みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

I am still here, come find me!

2013-10-09 10:40:41 | Weblog
このことばは、ある英国の「アルツハイマー患者の叫び」という風に伝えられていることばだ。
おそらく本当は誰が言ったのか、あるいは本当にこのように言われたのかも定かではないだろうが、この叫び、英語だろうが日本語だろうがどんなことばであったとしても、身体と心を病んだ人たちの叫びとして普遍的に通用することばだと私は思っている。
認知症の人たちや自閉症などの人たちをまともな会話もまともな認識もできない人たちと誤解している人たちは世の中にたくさんいる。
つまり、彼らをまともに相手しても無駄ぐらいに思っている人も多いのだ。
おそらく、この認識(もちろん、間違った認識だが)そのものが認知症対策を遅らせてしまっている原因の一つなのかもしれない。
「こっちの言ってることなんかわからないんだから、何言っても無駄だよ」というような意識は、ある意味、さまざまな理由でベッドに寝たきりになっている「植物状態」の人たちに対しても抱きがちだ。
そんな意識をほんのちょっとでも持っている人たちは、映画『ジョニーは戦場に行った』や『潜水服は蝶の夢を見る』を観ると良いかもしれない。
戦争で両手両足をもがれことばも失ってしまったジョニーは、病院のベッドで医師たちの実験台として生きながらえさせられている状態を嘆き「私を見せ物にして世の中の人に戦争の悲惨さを伝えて、でなければ、すぐに殺して」とモールス信号で訴えるが、その「叫び」は結局無視され永遠の暗闇の中に閉じ込められてしまう。
「私はまだ生きているよ。私を早く見つけて」と叫んでいるはずのジョニーだが、結局彼は「生きることも死ぬこともできないまま」、誰からも見つけられることがない。
一方、フランス映画の『潜水服は蝶の夢を見る』の主人公(雑誌『ELLE』の編集長)は脳卒中で植物状態になるが、幸い彼を治療する言語聴覚士が「閉じ込められた」彼の意思を見つける方法を発見する。
患者のまばたきでアルファベットを拾う方法を考えついたセラピストの必死の努力で患者は最終的に自伝を出版するまでになる(これも『ジョニー』同様に実話を元にした映画だ)。

妻の恵子も時々この意識の「閉じ込められた」状態になっていることがよくわかる。
彼女の中にあった「過去」や「意識」は、彼女の左脳の出血によってその全てではないかもしれないが一部確実に閉じ込められている。
彼女自身それを引きずり出そうともがくことで逆に、彼女は、自分自身の身体や心のバランスを損なってしまう。
それがわかっているからこそ、彼女の左脳は右脳に助けを求めるがまだ右脳はそれをしっかりと助けるだけの能力をまだ回復していない。
そんな「もがき」を、私は常に彼女の中に感じている。
おそらく、大多数の認知症患者の人たちもそんな「もがき」を多かれ少なかれ持っているのではないだろうか。
自らの脳卒中体験を語って世界中に影響を与えている脳科学者ジル・ボルト・テイラー女史の言うように、左脳が人間の「エゴ=自我」を作り出している場所だとすれば、人類の歴史はこの左脳の「エゴ」が作りだしてきたもの。
だからこそ、人類の歴史は争いの歴史だったのかもしれない。
あまりにも言語によるコミュニケーションにばかり頼り過ぎた私たちは、「言語で理解できないこと」は全て排除し、認知症患者とのコミュニケーションを最初から「不能」にしてしまう。
これは、私たちがあまりにも言語によるコミュニケーションに頼り過ぎてきたせいだろう。
たとえ言語の受け答えがトンチンカンでもやはり人は「そこにいる」のだ。
だからこそ、彼や彼女の「心」を探し出す役割は私たちの側にあるのだと思う。
65歳以上の高齢者の七人に一人が認知症になるなどとメディアは盛んに私たちに脅しをかけるが、これはことばを換えれば、七人に一人が「言語でコミュニケーションが取れなくなる可能性のある人」ということだし、どこかに私たちの意思がそれだけ多く「閉じ込められてしまう」可能性があるということを示唆している。
だとしたら、この「閉じ込められてしまった」人の意思を、誰がどうやって解放してあげれば良いのだろうか。
認知症患者はバカじゃないし、自閉症患者だってバカじゃない。
でも、そうは思ってない人も世の中には多い。
認知症というのは、単に脳が縮んでしまっただけの結果ではないだろうし(脳の画像ではそう見えるが)、ある意味、左脳による言語化ができないだけの状態かもしれないし、ことばも記号も認識できにくくなっているだけで、さまざまな事象も人間もことばも右脳で体感しているのかもしれない。
晩年のラベルは、ピアノの演奏も普通にできたし作曲もできたけれど、新しい曲の楽譜を読んだり音の名前を言ったりする言語化(=記号化)はできなくなっていたという。
きっと、晩年のラベルの脳でもことばや音符という記号が「閉じ込められて」しまっていたのだろう。
しかし、それでもラベルの意識はちゃんとそこにあって「私はちゃんとここにいるよ」と言っていたはずなのだ。
だからこそ、彼は、晩年にあんな名曲『ボレロ』を私たちに残すことができたのではないだろうか。

