みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

音楽と病気

2016-06-29 08:21:20 | Weblog

の関係について本を書こうと、数年前からいろいろ調べている。

本を書く時いつも気をつけていることがある。

それは、あまりタイトルとか目的にばかり囚われないということ。

そうでないと、最初から結論ありきでそのためのデータばかりを積み上げてしまいがちになるからだ。

例えば「この病気になる音楽家にはこうした共通の要素があった」みたいな推論を最初にたててしまうとどうしてもその「結論」に持っていこうという意識が知らず知らずのうちに働いてしまう。

出版社の人たちは、本の帯に「作曲家はみんな認知症だった!」なんてコピーを書きたがる。

「そんなのウソに決まってる」と思っていてもつい本を手に取ってしまう人の心を知っているからだ。

そうした「釣り」を世の中は宣伝の手段として効果的に使う(特に、ネット社会ではその手法を一般の人たちまでが使うからかなり「トホホ」だ)。

最初から結論や結果ありきだと、当然のことながらデータの偽造やえん罪などが起こるリスクが増す。

製薬データ、燃費データ、冤罪云々にしても人の命にかかわることだという意識を持っていれば「そんなこと…ダメ」と常識的には考えられるはずなのだがそれでもこうしたことを人は常に繰り返す。

それは、別の見方をすると、人間が細かいところを掘り下げていけばいくほどまわりのことが見えなくなってしまうからなのでは….。

ある種、人間のサガの一つと言えなくもない。

常に「俯瞰で全体を見ながら細部の顕微鏡的考察をする」というような思考や論理はあくまで「理想」であって、それができる人はそれほど多くはない。

病気も、人間の身体や精神のある一部分の異常といった視点で考えると「大変!」とか「絶望!」とかいった方向に行ってしまうけれども、もっと大きな視点(つまり俯瞰的な視点)で考えれば「ふ〜ん、そうだったのか、手が動くことって別に当たり前でも何でもないんダ」という簡単な事実がわかる。

これがわかるだけでも病気に向き合いやすくなる。

未だに手も足も自由には動かない恵子と毎日一緒に生活しているとわかってくることがたくさんある。

毎日彼女が寝る前に足湯をする。

(自宅の)温泉を大きなたらいに入れてベッドサイドまで持っていき足のマッサージをするのだ。

彼女は毎日お風呂に入ることができないのでせめてもの代用品(としてやっている)のではなく、これもリハビリの一つとして積極的にやっている。

昨日も彼女に足湯を浸からせながら筋ジストニアで右手が動かなくなったピアニスト、レオン・フライシャーの話しをした。

ボツリヌス菌をほんの少量身体に注射するボトックス治療のおかげで彼は演奏活動に復帰できたんだよ、云々。

でも、この話しは「だからボトックス治療しようよ」と彼女に勧めているわけではなく、逆に「フライシャーの病気と恵子の病気は根本的に違う病気なのだし他の条件もまったく違うんだから、別にそれをやったからといって同じ効果が現れるわけじゃない。

だから、ふだんの地道なリハビリを頑張ろうよ」という意味での問いかけだった。

以前投与を続けていた筋弛緩剤の服用を再開したが、またすぐにやめた。

やはり副作用の方があまりにも多いので薬は飲まない方が良いという結論になった。

だったら最初からその薬服用しなきゃ良かったじゃないかと言われそうだが、人の機能が当たり前の状態にない人間は、それを元に戻そうと必死になる。

それこそ、「溺れる者、藁をも掴む」のも人間のサガの一つであることも間違いない。

結果、ダメだった。じゃあ、今度は違うやり方を探そうかと常に前を見て生きていかなければならない(と私は思っている)。

こうした「生き方」そのものや人間としての「当たり前」の意味を教えてくれるのも、ひょっとしたら病気というもののなせるワザなのではと最近よく思う。

作曲家ラヴェルが晩年に認知症になり、作曲もできたしピアノも弾けたにもかかわらず楽譜を読むことがだんだんできなくなったことを知り「ああ、そうなのか。音符を読むのもことばを読むのも脳の中では同じ機能なんだナ」ということがわかる(音を聞いているのは右脳の働きだが、音符やことばを記号として理解するのは左脳の働き)。

