というタイトルのニュース記事を読んで、ホント不思議な国だなと思った(ホントは、ニュースネタでブログなんか書きたくないのだが)。
この国では、未だに「奨学金はローン」という意識の共有があるのだろうか。
私は、アメリカの大学の学部と大学院をほとんど奨学金だけで卒業した。
でも、そのお金を1セントたりとも返した覚えもないし、「返せ」と言われた覚えもない(実際、奨学金をいただけなかったら私は絶対にあの国で勉強することはできなかったはずだ)。
アメリカで同じような形で(奨学金をもらって)勉強していた人たちはみんな同じ感想を持つはずだ。
「奨学金とローンは違うぜ」と。
大学では、公的な奨学金から私的な奨学金(個人や企業がお金を出す奨学金がたくさんある)までさまざまな形で応募することができるし(個々の大学で、そこにしかない奨学金もあるし、その額もピンからキリ)、成績が優秀なら本当にほとんどお金をかけずに勉強することのできる教育体制があの国にはある。
だから、世界中から優秀な人間が集ってきてあれだけノーベル賞学者を量産するができるのだろうし、日本人でノーベル賞を取った学者先生たちもほとんどこのアメリカの教育制度のお世話に(少なからず)なっている。
日本の企業や国としてのパワーがどんどん落ちているのって、こんなところにも原因があるのじゃないのかナと思う。
なので、私には、「奨学金はローン」という意識はまったくない(最近国が言い出した「返済不要の奨学金」というのはことば自体が矛盾している)。
アメリカにももちろん大学生用のローンはあるし、その窓口はいつでも開かれている。
ただ、日本と決定的に違うのは、「学年制」というものがないために、学生はいつでも学校を休んで社会で働き、学費をためてまた学校に戻って来ることができることだ。
こんな学生がアメリカのキャンパスにはごろごろいる(40代でまだ60単位ぐらいしか取れていない男子学生も何人か知っていたが別にアセっている風にはまったく見えなかった=こういう学生はほとんど男性。女性は優秀な成績でさっさと卒業してしまう)。
日本のように、表ウラで8年で大学を卒業しないといけないなどというバカげた制度もないし(ホントにそんな制度あるのかナ)、大学に入るのはいつでも自由。
卒業するのもいつでもどうぞ(何年かかっても一定の単位数させ取れば卒業できるわけだから)、という体制こそが本来の大学にとって望ましい制度なのではと思う。
(この国も)そうでもしない限り、明るい未来はないのでは…..。
ましてや、奨学金破産….って、オイオイ、なんでだよ(?!)。
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