と呼ばれる人たちが世の中には一体どれだけいるのだろうか。
妻の恵子もその一人だ。
トールペインティングとは、開拓時代のアメリカで、古くなった家具やブリキ製品、 陶器などを再生させようと彩色して使ったことから一般に広まったとされるクラフトアートの一種で、最近では白木の家具や小物入れ、箱などにアクリル絵の具で絵を描くこととして知られ、カルチュアスクールなどで盛んに教えられている。
恵子は、一昨年病気を発症するまでこのトールペインティングを自宅やカルチュアスクールなどで教えていた。
彼女がデコパージュとトールペインティングに行き着く前にやっていた仕事は、デザイン事務所で絵やデザインを描いたり、帯の会社で着物の帯の下絵を描くことだったりしたので、その意味では、人生のほとんどを絵を描くことに費やして来た人と言ってもいい。
その彼女が脳卒中を発症したために利き手の右手で絵を描くことができなくなってしまった(今のところは)。
そのため、彼女は否応なく左手で絵を描き始めたのだけれどもその数があまりにも多くなり過ぎたために(スケッチブックでその数15冊は越えてしまった)、それを少しずつこのブログで紹介したり、you tube動画にして投稿したりもしてきた。
今回、you tube動画としては2作目になる映像を投稿したが、今回は前回と違って英語でキャプションをつけた。
you tubeというのは全世界的なネットワークなので英語で解説をつけないと理解されにくいと思ったからだ。
rehabilitation picture diary of a Japanese tole painting artist
http://www.youtube.com/watch?v=uMZjDTUUjPc
今日、彼女が所属しているSDP(Society of Decorative Painting)というアメリカのトールペインティング組織の幹部にメールで知らせたところ早速会員へyou tube映像の情報を発信してくれた。
こういう迅速さがアメリカ人の良いところだ。
全米に何千人なのか何万人なのか会員数は知らないけれど、きっとほとんどオバさんたちのネットワークなので瞬く間に広がっていってくれることだろう。
それが良いことか悪いことかはわからないが、アメリカ人の陽気さとオープンさは日本人にはまったく欠如しているところだろうと思う。
もちろん、銃規制に対する頑な態度や未だに世界中に紛争の火種を作りまくっている愚かな行動に「いい加減にしてくれよ」とも言いたくなるが、一方で「正義は正義、良いものは良い」と素直に言える心の広さだけはいつも見習いたいと思っている。
私の留学していた七十年代でさえアメリカのバリアフリーの精神とその実行力には舌を巻いたものだが、バリアフリーという考え方が未だに根付いていない日本の社会との格差はこれから先どれだけ縮まってくるのかなと思う。
日本では、未だにバリアフリーは、「手すりをつけました」「エレベーターをつけました」的な、日本人お得意の「ハード」だけ用意すれば後は知らない的な考え方が先行しているようで時々本当に悲しくなってくる。
バリアフリーというのは、健常者と身障者がお互いに何の気兼ねもなく自由に自立して行動できる状況や社会を作ることなのであって、ただモノを揃えれば用が足りるというものではない。
むしろ、「全ての人がどうバリアなく生きていかれるか」という生きる姿勢そのものがバリアフリーなのだろうと私は思っている。
そういう意味でいえば、人々の「意識」そのものがバリアフリーになるしかないのだが、駅のエレベーターを利用しているのは、相変わらずバギーベビーカーを押す母親たちと健常者ばかりで本当にそれを必要としている人たちが入る余地がない現状では本当のバリアフリー社会が来る日はまだまだ先なのかナという気もして仕方がない。
妻の恵子もその一人だ。
トールペインティングとは、開拓時代のアメリカで、古くなった家具やブリキ製品、 陶器などを再生させようと彩色して使ったことから一般に広まったとされるクラフトアートの一種で、最近では白木の家具や小物入れ、箱などにアクリル絵の具で絵を描くこととして知られ、カルチュアスクールなどで盛んに教えられている。
恵子は、一昨年病気を発症するまでこのトールペインティングを自宅やカルチュアスクールなどで教えていた。
彼女がデコパージュとトールペインティングに行き着く前にやっていた仕事は、デザイン事務所で絵やデザインを描いたり、帯の会社で着物の帯の下絵を描くことだったりしたので、その意味では、人生のほとんどを絵を描くことに費やして来た人と言ってもいい。
その彼女が脳卒中を発症したために利き手の右手で絵を描くことができなくなってしまった(今のところは)。
そのため、彼女は否応なく左手で絵を描き始めたのだけれどもその数があまりにも多くなり過ぎたために(スケッチブックでその数15冊は越えてしまった)、それを少しずつこのブログで紹介したり、you tube動画にして投稿したりもしてきた。
今回、you tube動画としては2作目になる映像を投稿したが、今回は前回と違って英語でキャプションをつけた。
you tubeというのは全世界的なネットワークなので英語で解説をつけないと理解されにくいと思ったからだ。
rehabilitation picture diary of a Japanese tole painting artist
http://www.youtube.com/watch?v=uMZjDTUUjPc
今日、彼女が所属しているSDP(Society of Decorative Painting)というアメリカのトールペインティング組織の幹部にメールで知らせたところ早速会員へyou tube映像の情報を発信してくれた。
こういう迅速さがアメリカ人の良いところだ。
全米に何千人なのか何万人なのか会員数は知らないけれど、きっとほとんどオバさんたちのネットワークなので瞬く間に広がっていってくれることだろう。
それが良いことか悪いことかはわからないが、アメリカ人の陽気さとオープンさは日本人にはまったく欠如しているところだろうと思う。
もちろん、銃規制に対する頑な態度や未だに世界中に紛争の火種を作りまくっている愚かな行動に「いい加減にしてくれよ」とも言いたくなるが、一方で「正義は正義、良いものは良い」と素直に言える心の広さだけはいつも見習いたいと思っている。
私の留学していた七十年代でさえアメリカのバリアフリーの精神とその実行力には舌を巻いたものだが、バリアフリーという考え方が未だに根付いていない日本の社会との格差はこれから先どれだけ縮まってくるのかなと思う。
日本では、未だにバリアフリーは、「手すりをつけました」「エレベーターをつけました」的な、日本人お得意の「ハード」だけ用意すれば後は知らない的な考え方が先行しているようで時々本当に悲しくなってくる。
バリアフリーというのは、健常者と身障者がお互いに何の気兼ねもなく自由に自立して行動できる状況や社会を作ることなのであって、ただモノを揃えれば用が足りるというものではない。
むしろ、「全ての人がどうバリアなく生きていかれるか」という生きる姿勢そのものがバリアフリーなのだろうと私は思っている。
そういう意味でいえば、人々の「意識」そのものがバリアフリーになるしかないのだが、駅のエレベーターを利用しているのは、相変わらずバギーベビーカーを押す母親たちと健常者ばかりで本当にそれを必要としている人たちが入る余地がない現状では本当のバリアフリー社会が来る日はまだまだ先なのかナという気もして仕方がない。