では、ラヴェルは認知症に罹患して以降音楽家として無能になってしまったかと言えばけっしてそんなことはない。

逆に、彼は、認知症になってから死ぬまでの25年間の方が音楽史に残る名曲をたくさん残したわけで、世の中の認知症の患者だって、別に新聞が読めなくなったからといって、昨日食べたものを覚えていないからといって「人間として終わった」わけではけっしてない。

そこを「終わった」ことにしてしまう現在の認知症に対する考え方そのもの(というか、メディアの報道の仕方かナ)が一番の問題だし、病気や健康の意味をもうちょっと別の視点から考えてみる必要があるんじゃないだろうかと思っている。

病気じゃない人間なんて一人も存在しない。

それぐらいラフな(いい加減な)考えから病気と向き合っていく方が、人はもっと楽に生きていかれるんじゃないのかナ。


認知症カフェは成功するか

2016-06-12 10:52:02 | Weblog

数年前から始まり最近日本全国で急に盛んになり始めた認知症カフェ。

その必要性と居場所作りに行政がやっと本腰を入れ始めているようだ。

でも、私が今住んでいる静岡県のI市というのは全てにおいてスローな場所(というか、私には緊張感も危機意識もまったくないような場所にしか見えないのだが)。

なので、ここで起こることは私にしてみれば「何を今さら」ということばかり。

私が認知症カフェに関心を持ちいろいろセミナーに出席したり実際に名古屋とか大阪のカフェを見学に行ったのもはるか遠い昔だ。

 I市よりもはるかに人口の少ない近隣の小さな行政区でも既に(認知症カフェを)始めている。

という現状を見てI市もやっと(カフェを)作るのかと思いきや(調査のために)違う市まで見学に行くのだと言う(なんだ、たったそれだけかい?)。

先日そのお知らせが来た。

ただ、これも「?」だらけのお知らせ。

一緒に行きたかったら何月何日に市役所の前に集合して「自分の車でついてきなさい(もちろんこんな口調ではないけれど)」という上から目線のお達し。

う~ん?何? 見学したかったら自分の車で追いかけてこい?

ばかも休み休み言え、ダ。

この町の役所のやることというのはどこまでずれているのだろう(役所ならマイクロバスぐらい納税者のために出しなさいヨ)。

私は、以前の市内で自腹をきって「認知症カフェ」の新しい形を実践したことがある(レストランのオーナーに話しをして14、5人の認知症患者、あるいはその予備軍の人たちのための音楽カフェを市の援助なしでやった)。

これを実施する前の行政の言い分はこうだった。

「(他にもいろんなことをやっている人や団体がいるので)市はアナタ一人の要求を聞いているわけにはいかない」。

ふ~ん、私が認知症の音楽カフェを自分の私利私欲のためにやっているとでも言いたげな口調だ(この市の高ビーな対応は、公営ギャンブルの収益が多いからなのだろうか)。

最近話題の東京都のM氏は、随分前に「私は自分の親の介護をこれだけ一生懸命やりました」と大いばりで言っていた。

瞬間、私は「ウソだ!」と思った。

ちょっとでも本気で介護に関わったことのある人ならM氏の言う介護が口だけだということを瞬時に見抜けるはずだ。

介護は決してきれいごとでは済まされない。

文字通りさまざまな汚物(精神的なものも含めて人間の吐き出すあらゆる汚物がそこに垂れ流される)と格闘して人としての「普通の生活」を懸命に維持していこうとするのが介護。

それだけの覚悟と実践を経験した人のことばとは思えないほど(この人の)ことばは表面的にしか聞こえてこなかった(でも、介護経験のない人にはM氏のことばはかなり美しく「感動的」に聞こえたかもしれない)。

 

翻って認知症カフェそのものの考えは別に悪いことではないけれど、月に一回、週に一回だけの居場所を作って一体何が変わるのかナと思う。

今の認知症カフェって「時限的に」空間を作り出して講演聞いたり勉強会やったりイベントやったりするだけのモノなので、私は、その意味ではあまり評価していない(というか、ほとんど評価していない)。