右脳と左脳

2013-10-02 17:45:58 | Weblog
ここ数ヶ月、恵子の精神状態が落ち着かないこともあって家での自主トレは思うようにはかどらなかった。
私の目には「退歩」としか写らないようなそんな状態だった。
しかし、それでも通院先の理学療法士も作業療法士も口を揃えて言う。
「恵子さんの身体は、いっけん退歩してみえる部分もありますが、基本的な筋力も力も少しずつついてきていますよ。きっと、それなりに努力して身体を動かしているんでしょうね」。
実際、恵子はベッドの上で彼女なりに身体を動かそうと努力していた。
じっと寝ていることがリハビリには一番良くないこと、という療法士のことばをひたすら信じ彼女なりの努力を怠ってはいないのだ。
しかし、この数ヶ月彼女の精神状態はとても不安定だった。
それまでの入院生活でも退院後の自宅療養でもまったく転んだことがないのに春先から立て続けに何度も転んだ。
彼女の家族から、「実家を数年後に処分するので自分の荷物を片付けていくように」という連絡をもらった直後からだった。
以来、彼女の頭の中は「何か」に支配され取り憑かれ自分で自分の身体をコントロールしなければならないリハビリにまったく身が入らないようになっていた。
と同時に、なぜ自主トレを以前と同じようにしっかりやらないのかと叱責する私のことばに「天気が変だから」とか「クスリを今たくさん飲んでいるから」といった「言い訳」をするようにもなっていた。
明らかに、彼女の脳は何かに「負けて」いるようだった。
しかし、私にはその「何か」の正体がよくわからなかったのでその「何か」を「頭のゴミ」と呼ぶことにした。
「恵子の頭の中には今どこかにゴミが詰まっているんだよ。そのゴミを取りさえすれば、きっと恵子の身体はいっぺんに動くようになるし、転ぶこともなくなるし、もっとちゃんと寝られてトイレを失敗することもなくなるよ」。
そう。彼女の異変は精神の不安定さだけではなかった。
今までまったく失敗することのなかったトイレにも時々失敗するようになっていた。
ただ、それも大騒ぎするほどの失敗ではない。
軽い尿失禁を訴える女性は世の中に数多くいる。
そんな程度だったが、それでも彼女には初めての出来事で「自分が壊れていく…」とパニックになっていた。
夜中に突然「新しい下着出してちょうだい。濡れちゃった」と泣き声で私を起こす。
そのたびにあわてて彼女の下着を探し、汚れてしまった下着とパジャマを洗濯機にかける。
夜中だろうと洗濯機の音に気兼ねするような近所がまったく存在しない別荘地なのが幸いだ。
そんな時私は、「きっとこれはクスリのせいなのでは」とトイレの失敗の原因をクスリに求める。
薬の本やネットで情報を集めてその原因と結果を無理矢理こじつけようとするが、薬剤師でも医師でもない私に真犯人を突き止めるだけの根拠はない。
そんな私の言動を観ているのか、恵子も「きっとあのクスリのせいなのかな」と私に同調しようとする(きっと「犯人」を見つけて気持ちを落ち着かせようとしているのだろう)。
それでも少しずつ元の調子と身体と心を回復しかけていた今朝、私は、また彼女の叫び声に呼びだされた。
それは、朝食を食べ終わり、私が恵子とは別の部屋でパソコンに向いながら仕事をしていた時だった。
彼女が私の名前を呼ぶたびに私はギクっとし、あわてて「何事か」と彼女の部屋に駆けつける。
私が彼女のベッドの側まで行くと彼女は大声で泣いている。
聞くと、涙が止まらないのだという。
実は、彼女が「涙が止まらない」と訴えるのは二度や三度ではなく日常的に起こることだった。
もちろん、担当の医師にもその症状は訴えていた。
食事をしていても彼女は「また涙でてきちゃった」と言って食事を中断してベッドに横になる。
きっと食べ物の「匂い」の刺激が目に作用して涙を誘発してしまうのだろう。
あるいは、「外の光がまぶしいからカーテン閉めて」と言って光の刺激によっても「涙目」になると訴える。
刺激は匂い、光だけでなく、冬の寒さでも彼女の涙はとめどなく誘発されていた。
この涙こそが私と彼女のリハビリを阻む最大の「敵」でもあった。
退院して以降ずっと悩まされてきた最も重要な「課題=後遺症」の一つと言ってもよいかもしれない。
ただ、この「涙目」、私たちを悩ませている「厄介者」であるのは確かなのだが、それが何十分も続くわけではなく、その症状はいつも数分で収まってしまう。
なので「まあ、そのうち身体の回復と共に治ってしまうだろう」ぐらいのつもりで私たちも医師も対処してきたのだった。
