みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

子供電話相談室

2011-07-30 15:52:36 | Weblog
という番組が昔から大好きだ(自分が子供だった時からだ)。
ラジオ番組の一つだが、TVのない生活をするようになってから余計にこの番組が面白く感じられるようになった。
今は夏休みということもあって毎日この番組が放送されている。
この番組の面白さは、子供たちの素朴な疑問(そのほとんどは本当に「良い質問」ばかりなのだが)に対して専門家がどう答えるかという興味に尽きる。
「どうして人間だけ知恵が発達したのですか?」
「どうして人間は死ぬんですか?」
「どうしてクワガタの雄にはツノがあって雌にはないんですか?」といった、ふだん大人が忘れている自然や生物、社会、人間に対する本質的な質問が次から次に子供の口から発せられる。
こんな難しい質問に解答者の先生たちはどうやって答えるのだろう?
どうやって子供たちを納得させるのだろう?
かなりサディスティックな好奇心を持ちながらラジオに耳を傾ける。
子供たちの疑問は「よくぞそこに気がついた」と思える質問から「へ~」と唸るような質問まで実にさまざまだが、一方で解答者の先生たちの答えに「なるほど」と思えたことはあまりない。
それはナゼなのだろうといつも考える。
きっと専門家の人たちの回答がヘタだから。
そうなのではないかと思う。
特にことばの使い方がヘタだ。
相手が子供なのでなるべく専門用語は使わないようにしているのだろうが、その例えやことばの選択が「え~?それでいいの?」と思うようなことばかりだ。
きっと絵本作家や幼稚園の先生か何かが解答者だったらもっと易しい印象的なことばで子供たちを納得させるような言い方ができるだろうに…とつい思ってしまう。
学者やさまざまな分野の専門家の先生たちが一生懸命あの手この手で子供たちを納得させようとしているのはわかるのだけれども、何か政治家のような詭弁で回答をはぐらかしているように見えることも多い。
「なにかナ…こんな答えで子供たち絶対納得なんかするわけないゾ」と思いながらも子供たちは無理矢理「わかりました」と言い含められている場面も多い。

こういう受け答えを聞くたびに「大人ってズルい」とつくづく思ってしまう。
原発の問題に対する原子力の専門家の人たちのことばに説得力がないのも、イマイチ信用できないのも、解答者、説明者の人間とししての真摯な態度が伝わってこないからだ。
人間としてのズルさを直感的に感じてしまうからだ。
尊敬でき、信用できる人のことばならみんな聞こうとするし理解しようとする。
それがコミュニケーションの基本なはずなのだが、震災以降、政治家や官僚、そして財界、教育界の専門家たちのことばは全く信用できなくなってしまった(まあ、元々信用できなかったという面もあるのだが、そういうエラい人たちのことばは本来信頼されるべきものなはずだ)。
私たち人間にとってことばは最も大切なコミュニケーション手段なはずなのだが、それを使う人自体が信用できなくなってしまってはその人の「ことば」も信用できるはずがない。
子供電話相談室で質問する子供たちに対して誤摩化さずに真摯に答えていくことこそ、自分の生き方や考え方を誤摩化さないことにつながる...。
この番組を聞きながらいつも思うことだ。

毎年毎年

2011-07-27 23:53:18 | Weblog
今年こそは、と野菜作りをしているが、また今年も動物たちに敗北するのかと思うと悔しさが本当にこみあげてくる。
秋から冬にかけて土を作って、春に肥料や石灰で土壌を作り苗を植えて、水やりや雑草取りとかなりの手間暇をかけてやっと収穫!という矢先にそれを根こそぎやられてしまったの時の悔しさはちょっと尋常ではない。
かなり落ち込んでしまう。
ふだん、テンションはかなりハイなつもりの私だが、トウモロコシもナスもキュウリもトマトも豆もオクラもピーマンも全部やられてしまうと「なんで!」と叫びたくなってしまう。
まあ、動物たち(多分鹿やタヌキやハクビシンなのだが)にしてみれば「あ、ここにオイシイものがある」ぐらいの感覚で食べていってしまうのだろうが、どう対策をしてもその対策の網の目をくぐってやられてしまうのは、「向こうが一回り上手」ということなのかもしれない。
網を庭の回りに完全に張り巡らしてもどこからか隙間を見つけてやってくるのが鳥とか獣たちだ。
以前、ニュースでトキの檻にハクビシンのような獣が入り込んでトキを襲っているところを放送していたが、動物たちにとってはエサを取るという感覚でしかないのだろうから(当たり前だが)、これは完全に人間と動物たちの「戦い」ダ。
食べられたくなかったら作らなければいい。
まあ、ただそれだけのことなのだろうが、いつもいつも負けてばかりいてはちょっと悔しい(ホントはすごく悔しい)。
今日は、ジャガイモだけは収穫した。
しかし、ホントはもうちょっと待って収穫したかったのだが、このままでは彼らにジャガイモまで食べられてしまうという思いでやむなく収穫した(まあ、そこそこだったけど)。
アイツら(動物や鳥たち)にもいつか悔しい思いをさせてやりたいと今日もあの手この手で庭に工夫を施す。