お茶を飲んで話しができるから「カフェ」と言うのだろうか(カフェって、いつ行ってもお茶が飲めて、カフェごはんが楽しめる所じゃないの?)。

だったら「認知症カフェ」と「老人クラブ」は一体どこが違うのだろうか。

そう。私がずっと介護の仕事や介護関係の人たちと話しをしていて一番感じる違和感は、介護を「老人問題」だと決めつけていることだ。

絶対に違うと思う。

介護というのは、北欧の福祉システムがそうなったように、「ゆりかごから墓場まで人はどうやって生きていくか」という文脈で考えない限りその本質は絶対に理解できない。

この一番肝心な部分に北欧はいち早く気がついたからこそ、今のような充実した介護システム、福祉政策を実行できているのだと思う。

今私は個人的に、お産、保育、子育ての方により強い関心を持っている。

だって、人生はそこから始まるのだから、その部分から「看取り」までの一環した流れを作っていかない限り介護問題の解決なんて遠い夢のまた夢なのではと思う。

 それに「居場所」というのは、本来「自分」で見つけるもの。

自分の居場所がないからその場所を他人や行政が作ってあげる。

うん?

違うと思う。

自分をなくしてしまった人(=認知症の人)だから自分を見つける場所(自分がいられる場所)を提供してあげる。

これも違うような気がする。

実際に認知症の患者と日々接している人たちでも「(認知症患者は)何もわからない」という言い方をする人は多い。

何もわからないって誰が決めたの?

ぼうっと遠い目をした人たち(認知症患者の人たち)は、本当に「何もわかっていない」のだろうか(誰だってそんなことぐらいいくらでもあるじゃない)。

それに、「わかる、わからない」のボーダーラインってどこにあって、誰が決めるのだろうか。

四六時中、24時間「私」が問いかけるたびに「私がアナタの娘である」ことを認識できていないと、子は親を親として認めないのだろうか。

1日のうち10分でもわかっていれば「わかっている」でいいんじゃないの。

どうしてもっと自分の親に優しくできないのかナ。

愛のない介護なら(そんなもの)ドブに捨ててしまった方がマシだと思う(今は、ドブすら存在しない世の中だけどネ)。


シミ抜き

2016-06-07 08:56:09 | Weblog

冬物の衣服を整理し夏用の薄めのジャケットを取り出して「ヤバ~っ!」と思った。

ふだんからちゃんと手入れをしておけば何でもないものの、ジャケットの表面にシミが数カ所。

うん、このままじゃあ着ていけない。

早速ベンジンを買いに走った。

かつて祖母がベンジンを使ってシミ抜きをしていたことを思い出したからだ。

染み抜き用ベンジンとして百数十円で売っていた(未だにこんなに安いんダ!)。

綿に染み込ませたベンジンで丁寧に拭いていきシミをきれいに取り去ることができた。

ふだんやっているアイロンがけのやり方も卵焼きの作り方も祖母のやっている姿を思い出しながら真似ている(真似ているというか「オレの方がうまいゾ」と未だにおばあちゃんと張り合っているだけなのだが)。

祖母が元気で家事をやっていた時の姿が、ある意味、私の手本で師匠。

いわゆる「おばあちゃんの知恵」を使いながら今を生きている自分の姿に時々ビックリすることもある。

小さい頃よくオデキをこしらえては赤く腫れた私の傷口に祖母はキャベツの上で焼きシナ~となったドクダミの葉をクスリとして使っていた。

するとたちまち膿が吸い出され傷口が完治するというこの民間療法を、それが必要なくなった今でもドクダミの花を見るたびに思い出す。

そういえば、巷で売っている健康茶の類いには(たくさんある成分の一つとして)必ずドクダミが入っている。

核家族になって年寄りと同居しなくなった現代の生活にはこうしたものはきっとなかなか受け継がれていかないんだろうナと思う。

しかも、そうした「おばあちゃんの知恵」は家庭の中にあるわけじゃない。

その多くが施設の中で「眠っている」。

認知症と言われているおばあちゃん達にそんな話しをふるとけっこうすごいリアクションが返ってきて盛り上がる。

施設スタッフの人たちの多くは若過ぎて、その話題の振り方自体がわかっていないからだ。

これも勿体ない。

もちろん、今はネットで調べれば何でも出て来るが、そうした知識や体験は身体が覚えているものではないので咄嗟には使いにくい(本当かナ?嘘かナ?の判断で使う前にきっと迷うだろう)。

