湯河原に住んでいるということを知りけっこううれしくなった。
エイベックスの会議室で加古隆さんやらスタッフの人たちに名刺を配り終わった途端、加古さんが「なんだ、伊豆から来られたんだったら熱海あたりでインタビュー設定した方がよかったかもしれませんね」と笑いながら言った。
まあ、たしかにアーティストとインタビュアーだけの都合を考えればそういうことだけれども、世の中そんな簡単にはいかない。雑誌の編集の人やらレコード会社、マネージメントなどの人たちの都合の方が何よりも優先する(別にイヤミで言っているわけでもなんでもなくそれが普通の仕事の道理だ)。
ここは、単に私と加古さんが東京に出てくる理由ができたと思えばいいわけである。
昔からファンだった加古さんというピアニストの実像に迫れた感じがして今日はちょっと嬉しかった。今日私が加古さんにどうしても聞きたかったことが一つあった。それは彼がピアノという楽器やこれまでの演奏・作曲活動を通じてどうしても伝えたかった最も大きなメッセージとは一体何なのか?
それを彼自身のことばで自ら表現して欲しかったのだ(長いキャリアを持ったアーティストであればあるほど自分の心の中にゆるぎない一つのメッセージのようなものがあるはず。特に加古さんのように自分自身の作品しか演奏しないアーティストであればなおさらだ)。
インタビューの終わり頃、それを、彼はこんな短いことばにまとめてくれた。
「私が伝えたいのは<木の響き>」。
つまり、「木」と「鉄」でできているピアノという楽器の「木」の響きをできるだけ響かせたい(だからベーゼンドルファー・インペリアルを使うのだと彼は言っていた)。「木の響き」とはすなわち「自然の響き」ということだろう。「それは自然と人の心のぬくもり」だとも言っていた。
彼は今年でもう62ぐらいになる人。ということは、彼はもう30年以上もソロピアノというスタイルで「木」と対話し続けてきたことになる。
彼の新しいアルバムは、彼のことばを借りれば「ひたすらゆったりとした時間」というものを表現した音楽だそうだ(これがけっこう素晴らしい)。
そのアルバムを聞いていて私も素直に「この世界を自分のフルートの音で表現したいな」と思った。それぐらい本当に「おだやかできれいな時間の流れている音楽」だと思ったからだ。
また一つ自分のやるべきことが増えたような気がした
エイベックスの会議室で加古隆さんやらスタッフの人たちに名刺を配り終わった途端、加古さんが「なんだ、伊豆から来られたんだったら熱海あたりでインタビュー設定した方がよかったかもしれませんね」と笑いながら言った。
まあ、たしかにアーティストとインタビュアーだけの都合を考えればそういうことだけれども、世の中そんな簡単にはいかない。雑誌の編集の人やらレコード会社、マネージメントなどの人たちの都合の方が何よりも優先する(別にイヤミで言っているわけでもなんでもなくそれが普通の仕事の道理だ)。
ここは、単に私と加古さんが東京に出てくる理由ができたと思えばいいわけである。
昔からファンだった加古さんというピアニストの実像に迫れた感じがして今日はちょっと嬉しかった。今日私が加古さんにどうしても聞きたかったことが一つあった。それは彼がピアノという楽器やこれまでの演奏・作曲活動を通じてどうしても伝えたかった最も大きなメッセージとは一体何なのか?
それを彼自身のことばで自ら表現して欲しかったのだ(長いキャリアを持ったアーティストであればあるほど自分の心の中にゆるぎない一つのメッセージのようなものがあるはず。特に加古さんのように自分自身の作品しか演奏しないアーティストであればなおさらだ)。
インタビューの終わり頃、それを、彼はこんな短いことばにまとめてくれた。
「私が伝えたいのは<木の響き>」。
つまり、「木」と「鉄」でできているピアノという楽器の「木」の響きをできるだけ響かせたい(だからベーゼンドルファー・インペリアルを使うのだと彼は言っていた)。「木の響き」とはすなわち「自然の響き」ということだろう。「それは自然と人の心のぬくもり」だとも言っていた。
彼は今年でもう62ぐらいになる人。ということは、彼はもう30年以上もソロピアノというスタイルで「木」と対話し続けてきたことになる。
彼の新しいアルバムは、彼のことばを借りれば「ひたすらゆったりとした時間」というものを表現した音楽だそうだ(これがけっこう素晴らしい)。
そのアルバムを聞いていて私も素直に「この世界を自分のフルートの音で表現したいな」と思った。それぐらい本当に「おだやかできれいな時間の流れている音楽」だと思ったからだ。
また一つ自分のやるべきことが増えたような気がした