だから、今朝彼女が訴えた「涙目」もその現象の一つだと思っていたら、彼女が意外なことを言い始めた。
「食べ物のせいなんかじゃないよ。お母さんのこと思い出したら涙が止まらなくなっちゃったの」。
ああ、そうか、今日10月2日は彼女の母親の命日だったんだ。
五十年近く前に実母を亡くしている私でさえ時に母のことを思い出し涙することがある。
恵子の母が亡くなったのはまだほんの5年前のことだ。
記憶が鮮明に蘇ってきたとしても何の不思議もない。
しかし、私が不思議に思ったのはそれに続く恵子の次のことばだった。
「いつもこの涙目、光とか食べ物の刺激とか言ってるけど、きっとそれだけじゃないんだよ。私がそうやって家族のこととかいろんなことを思い出しているから涙が止まらなくなっちゃうんだよ」。
私は、彼女のそのことばに軽く頷き、彼女に問いかけた。
「ああ、そうなんだ。それじゃあ、どうしたらそれは治るのかな?」。
私は、返ってきた答えに仰天した。
「右側がちゃんと言うこと聞かせれば大丈夫だよ。右側はまだちゃんと動かないし左側にばっかり頼ってるから感情も動作もコントロールできなくなっちゃうの」。
彼女のこのことばは、私が以前読んだアメリカの脳科学者で自分自身脳卒中にかかりその体験を『奇跡の脳~科学者の脳が壊れた時』という本に著したジル・ボルト・テイラー女史のことばにそっくりだったからだ。
テイラー女史も、左脳の血管が破れ右側の麻痺を長い間苦しみ数年後に完全回復した人だった。
彼女の脳科学分野での活躍は目覚ましく、2008年の雑誌タイムの選ぶ「世界で最も重要な人物100人」の一人に選ばれたほどの人だが、彼女の脳卒中に対する見解は他の患者とは一線を画すとてもユニークなものだった。
テイラー女史曰く「脳の左半球は自我を意識して自我を主張するところ。それに対して、脳の右半球は全てが宇宙的で時間も空間もただただ広く崇高な意識を持つところ」だと主張する。
私は、最初テイラー女史のこの意見を聞いた時、あまりのユニークさと科学者らしからぬそのスピリチュアルな見解に驚いたのだが、今朝恵子もテイラー女史とまったく同じことを別の表現で私に説明しようとしていた。
私は、その真偽を確認しようと「それって脳の右側が言うことを聞いてくれないってこと?」という質問を恵子にぶつけた。
すると「そうだよ。お母さんのことを思い出しちゃうのも左側だから、それを『落ち着け、落ち着け、ゆったりと何も考えない方がいいよ』と右側がなだめようとするんだけどダメなの。勝手に左側が暴走しちゃうの」という答えが返ってきた。
テイラー女史は、インタビューや講演のたびに「だから、人が右脳でもっと意識をコントロールするようになれば、世界はもっと平和になり穏やかな世の中が作っていかれるようになるのです」と締めくくるが、恵子がずっと悩まされている涙目も実は左側の脳があまりにも家族のことや家族の問題を意識し過ぎるために勝手に暴走し、右側がコントロールできなくなり結果として「転倒」や「失禁」につながっているのではと恵子自身分析しているのだ。
私には、ハーバード大学やMITなどで脳解剖学や脳科学を研究する最先端の脳科学のことはよくわからないが、テイラー女史の言うような「右脳と左脳の完全なる役割の違い」については何となく理解できるような気もする。
だとすれば、脳卒中発症以降の恵子の「音楽」への関心や逆の意味での「右脳の暴走による身体と心の障害」といったことも説明がつくような気もする。
一般にこれまで説明されてきた「左脳は言語、右脳は感覚」みたいな役割分担は、テイラー女史の説明とは矛盾していない。
しかし、人が「言語」をメインのコミュニケーションツールとして進化してきた過程で「非言語コミュニケーションツール」である音楽や絵画、自然などの感覚部分はその重要性がどんどん失われてきてしまい、二十世紀からこの方は言語を越えて「マネー」や「ネット」が言語化して世界を支配しようとさえしている現実に直面する。
そんな時代だからこそ、恵子の言うようなこと、あるいはテイラー博士の言うような右脳による「非言語コミュニケーション」の重要性はもっともっと介護や医療の現場で大切に語られるべきなのではないだろうかと思わずにはいられない。
(ジル・ボルト・テイラー博士のことをご存知ない方は、女史のエキセントリックな主張や体験談を以下のTEDチャンネルの講演で聞くことができます。日本語の字幕つきです)
http://www.ted.com/talks/lang/ja/jill_bolte_taylor_s_powerful_stroke_of_insight.html