みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

ウグイスの声で

2011-03-27 19:20:30 | Weblog
このところ毎日目が覚める。
毎朝大体6時ぐらいから鳴き始めているらしいのだけれども、寝起きのほとんど頭がうつらうつらの状態で聞いているので「今が一体何時なのか….?」いまいちはっきりしない。
で、結局7時には起きてしまう。

面白いことに、この春先のウグイスの鳴き方というのはまだまだ鳴き方が未熟で、はっきり言うと「ヘタくそ」。
この「ヘタ」なウグイスがだんだん夏に近づくにつれてすごく「上手になっていく」さまを楽しむのが毎年の楽しみでもある。
この春先の時期のウグイスの鳴き声はとっても短く「ホーホケキョ」と鳴くだけで、きれいな声には違いないのだけれどもあまり愛想がない。
聞いているこっちが「おいおい、それだけかよ?」と突っ込みを入れたくなるほどアッサリした短い鳴き声だ。
これがだんだんと最初の「ホー」の部分が長くなり「ホーーーホケキョー、ケキョ、ケキョ、ケキョ」と一人でディレイ(エコー)が入るような息の長いとても美しい鳴き声に変わっていく。
楽器を練習している人の腕前がだんだんと上達していくような感じで、聞いていると楽しくなって「おうい、ウグイス、頑張れよ」と応援したくなってくる。

こんなノンビリした風景の中で生活してはいるのだけれども、震災後の日本の社会はそれほどノンビリとはしていない。
原発の問題にしても、被災者の人たちの生活の問題にしても、ある意味、日本の社会の問題は山積でとてもウグイスの声どころの騒ぎではない。
ただ、私たち音楽家はどちらかというとこのウグイスに近い存在で、毎日練習を欠かさず精進してはいても世の中から音楽の仕事がどんどん無くなってくると「鳴くに鳴けないホトトギス」で本当に「泣けてくる」のだ。
私のまわりでも仕事のほとんどをキャンセルされて「フリーター」状態になっている音楽家がたくさんいる。
とはいっても、世の中全てが自粛ムードになって音楽や芸能一般が世の中から消えてしまって良いわけはない。
「今は音楽どころじゃないよ、ウグイスどころじゃないよ」という気持ちは理解できるけれども、人間という生き物は衣食住を満たす欲求と心の平安の欲求を両方同時に満たさなければ生きていけない動物でもある。だからこそ、音楽やさまざまな芸能が地球上には太古の昔から存在しているのだけれども、こういう現在の日本の社会のような「どん底」の状態から抜け出すためにも誰かが何かをきっちりと行っていかなければならない。
それは、別に特定の誰というわけではないけれども、世の中のさまざまな分野でリーダーシップを持って引っ張っていく人たちが必要な時期なのではないかと思う。
ただ、いつでもどこでも何かを最初にやる人間は「称賛」と「非難」を同時に浴びる覚悟でやらなければ何もできない。
人間は何をやろうがその結果が「称賛」されるか「非難」されるかはほとんど同じ出来事の裏表にしか過ぎないのだから、全てのジャンルのリーダーたちは「うんぷてんぷ」の気持ちでやっていかなければならないとも思う(幸運も不幸も全て天の業で、良い方に転ぶ時もあれば災いに転ぶ時もある、という意味のことばが「運否天賦」だ)。
特に政治のリーダーは、世の中の全ての毒を皿まで食ってやろうぐらいの覚悟がなければ社会も人も導いていくことはできないのではないかと思う。
人の上に立つ人というのはそれぐらいの重い責任と覚悟が必要なはずなのにな?と、ここ最近の世の中の出来事を見ていてつくづく思ってしまうのはけっして私だけではないだろう。

TVもラジオもない生活

2011-03-24 00:06:26 | Weblog
をしていると、世の中の雑音がまったく聞こえなくていいのだけれども、今日は夜に計画停電とやらで夕ご飯を作っている最中にドサっと電源が落ちた。
TVもラジオも聞いていないので計画停電の予定そのものがまったく頭の中になかった。
幸いガスはあるので、調理そのものはできたけれど、懐中電灯と蝋燭の灯りが頼りだ。
これだけ暗いと料理の色がよくわからないのでほとんど勘が頼りの料理だ。
こんな生活がいつまで続くのかと思うけれども、被災地はきっとこんなモノじゃないと思い、「まあ、これも昔の台風の時の停電みたいで面白いか」と思ってやり過ごす。
停電中だと携帯電話のバックライトが明るさがやけに目立つ。
「こんなに明るいんだ」と改めて携帯をながめ、真っ暗な中他にすることもないので携帯メールを次々に打ちまくる(パソコンが使えないと仕事にならないというのも情けない)。
昔は「貧乏人の子だくさん」ということばがあったけど、まあ、要するに他にすることがなくなると子供だけが増えてくるというのは世の中の道理だろう。
戦争中は世の中に男がいないから子供はできないが、戦争が終わるとどの国でもベビーブームがやってくる。
日本の団塊の世代も、アメリカのベビーブーマーもこのせいでできた子供たちだ。
今の少子化は世の中がきっと明るくなり過ぎたせいなのかもしれない、などと変に邪推してみたりする(きっと明るさというのは子作りに関連してるはずだ)。
こうやってどんどん停電の時間と場所が増えてくればきっとまた違うベビーブームが起きるのか?
いや、それは無理だろうな。
社会全体がほとんどTVという悪しきメディアに洗脳されているから、今回の原発の問題でも根拠のない情報で(原子力に関して一体誰が本当の正しい情報を伝えてくれるのだろうか?)「右へ左」の大騒ぎになってとても子作り、子育てなんかに走る余裕はないだろうから。
みんなもTVもラジオも何もない生活をすればいいのに(そうすれば情報に惑わされることもなくなるのに)、とマジで思う今日この頃だ。