先日作った桑の実ジャムでも「え?それって食べられるの?」と聞く人が多かった。

別に桑の実を食べることが人生の一大事ではないけれど、こんなに美味しくて栄養のあるもの食べないなんて…何となく勿体ないナと思った。


25人分のケーキ

2016-06-05 10:28:00 | Weblog

昨日、近所の小規模多機能型居宅介護ホームにケーキを作って届けた。

スタッフとあわせて25人分にもなったが、昔からこれぐらいの人数分のケーキや料理は作り慣れている。

ついでにこの前作った桑の実ジャムも添えて(オヤツの時間に)食べてもらった。

小規模多機能型居宅介護ホームなんて長ったらしいことば、一般の人はほとんど知らないだろう。

特別養護老人ホームや有料介護つき老人ホーム、サービス付き高齢者住宅、老人保健施設、認知症グループホームとか、最近の介護サービスはいろいろあり過ぎて(私でさえ)ついていけない。

まあ、多様化ということ自体は全然悪くないのだけれども、その内容を把握していないと一般の人はそのどれが良いのかまったく見当がつかない。

私が時々訪ねるこの小規模多機能というのは、できるだけ家庭に近い形で(自立の)お世話するデイサービスやショートステイのサービスといえば一番的を得た説明なのだが、それでもこの分野に馴染みのない人には「?」ではないのか。

じゃあこのホームが実際家庭に近いのか?と冷静に考えてみる。

うん、確かにもともと普通の家屋(伊豆高原の桜並木沿いのとても環境の良いところ)だったところを改造して使っているので(お庭もとても奇麗で)、家庭っぽさは十分あるし皆さんけっこう自由に活動しているのだけれども、まあやはり「自分の家」ではないだろう。

だって、それぞれの家族が一緒にいるわけではないし、同じようなお年寄りがわ~っと集っているので、普通の家庭、家族とはやはり違う。

それでも、これまで見てきた有料や特養、デイサービスのお年寄りよりは多少元気かナ?という感じ。

ただ、ほとんどの方が認知症気味なところは他の施設とあまり変わらない。

なので、私がケーキ焼いてきましたと言ってもどれぐらいストレートに伝わっているか疑がわしい(笑)。

やはり、できたらこの一人一人のお年寄りの家庭にお邪魔して「ケーキ焼いてきました。一緒に食べましょう」的な雰囲気が作れたらナと思う。

ではなぜそれができないかと言えば、ここに来るお年寄りも施設に入居しているお年寄りたちも、ある意味、それぞれの家庭から「ハジき出された」人たちだからだ。

要するに、先ほど並べたたくさんあり過ぎる介護サービスはすべて「介護している家族が休むため」に作られた(避難)場所に過ぎない。

この図式は何十年も前も今も変わっていない。

要は、この何十年に増え続けた高齢者のための「受け入れ先」の選択肢が増えただけのこと(それが、複雑な介護サービスにつながっている)。

じゃあ、この問題をどうやったら解決できるのか?

この地球上の人間が営む生産様式(つまり、生活を維持していくための生産方式、マネー経済による社会の仕組みそのもの)が変わらない限り、そこからはじき出されたお年寄りは「行き場」を失うことに変わりはない。

だって、ほとんどの年寄りはその「生産様式」に関わることができないからだ。

じゃあ、逆に、関われるようにすれば良いじゃん、とも思う。

そこで、リタイアした人たちや高齢者、障害者を雇用するような「セカンドチャンス」の仕組みを作ろうともしているけれど、これもそれほどううまくは行っていない。

だって、停年退職するまで営業畑や事務職だった人にいきなり農業や漁業、土木工事をやらせたって無理に決まってるじゃんと思う(趣味でやる分には問題ないだろうけど)。

なんで一生のスパンでその人の特技を死ぬまでやらせてあげる仕組みができないのかナ。

その点、音楽家やアーティスト、クリエーターは基本的に(同じことをしながら)死ぬまで現役でいられるのだけれども、これとて若い世代と対等に競争していくのは至難のワザだ。

