みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

いつの間に

2016-03-03 18:03:59 | Weblog

こんなことができるようになったんだろう?というようなことを最近よく発見する。

買ってきて置きっぱなしにしてあった(5箱ぐらい1パックになっている)ティッシュペーパーの外袋を破って中身を一つ出していたり(外袋のビニールはけっこう薄いものだがそれでも彼女が片手で破くのはシンドイはずだ)、30リッター程度のゴミ袋をトラッシュボックスの中にきちんと敷き詰めていたりと、「一体いつの間に」と思うようなことが多くなってきた。

一つ一つは本当に他愛のないことでも、(私としては)もちろん嬉しい。

だが、一方でこれまできちんと日課にしていたリハビリ課目をあまりやらなくなっていたり、いつまでも「介助箸(二つの箸がバネでつながっている麻痺のある指でも持ち易いようにできている箸)」やプラスチックのスプーンを使っているので、この前は思いきってその介助箸を隠してしまい、普通の箸を彼女の目の前に置き、「あの介助箸はもう使わないようにしな。ちゃんと普通の箸で左手で食べるように」と厳しく命令した。

「その代わり、俺も左手だけでご飯食べるから」。

恵子が左手だけで(普通の箸で)ご飯が食べられるように私自身にも同じハンデをつける。

こうすれば、彼女も自分だけが苦しいわけではないという気持になれる(だろう)。

介護でも看護でも、人をケアする時大事なことはバランス。

相手目線にたって、「やってあげる」こととあえて「助けない」ことのバランスを保つことが大切だ(そうでないとかえって自立への道が遠くなる)。

「飴とムチ」のどちらか片一方だけでは絶対にダメだということだ。

私は、(自分で考えても)彼女に対してほぼ90%飴しか与えていないように見えるのだが、たまに意図的にムチを打つことがある。

意図的に辛くあたる。

それこそ「そんなこと言われたら立ち直れないでしょ」というぐらいのひどいことを言ったりする。

そんな時彼女は本気で泣き出すが、一方で(私の心の中では)「いや、恵子はこれで絶対にやる気を起こすはず」と確信している。

叩きのめされると「なにくそ」と頑張る彼女だということを知っているからこそあえてそういう戦術に出るのだ(実際そうなる)。

もしそのままダメになるような彼女だったら私もそんなヒドイことまでは言わない。

ある意味、病気になってからずっと続けている「心理ゲーム」のようなものかもしれない。

私の「脳」と彼女の「脳」の闘いだ。

人と人とがつきあっていく、コミュニケートしていくということは、お互いの「心理戦」以外のなにものでもないと思う。

もちろん、そこでお互いに甘いことばをささやきあったり、ののしりあったりするのもお互いの心と心のぶつかりあいなのだが、その心の根底に何があるかが一番問題だと思う。

私が彼女をほめるのも、ののしるのも全部「彼女を一日も早く回復させたい」「ハッピーな日常を作っていきたい」がため。

なので、あえて強制的に「普通の箸」しか使わせないようにしたり、心理的にダメージを与えるようなことを言ったりする。

それもこれも、彼女の心理を見抜いているからこそ。

彼女は「負けない」。

そう信じているからこそそうするのだけれども、そんなこんなを続けているうちに、彼女も「いつの間にか」できることが本当に増えてきているんだナと実感する。

何か「子供の成長」を見守る親のような心境なのかナ、これって(笑)。

 

今日はひな祭り。

二人でちらし寿司を作る。

酢メシと具は私が作り、それらのトッピングをすべて彼女にアレンジして飾ってもらった。

後は、ひなあられとお茶で、今年のひなまつりは終わり(ダナ)。