人の一生、一寸先は闇

2011-03-18 00:25:15 | Weblog
とは良く言ったもので、人生は想定外の出来事だらけだ。
逆に、想定できるのも困ったものだと思うけど、「何事もなく万事塞翁が馬」みたいな感じにノンビリ生きていきたい人の方が世の中多いはず。
そこに降って湧いた天変地異と人間のegoの落とし子のような原発の騒ぎ。
映画『2001年宇宙の旅』の冒頭のシーンで人間が飛ばしたブーメランは結局人間のエゴの固まりでしかないというオチが今回の原発問題でも良くわかる(「天にツバするものにそのツバは還ってくる」というオチだ)。
人間が「火」というエネルギーを発見して以来人間はその「火」から離れることができなくなってしまった。
人類の歴史は「火」の歴史(あらゆる生物の中で火を使うのは人間だけ)。
「火」は形をいつも変えながら人間に恩恵と災いの両方をもたらし続けている(原発だけでなくあらゆる戦闘の道具は全て火器だ)。
「火」がなければ人間はモノを調理することもできずにゴリラやチンパンジーのように未だにアゴと歯を発達させた顔のままここまで知能を発達させることはできなかったはず。
人間は「火」を使って知能を発達させた結果、「文明」を作る。しかし、同時に、人間はその「火」からいつもシッペ返しをくらっている。
火は常に「諸刃の剣」なのだ。
動物たちは「火」を使うことができないから人間たちの下にいるように見えるけれども、彼らは「火」に隷属することも思い悩むこともない。だから自然と共に生きることができるのだが、人間は絶対に「火」を放棄しないから未だに「火」に悩まされ続けることになる(今回自然が起こした地震と津波が原発事故の原因になったというのも「火」が諸刃の剣ということのある意味象徴的な出来事だろう)。
巨大なマグマという「火」の固まりが地球という星の正体ならば、その「火」の上に住んでいる以上日本人だけではなく全ての人間がその「火」の恐怖に怯えて暮らしていかなければならない。
いつかは大きな地震に被災するかも?という覚悟をしていなければならないのだが、それが自分の一生の間に起こるとは誰しも考えたくはない。
今回の地震や津波に被災した人が「明日の我が身」にならない保証は何もない。
「そんなことふだん考えながら暮らしているヤツなんか一人もいない」と本当に言えるのかどうなのか?
私は、これまで人の暮らしの基本は政治が決めてくれると思っていたのだが、日本の暮らしは結局政治では何も決まらないらしいし(決められないらしいし)、デマや流言が飛び交っていてもそれを交通整理して一喝できるリーダーがどこにもいないのはこういう重大な出来事が起こった時「本当に困ったものだ」とつくづく思う。
人間にあるものは結局「生と死」だけなのに、それを日々の生活や社会にきちんと還元し諭してくれる人間が不在なことが結局は社会や人にとっての不幸の元なのかナ?と今回の天災を見て感じる。
結局は自然の災害などどこにもなく、あるのは人災だけなのか?と思わずにはいられない。

これだけの地震でも

2011-03-13 23:38:16 | Weblog
負けない日本人をみんなで一生懸命証明しつつあるのに、マスメディアの記者たちの質の悪さというか人間性の欠如に腹立たしさを通り越して気分がむかついて吐き気さえ催した。
輪番停電の説明をするための東京電力の記者会見での記者たち(きっとメジャーの新聞やTV局の記者の人たちのはずだ)の質問時のタメ口や最初からケンカ腰のガラの悪い発言など聞いているだけで胸がむかついてきて、この未曾有の非常時にみんな頑張ってるなと思って気分をよくしていた気持ちがいっぺんに吹っ飛んでしまった。
こういう若い記者の人たちはきっと大物政治家や大物官僚にはけっして突っ込みを入れることはできないのだろうけど、東電程度のこ役人ならちょうどいいと思って「正義の味方」気取りでイジメていたとしか思えない。これって小学校のイジメと全く同質。けっしてこわい相手をイジメることはできないけれどイジメやすい相手をみんなでよってたかってイジメまくる。
発電所の事故の問題などでちょっと弱い立場の東電の人たちをイジメることよりももっとしなければならないことが山ほどメディアにはあるはずなのに...。
気分が本当に悪くなる記者会見だった。