だから、何か「特別」なものを持たない限り世の中に貢献していくことはできない。

まあ、きっとここが「個人(の肉体と資質)」と「社会(での役割)」が相反して成立する人間社会のサガ(あるいは原罪かナ)なのだろうナと思う。

世の中に社会学者と言われる人たちはゴマンといるけれども、彼ら彼女らの仕事ってこの相反するテーゼへの解答と解説をしてくれることなんじゃないかナと思う。

別に、この「弁証法」的な問題に対してヘーゲルのような哲学的な理論や解説をしてくれるよりも、じゃあ実際に「どうすれば老人と社会が共存できるのよ」という問題に答えを与えて欲しいのにナといつも思う。

そこに「愛こそすべて」と(笑われてしまうような)ロマンチックな解答を持ち出すつもりもないけれど、どこかでそれを信じたい自分もいる。


医食同源

2016-06-03 15:06:37 | Weblog

小さい頃から料理が好きで一時は「シェフ」を志したこともあったけれども、今毎日の食事を三度三度作る生活の中で常にこの「医食同源」ということばが頭の中を舞っている。

当たり前のことを言っているに過ぎないと思う。

でも、真理とはきっとそういうことなのだろうと思う。

世の中の普遍的なことって、とてつもなくシンプルでとてつもなく当たり前。

だから人間の生きる基本(真理)になるのだろうと思う。

人間は食べなきゃ生きていけない。

でも、問題は何をどう食べるのか。

毎日の食事を作るたびに考えるのは栄養のバランスと味のバランス、そして気持とのバランス。

恵子が病気になって病院に入院している時、彼女の病院食をいつも観察していた。

もちろん栄養士、調理師さんが作った食事だから栄養のバランスが取れているのは当たり前のこと。

味もそこそこ。

でも、あまりワクワク感はない。

だから、彼女が退院して以降、家での食事には「栄養のバランス」プラスこのワクワク感をどうやったら作り出せるかいつも考えている。

彼女の大好きなパンを手作りする(恵子は、パンさえあれば生きていけると言う)。

週に1回はケーキを焼く。

パンもいろいろ。

ライブ麦パンはうちの定番だが、全粒粉や米粉のパンも作る。

クロワッサンやバターロールも時々作るけどこちらはバターが多いのであまり頻繁には作らない。

その点ライ麦パンや全粒粉のパンは身体に優しい(と私は思っている)。

家庭菜園で野菜も作るけど、そんなに凝る方でもないので、「買った方が安いや」と思えばスンナリと日和ってしまう(ここら辺、農家の直営野菜も多いし)。

要は、そんなに「自然派」というわけでもないのだ。

すべては、恵子の身体のため。

自分の食事よりもまず恵子の食事だ(母親が自分の食事よりもまず子供の食事や栄養のことを考える気持に似ているかもしれない)。

恵子の身体も心もまだ完全には回復していない。

だからこそ「食事」が一番大事だと思っている。

一時は太ってもらうために栄養補助食品も医師から処方してもらったけど、それを飲むと食事が細くなるので(この食品、滅茶滅茶カロリー高いのだがまずくてチョー飲みにくい!)、それじゃあ「本末転倒だ!」とすっぱりとこの補助食品はやめた。

おかげで、彼女の食欲はどんどん増している(でも、そう簡単に太れるわけじゃない)。

基本的に歩けないし身体もあまり動かせないので身体のエネルギー代謝が悪いから食べているわりには筋肉や脂肪には転化していかない。

でも、「食欲」は大事。

人間は「食べたい」という意志さえあれば生きていかれる。

そして、その「生きたい」という意志が病気を治してくれるわけで、病気を治すのはけっして医者でもクスリでもない。

「お腹すいた」という恵子のことばが私には一番嬉しい。