイヤミで言っているわけでもなんでもなくそれが普通の仕事の道理だ)。
ここは、単に私と加古さんが東京に出てくる理由ができたと思えばいいわけである。

昔からファンだった加古さんというピアニストの実像に迫れた感じがして今日はちょっと嬉しかった。今日私が加古さんにどうしても聞きたかったことが一つあった。それは彼がピアノという楽器やこれまでの演奏・作曲活動を通じてどうしても伝えたかった最も大きなメッセージとは一体何なのか?
それを彼自身のことばで自ら表現して欲しかったのだ(長いキャリアを持ったアーティストであればあるほど自分の心の中にゆるぎない一つのメッセージのようなものがあるはず。特に加古さんのように自分自身の作品しか演奏しないアーティストであればなおさらだ)。
インタビューの終わり頃、それを、彼はこんな短いことばにまとめてくれた。
「私が伝えたいのは<木の響き>」。
つまり、「木」と「鉄」でできているピアノという楽器の「木」の響きをできるだけ響かせたい(だからベーゼンドルファー・インペリアルを使うのだと彼は言っていた)。「木の響き」とはすなわち「自然の響き」ということだろう。「それは自然と人の心のぬくもり」だとも言っていた。
彼は今年でもう62ぐらいになる人。ということは、彼はもう30年以上もソロピアノというスタイルで「木」と対話し続けてきたことになる。
彼の新しいアルバムは、彼のことばを借りれば「ひたすらゆったりとした時間」というものを表現した音楽だそうだ(これがけっこう素晴らしい)。
そのアルバムを聞いていて私も素直に「この世界を自分のフルートの音で表現したいな」と思った。それぐらい本当に「おだやかできれいな時間の流れている音楽」だと思ったからだ。
また一つ自分のやるべきことが増えたような気がした

評論家の加藤周一さんの話を

2009-03-14 21:52:59 | Weblog
今朝TVで見る。
その中で印象に残った部分がいくつかあった。その一つが「近代」ということば。
これは、別にことば遊びでも何でもなく、日本でも世界でも「中世、ルネサンス、貴族階級社会、革命、そして、近代、現代」という風に歴史は必然的に流れていくものなのだけれども(ヨーロッパはきちんとそのプロセスをとった)、日本では、それが明治維新という、革命だったのか革命じゃなかったのかわけのわからない「疑似革命」のママ国家が「近代」に向かってしまったことが今日までの日本のすべてのジャンル(政治、宗教、文化、すべてにおいて)においてものすごい歪みを作っているのではないかと私なんかは思ってきたけれども、加藤さんもまさしくそう思っていたのだと思う。
その意味では、小林秀雄という評論家はあの時代に「モオツアルト」とかいって、モーツァルトの価値を認めていたのはそれこそ達見だけれども、それでも日本の音楽の世界にどんな「近代」が必要だったのかまでは論及していない(そこらへんも加藤さんには不満なのだろうし、私も不満だ)。
ヨーロッパでは十九世紀がまさしく「近代」のはずなのだが、そこにあった音楽批評や音楽評論はドイツ音楽以外認めません、的な思想(この時代の音楽の世界で音楽批評がどれだけの価値を持っていたかは現代では想像もできないほど)。
評論家が「あいつはモーツァルトの音楽なんかやってなんて軟弱な」と言えば、それはモーツァルトの音楽のように子供でも弾けるぐらいの技量しかない音楽でお金を取るなんてもっての他、という考え方だ。
このドイツ音楽一辺倒の思想は日本の戦前はもちろんだけれども(戦前の日本ではフランスに留学したって何の価値も評価もされなかった)、戦後しばらくは一流のピアニストは自分のリサイタルのプログラムにモーツァルトのソナタなんていうのは絶対に演奏できなかったし、オーケストラの演奏会にしたって「オペラの前座音楽だったモーツァルトの交響曲」なんて何の価値もない音楽だった時代が長く続く(サティというフランスの作曲家の名前がちゃんと音楽史の中に登場するのはここ十数年のこと。それまで音楽史の教科書にはサティのサの字もなかったのだ)
もちろん、今そんなことを言っても「ウソ!」と信じない人も多いかもしれないが、日本の音楽の「近代」の中身というのは所詮そんなもので、今もその状況から完全に脱しているとは言いがたい。おそらく、この辺にこそ私がもっとも気にかけている「日本で音楽でメシを食う」ことの困難さの原因が横たわっているような気がしてならない。
今、TVをひねれば「こんな不況は未だかつてなく」「明日にも路頭に迷う人たちがたくさんいる」といったフレーズのオンパレードだけれども、その解決策として政治主導で景気を回復しなければ、とか各国の政治経済のリーダーがきちんとリーダーシップを発揮して、云々というけれど、それができないからみんな右往左往しているわけなのではないのか。
で、思うに確かに私もこういう時こそ世の中には「リーダー」や「カリスマ」が必要なのだろうと思う。でも、このリーダーとかカリスマって、政治家なの?財界人なの?宗教家なの?っていう気もする。
そういう分野の人たちが何もできなかったからこそこうなってしまったのじゃないの?と私は思う。
だからこそ、私は、今も昔も、世の中にとって本当に必要なのは「評論家」なんじゃないのかナ?と思わずにいられない。
評論家というと、ただ無責任に言いたいことだけをメディアでしゃべっているような人たちのことを想像するかもしれないけれど、私はああいう人たちを「評論家」とは呼ばない。
少なくとも、評論家と呼ぶに値する人はどんなジャンルであっても「きちんと科学的な分析ができていて、それを平易なことばで万人に納得させられる人」であると同時に「その問題に対する解決策も同時に発表できてそれに命をかけられる人」でなければならないと思っている。
そうなると、そんな人が世界中にいるのだろうか?とも思ってしまう。
少なくとも「中世」から一気に西部開拓の時代に入ってしまったたアメリカという国は未だに「中世」のままなので「現代はおろか「近代」だって経験していない(だからこそ、リンチや銃の乱射がいまだにまかり通っている)、そんなアメリカにこの世界の「現代評論」を期待しても所詮無理というもの。
ウム、ひょっとしたら世界のどこかにいるのかもしれないが、そういう正しい考えを出す人をメディアは意図的に抹殺するのかもしれないなとも思う(一人の正しい評論家が出現すれば9999人の正しくない評論家たちはただちに仕事を失うわけだから)。

