このところ毎日目が覚める。
毎朝大体6時ぐらいから鳴き始めているらしいのだけれども、寝起きのほとんど頭がうつらうつらの状態で聞いているので「今が一体何時なのか….?」いまいちはっきりしない。
で、結局7時には起きてしまう。
面白いことに、この春先のウグイスの鳴き方というのはまだまだ鳴き方が未熟で、はっきり言うと「ヘタくそ」。
この「ヘタ」なウグイスがだんだん夏に近づくにつれてすごく「上手になっていく」さまを楽しむのが毎年の楽しみでもある。
この春先の時期のウグイスの鳴き声はとっても短く「ホーホケキョ」と鳴くだけで、きれいな声には違いないのだけれどもあまり愛想がない。
聞いているこっちが「おいおい、それだけかよ?」と突っ込みを入れたくなるほどアッサリした短い鳴き声だ。
これがだんだんと最初の「ホー」の部分が長くなり「ホーーーホケキョー、ケキョ、ケキョ、ケキョ」と一人でディレイ(エコー)が入るような息の長いとても美しい鳴き声に変わっていく。
楽器を練習している人の腕前がだんだんと上達していくような感じで、聞いていると楽しくなって「おうい、ウグイス、頑張れよ」と応援したくなってくる。
こんなノンビリした風景の中で生活してはいるのだけれども、震災後の日本の社会はそれほどノンビリとはしていない。
原発の問題にしても、被災者の人たちの生活の問題にしても、ある意味、日本の社会の問題は山積でとてもウグイスの声どころの騒ぎではない。
ただ、私たち音楽家はどちらかというとこのウグイスに近い存在で、毎日練習を欠かさず精進してはいても世の中から音楽の仕事がどんどん無くなってくると「鳴くに鳴けないホトトギス」で本当に「泣けてくる」のだ。
私のまわりでも仕事のほとんどをキャンセルされて「フリーター」状態になっている音楽家がたくさんいる。
とはいっても、世の中全てが自粛ムードになって音楽や芸能一般が世の中から消えてしまって良いわけはない。
「今は音楽どころじゃないよ、ウグイスどころじゃないよ」という気持ちは理解できるけれども、人間という生き物は衣食住を満たす欲求と心の平安の欲求を両方同時に満たさなければ生きていけない動物でもある。だからこそ、音楽やさまざまな芸能が地球上には太古の昔から存在しているのだけれども、こういう現在の日本の社会のような「どん底」の状態から抜け出すためにも誰かが何かをきっちりと行っていかなければならない。
それは、別に特定の誰というわけではないけれども、世の中のさまざまな分野でリーダーシップを持って引っ張っていく人たちが必要な時期なのではないかと思う。
ただ、いつでもどこでも何かを最初にやる人間は「称賛」と「非難」を同時に浴びる覚悟でやらなければ何もできない。
人間は何をやろうがその結果が「称賛」されるか「非難」されるかはほとんど同じ出来事の裏表にしか過ぎないのだから、全てのジャンルのリーダーたちは「うんぷてんぷ」の気持ちでやっていかなければならないとも思う(幸運も不幸も全て天の業で、良い方に転ぶ時もあれば災いに転ぶ時もある、という意味のことばが「運否天賦」だ)。
特に政治のリーダーは、世の中の全ての毒を皿まで食ってやろうぐらいの覚悟がなければ社会も人も導いていくことはできないのではないかと思う。
人の上に立つ人というのはそれぐらいの重い責任と覚悟が必要なはずなのにな?と、ここ最近の世の中の出来事を見ていてつくづく思ってしまうのはけっして私だけではないだろう。
毎朝大体6時ぐらいから鳴き始めているらしいのだけれども、寝起きのほとんど頭がうつらうつらの状態で聞いているので「今が一体何時なのか….?」いまいちはっきりしない。
で、結局7時には起きてしまう。
面白いことに、この春先のウグイスの鳴き方というのはまだまだ鳴き方が未熟で、はっきり言うと「ヘタくそ」。
この「ヘタ」なウグイスがだんだん夏に近づくにつれてすごく「上手になっていく」さまを楽しむのが毎年の楽しみでもある。
この春先の時期のウグイスの鳴き声はとっても短く「ホーホケキョ」と鳴くだけで、きれいな声には違いないのだけれどもあまり愛想がない。
聞いているこっちが「おいおい、それだけかよ?」と突っ込みを入れたくなるほどアッサリした短い鳴き声だ。
これがだんだんと最初の「ホー」の部分が長くなり「ホーーーホケキョー、ケキョ、ケキョ、ケキョ」と一人でディレイ(エコー)が入るような息の長いとても美しい鳴き声に変わっていく。
楽器を練習している人の腕前がだんだんと上達していくような感じで、聞いていると楽しくなって「おうい、ウグイス、頑張れよ」と応援したくなってくる。
こんなノンビリした風景の中で生活してはいるのだけれども、震災後の日本の社会はそれほどノンビリとはしていない。
原発の問題にしても、被災者の人たちの生活の問題にしても、ある意味、日本の社会の問題は山積でとてもウグイスの声どころの騒ぎではない。
ただ、私たち音楽家はどちらかというとこのウグイスに近い存在で、毎日練習を欠かさず精進してはいても世の中から音楽の仕事がどんどん無くなってくると「鳴くに鳴けないホトトギス」で本当に「泣けてくる」のだ。
私のまわりでも仕事のほとんどをキャンセルされて「フリーター」状態になっている音楽家がたくさんいる。
とはいっても、世の中全てが自粛ムードになって音楽や芸能一般が世の中から消えてしまって良いわけはない。
「今は音楽どころじゃないよ、ウグイスどころじゃないよ」という気持ちは理解できるけれども、人間という生き物は衣食住を満たす欲求と心の平安の欲求を両方同時に満たさなければ生きていけない動物でもある。だからこそ、音楽やさまざまな芸能が地球上には太古の昔から存在しているのだけれども、こういう現在の日本の社会のような「どん底」の状態から抜け出すためにも誰かが何かをきっちりと行っていかなければならない。
それは、別に特定の誰というわけではないけれども、世の中のさまざまな分野でリーダーシップを持って引っ張っていく人たちが必要な時期なのではないかと思う。
ただ、いつでもどこでも何かを最初にやる人間は「称賛」と「非難」を同時に浴びる覚悟でやらなければ何もできない。
人間は何をやろうがその結果が「称賛」されるか「非難」されるかはほとんど同じ出来事の裏表にしか過ぎないのだから、全てのジャンルのリーダーたちは「うんぷてんぷ」の気持ちでやっていかなければならないとも思う(幸運も不幸も全て天の業で、良い方に転ぶ時もあれば災いに転ぶ時もある、という意味のことばが「運否天賦」だ)。
特に政治のリーダーは、世の中の全ての毒を皿まで食ってやろうぐらいの覚悟がなければ社会も人も導いていくことはできないのではないかと思う。
人の上に立つ人というのはそれぐらいの重い責任と覚悟が必要なはずなのにな?と、ここ最近の世の中の出来事を見ていてつくづく思ってしまうのはけっして私だけではないだろう。