みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

1月に行った富山への旅行と

2010-05-09 07:49:40 | Weblog
全く同じコースで今回は金沢へ一泊の演奏旅行に行く。

友人の写真展イベントの一環でのコンサートだったのだが、会場のあまりの響きにちょっとアンサンブルに関しては「どうだったのか?」とあまり自信がない。
まるでお風呂の中のようなリバーブの中演奏するのはお客さん的にはきっと気持ちのいい感覚なのだろうが、演奏する側にとっては音そのものと自分との距離があり過ぎて時々コントロール不能になるからだ。
だから、自分一人でソロをやる時は「気持ちいい」だけで済むのだが、ひとたび何か別の楽器と合わせようとすると音が紐の先で勝手に飛んでいって紐を一生懸命手繰り寄せないと音は自分勝手な方向に飛んでいく。
まあ、そんな感じだ(今回はチェロとの共演だったが)。
とは言っても、音楽家はどんな環境どんな響きのところでもそれなりの演奏をする義務があるわけで、その最低限の義務ぐらいは果たせたような気はする。

今回は、金沢に住む旧くからの友人に久しぶりにゆっくり話ができたのが嬉しい。
金沢で一級建築士としての仕事や数々のイベントを手掛けてきた人だが、私が彼と会ったのもかなり昔のあるイベントだった。
おそらく何かホテル関係のイベントには違いないのだが実際のイベントが何だったのかはよく思い出せない。そんな昔の話だ。
ただ、今回の彼とのミーティングでも感じたのは、町おこし、村おこしなどの地方のイベントに関わる時の難しさだ。
地元の人間とそうでない人との温度差はもちろんのことだが、それ以上に、人がいかに既得権益というものにしがみつきたい動物かということを理解しないとコトはうまく進まないということがよくわかる。
もともと人間は保守的にできているのに、最近は地方と都会の格差(というより巨大資本とそうでないところの差だろう)が進むと同時に、環境や価値観のまったく違う市町村を無理矢理合併させるものだから地方がますます疲弊してしまう。
人口500人の村と5万人の町がくっついたらどんな結果が出てくるかぐらいが想像ができないのだろうか...?と思う。

金沢クラスの都市でもそういった問題がたくさん起こっているという。
Uターン組が作った若者の街も今は既に疲弊し始めているという(バブル期に不動産、金融の甘い誘いに乗ってアウトレットっぽい街を無理矢理作ったせいなのかもしれない)。
私の住む伊東市などはもっと深刻な問題があるのだろうが、やはり人は自分自身の問題にならなければそれをあまり問題と捉えるようにはならないのだろう。
以前富山でも同じような問題を話した時も感じたことだが、いくらみんなが建設的な意見を言ってもそれをまとめあげる人がいない。
そして、結局、企画は企画倒れに終わってしまう(かもしれない)。
何とも歯がゆいこの状態を何とかして欲しい。
だから、既得権益を守りたい年寄りは相手にせず、もっと若い人たちが積極的に動いてくれるといいと思うのだが、その若者も実際はあまり動かない(情報収集だけは早いのだが)。
動かなければ人間前に進むことはないのだが、前に進むことをなぜゆえに怖がるのだろう?
失敗を恐れるのだろうか?

人間は失敗からしか学ばないもの。
成功は人を慢心させるだけだ。
昨日と今日が同じ人生なんて私には到底考えられないし、ましてや今日と明日が同じだなんて… 考えると気が狂う(笑)。