みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

閉じ込め症候群

2013-07-03 11:27:59 | Weblog
「ロックトインシンドロムlocked-in syndrome」と言われるこの状態は、ある特定の病気を指していることばではなく、人間の身体のほとんどの自由が奪われ意識だけが鮮明にある「状態」のことを言う。
ごく普通に考えると、人間としてこれほど残酷な状態もないのだが、いわゆる「植物人間」もこの状態に近いとされる。
「される」というのは、医者にも私たちにもはっきりとしたことはわからないからだが、この状態の人間がどんなことを考えどう悩んでいるのかを明確に説明してくれている希有な例が、映画『潜水服は蝶の夢を見る』にある。
フランスの有名ファッション雑誌「エルELLE」の編集長だったジャン-ドミニク・ボービーという人がある日脳卒中で倒れ、以来ずっとこの「閉じ込め症候群」になっていたのを彼自身が著した原作の映画化だ。
彼は、脳卒中で倒れ、左目まぶたの動きを残して他の身体的機能をまったく失ってしまうという「植物状態」になる。
当然、他人と会話もできなければ身体を動かして何らかの意思を伝えることもできない。
でも意識は倒れる前とまったく変わらないという悲惨な状況が、彼の陥った「閉じ込め」だ。
しかし、この悲惨な状況を救ってくれる人間が現れる。
彼の治療にあたった言語療法士の女性だ。
彼女は、彼のまばたきで彼の意志を伝える方法を発明する。
「イエス」で一回まばたき「ノー」で二回まばたくという単純な方法で彼女は「彼の意志」を拾い上げる。
アルファベットのひと文字ひと文字で「イエス」「ノー」を繰り返すという途方もなく根気のいる方法で彼の意志を言語化していき、最終的には、この映画の原作となる著書を完成するまでが患者本人のことばで語られている(ちなみに、現在この方法を取り入れた治療装置も作られ実際の治療で使われているという)。
なので、この映画を通じて「閉じ込め」状態がどんなものなのかを健常者である私たちも多少伺い知ることができる。
しかし、当事者(ジャン-ドミニクと女性療法士)にとっては、どれだけの労力とどれだけの精神力とどれだけの忍耐が必要だったかは私たちの想像の範疇をはるかに越える。
同じように身体の機能のほとんどを失いそれでも「意識」だけで生きているという話に、やはり実話をもとにした映画の『ジョニーは戦場に行った』があるが、私がこうした話を聞いて思うのは、人間の「心と身体」のバランスが保てなくなってしまった時の人の生き方の問題だ。
恵子も、この編集長と同じように脳卒中を患った。
しかし、幸いなことに彼女は、彼のような「まばたきしか残されない」といった状態にはならなかった。
ただ、この二年間ずっと彼女の症状とつきあっていると、それが必ずしも「幸いだった」と言えるのかどうかと思う時がある。
恵子も意志は病気の発症前と何ら変わらない。
きっと他の患者さんも同じなのだろうと思う。
症状がどう出ようが人の意志というのは、人が生まれた時から死ぬ時までずっとその人の中に同じようにあるのだと思う。
だが、人の身体の状態というのは、生まれてから死ぬまでずっと同じではいられない。
ジョニーのように戦争で、恵子やジャンドミニクと同じように病気で、あるいは、老いで同じような状態には保っていられなくなってしまう。
その時の「心と身体」の乖離の問題を、人はどう受け止めてどう処理していくかが人の生き方そのものに問われているのではと最近よく考えるのだ。
私自身もある程度年を重ねて若い時には体験しなかったことをよく体験するようになった。
身体が疲れ易いとか階段が上がりにくいなどということはもちろん至極当たり前のことだが、何気なく握ったモノを簡単に落とすようになったなと感じることがある。
きっといろんな説明がつくのだろうと思う。