評論のことをしゃべり始めるとキリがないので、今日のところはこれぐらいにしておく(世の中のほとんどの音楽家の人たちは、自分は演奏家で評論家ではないので音楽評論とはまったく無縁だと思っているかもしれない。しかし、その認識こそが「音楽」というものが未だに「ただの芸事」で「世の中には何ももたらさない」と多くの人に思われ続けている根本原因だということにそろそろ本気で気づいて欲しいのだが)。



今日は

2009-03-12 22:26:07 | Weblog
佐渡裕さんへのインタビューの日。
来週の今日(木曜)も加古隆さんへのインタビューなので2週連続でインタビューのために東京に出てくることになる。まあ、来週はレッスンウィーク(2週に1度は東京でレッスンをしている)なのでどのみち東京なのだが、今週は若干予定外。アーティストの都合でスケジュールが決められてしまう面もあながちないわけではないのでインタビュアーとしては若干辛いところだ。特に今日の佐渡さんのように日本にいる日がこことここしかありませんとか言われてしまうと、ついこちらも「それにあわせます」みたいなことになってくる。
ただ、それにしても、佐渡さんという人は身体が大きいこともだけれども、何しろエネルギーが有り余ってしょうがないというような印象を受ける人だ。こちらが1つ質問するとたちまち100の答えが返ってくる(オーバーでなく本当にそうだった)。いつもならアーティストに15から20ぐらいの質問を用意していくのだけれども、今日は結局2つの質問で制限時間いっぱい(それぐらい答えの時間が長かったということ)。
自分も話を始めると長いし、1聞かれたら最低10は答えるタイプなのだけれども、佐渡さんはそんな私でも舌を巻くほどのしゃべり好きの人と見た(まあ、これが立場が逆転していたら私も佐渡さんと同じぐらいしゃべったかもしれないけど=笑)。
でも、しゃべっている内容はしごく真面目で本当に納得のできることばかりだからこちらが口を挟む余地はないのだけれども、いい加減途中で話の腰を折りたくなってくる(笑)。来週の加古さんはきっと違うタイプであることを願う(彼とはずいぶん昔に営業イベントで同じステージに二度ほどたったことがあるのだけれども、インタビューにもトレードマークの帽子をかぶってくるのかナ?)

まだ引越しの途中

2009-03-12 11:50:04 | Weblog
1月から始めた引っ越しもいまだに終わらず相変わらずダンボールの荷物と同居の暮らしが続いている。別にダンボールだろうが何だろうが自分の荷物であることに変わりはないのだが、ダンボールの中に入っているとどこに何があるのかすぐには探し出せない辛さがある。きちんと書いておいたつもりでも中身のすべてを書いたわけではない。書き忘れたものが急に必要になることだってある(そんな経験は誰しもだろう)。
それにしても自分の身の回りにあるゴミの多さにあきれる。「これじゃあ、ごみ屋敷のオバサン、オジサンたちとたいして変わりないよ」と思ってしまう。
ある意味、本気でそう思う。TVでよく報道されるごみ屋敷の人たちだって「これはゴミじゃない」と必ず主張する。それがゴミかゴミじゃないかどうかなんて客観的基準はないわけでげんに私のうちで使っていた冷蔵庫や洗濯機も昨日までちゃんと機能していたものなのに家電リサイクルごみとして出した瞬間に立派なごみに変貌してしまう。ひょっとして、世の中の人たちはすべてゴミと一緒に暮らしているんじゃないの?と思ってしまう。
これじゃあ、本当にゴミ屋敷の人たちを批判したり非難はけっしてできないんじゃないかと思う。
自分がこれまでやった仕事の資料や作品なども自分にとってはある程度大切な資料でもそれとはまったく無縁の人から見れば別にどうってことのない代物かもしれない。
本当はこうしたものも今回一挙に捨ててしまいたかったのだが、さすがにそこまではで、きなかった(クリエーターにとっては自分の過去が自分の未来を作るっていう面もあるわけだし)。
そんなこんなの落ち着かない日々だが、それでも仕事は待ってくれない。伊豆と東京をせっせと往復している。