皮膚の表面の油分が年をとると少なくなって手のひらそのものに粘着力(水分)が少なくなったせいでモノがすべってしまうということもあるだろうし、握力そのものが少し衰えているせいなのかもという気もする。
おそらくそのどれもが正しい理由だろうし、本当の理由はたった一つだけなのではないとも思う。
問題なのは、そんな理屈などではなく、そうした「モノをちゃんと持ちたい」のに「簡単に落としてしまう」自分の身体と心のアンバランスをどう自分の心が了解して生きていくことができるのかということではないかと思う。
恵子がいつも訴える手や足の痺れ、痛み、そして、身体を「動かしたいのに動かない」というジレンマ、果ては、光や温度差、ちょっとした刺激で涙、鼻水、寒さ、暑さなどを異様に感じてしまう自律神経系の身体の異常など、「心と身体」のアンバランス状態は到底私に理解できるものではない。
しかも、それがただ単に「できない」だけで済めばよいが、できないことで自分自身に対して怒り回りの人間に対しても不満や怒りを現していくこともある。
それが、焦りや苛々、そして「鬱」を引き起こす。
恵子も含め多くの脳疾患の患者さんと接していると、人間にとって身体の麻痺というは単なる「身体の麻痺」なのではなく、「心までもが麻痺している」状態なのだということがよくわかる。
世界的なピアニストでやはり脳卒中に倒れた舘野泉さんも、倒れて二年近くはこの「心と身体」のアンバランスに悩んだことが彼の著書に書かれている。
『潜水服』の著者の彼も見舞客のほとんどが「彼はもう再起不能だ」と心で思っているにもかかわらず口では表面的な慰めのことばだけをかけていくことに憤る(世界的に有名な雑誌の編集長だったのだから見舞客の顔ぶれも半端ではなかったろう)。
世界的なピアニストの舘野さんも、彼の見舞客が「なあに、ラベルの左手のピアノ協奏曲があるじゃないか」と慰めを言うたびに、「あんな曲、死んでも弾くものか」と思ったと著書の中で告白されている。
別にラベルの曲が嫌いなのではなく、「お前の身体じゃあ、頑張ったってそれしか弾けないだろ」と心の中で言われていることに憤っていたのだ。
病気を患う人は、おそらくほとんどの人が「発症前の状態に戻る」ということを目指すはずだ。
舘野さんもそうだったろうし、私と恵子もこれまでの二年間ひたすら「病気になる前の身体に戻そう」と頑張ってきた。
でも、それって「意味のあることなのかな」と時々思う時がある。
舘野さんは、病気発症から二年ほどたったある日息子さんが持ってきた左手のためのピアノ曲の楽譜を読んでいて「左手でもこれだけ豊かな音楽を表現できるんだったら必ずしも両手をピアノを弾くことにこだわらなくても良いじゃないか」と気がつき、以来左手でのコンサート活動を活発に行うようになったのだそうだ。
きっと、舘野さんが「左手のピアニスト」としてコンサート活動を再開するまで舘野さんの意識は「両手でピアノを華やかに弾いていた昔に戻らなければならない」という強迫観念の中に閉じ込められていたのだと思う。
そして、私の妻の恵子もまだその「閉じ込め」から抜け出せないでいる。
きっと、まだ自分の未来に対する「希望」を見いだせないでいるせいなのだろうと思う。
私は、彼女の麻痺した身体に触りマッサージすることは簡単にできるが、彼女の「麻痺した心」を解きほぐすことはなかなか容易ではない。
そこにタッチしようとしてもなぜかそこまで届かない心のバリアを感じてしまうからだ。
何が彼女の心を閉じ込めているのだろうか。
入院数日後から始めた左手で描くスケッチブックももう既に15冊になろうとしている。
しかし、その「左手の絵」は、舘野さんのような左手のピアノ演奏という形で蝶のように羽ばたけてはいない。
まだ、その絵は、彼女の中の意識の中で「単なる心のスケッチ」程度の意味しか持っていないような気がしてならない。
いつ彼女の心が「閉じ込め」から解放されて蝶のように空を羽ばたいてくれるのだろうか。
私には、その日が来るのをひたすら待ち続けるしかないのだろうか。