優しくない社会

2011-07-17 20:14:26 | Weblog
もうすぐ地デジがどうのこうのとラジオでも盛んに言っているが(私の家にはTVがないので)、この政府のプロパガンダ・キャンペ-ンを聞くたびに腹が立つ(だから、それのお先棒をかついでいるSMAPのあの方にも腹が立つ=まあ、単に坊主にくけりゃ...の話だが)。
大体においてデジタル化にして一体何の得があるのだろうか?
単に家電メーカーに利益をもたらすためにやっている陰謀?とも思ってしまうが、まあ真相はきっと政財界の魑魅魍魎の中にあるのだろうから私ごときが深く詮索しても詮無いことだけれども、このキャンペーンよりももっと腹が立つのは「詳しくはwebで」という捨て台詞が最近のCMには多いことだ。
内容が知りたかったらインターネットで調べろっていうこの高いところからのモノ言いにはかなりムカっとくる(パソコンを持たない人、使えない人も社会にはかなりいるはずだ)。
例の松本大臣と同じレベルの「傲慢さ」だナとつくづく思う。
でも、中にはきちんと0120-+++++とちゃんとトールフリーの電話番号を画面で知らせてくれる企業CMもあるので、こういうのを見るとホッとする(実家にいる時はTVが見れる)。

何でもかんでもオール電化にしていまう便利な生活がけっして「バラ色の生活」ではないことを日本人は今度の震災で学んだはずじゃなかったのだろうか?
便利さのリスクをどれだけ負う覚悟がみんなにはできているのだろうか?
便利さとは離れた効率の悪い生活を送ることをスローライフというのだろうが、そんなスローな生活とハイリスクの便利社会とどちらを皆さんは選択するのだろうか?
地デジ化で年寄りや貧乏人を切り捨てて、「詳しくはwebで」という捨て台詞で「年寄りは知らなくてもいいよ」と言ってしまう全然「優しくない社会」を作る日本が本来あるべき社会の姿なのかナ?と本気で思ってしまう。

つい最近、介護施設の大手メーカーと「音楽と介護」のコラボを始める話がまとまった。
これで、私が長い間考えていた音楽介護プログラムが少しずつ実行に移していくことができるはずだ。
「音楽も音楽家も世の中の役に立つべき」と私は本気で思っている。でも、音楽も音楽家も「独りよがり」で「我が道」を行くことがカッコよくてアーティスティックだとずっと思われてきたけれど(そう思っている人も未だに多いが)、そんな生き方を始めたのはあのベートーベンだ。
そこから数百年で音楽というのは何かとてつもなく「自分勝手な道に」曲がり続けてきたような気がする。
特に二十世紀後半からの「わかるやつだけわければイイ」という態度で音楽を作り続けてきたいわゆる「業界」という人たちの高ビーな態度が今の「音楽離れ」を作ってきたわけだし、本当に一般ピープルの欲するものは何なのかを考えることを停止してしまった今の日本の音楽業界はかなり前から死に体になってしまっている。
まあ、これもあれもすべて「資本主義」のせいになんて簡単にはできないけれど、「人に優しい社会」というのは少なくとも今の政権政党が考えるような浅薄なビジョンではけっしてできないことだけは確かだと思っている。

コンサートでしゃべりながら

2011-07-02 22:09:31 | Weblog
タイムキープをするのは意外と難しい。
というか、普通そんな芸当ができるのはプロのアナウンサーぐらいなもので私のようなしゃべりの素人がそんなことができる方が本当はおかしいのかもしれないが(笑)、一昨日の東京文化会館でのコンサートは「みつとみ俊郎のレクチュア&コンサート」などという大それた看板があったものだから(誰がつけたんじゃい、こんなタイトル!)きちんと筋道だててしゃべらなければという思いから、あらかじめ頭の中で組み立てていた台本をお客さんの前で突然変更した。
単純に「ああ、ちょっと予定の時間オーバーしたかナ?」と思って、本来話そうと思っていた話題を一つ意図的にすっとばした。
まあ、すっとばしても筋道がちゃんと立つようにはなっていたのだけれども、自分としては話したかった話題なので「あの話をすっとばしたのはちょっとクヤシイ」みたいな感じだったが後から時間見てみると「なんだ、まだ時間あったじゃん、しゃべれば良かった」と思った次第。
まだまだタイムキープ力はイマイチだナと思った。
昔は、ラジオのDJやっていた時もいろいろなTV番組などにゲストに出たりした時もあらかじめディレクターの人に「私のコメントは何分ですか?」と聞けばわりとピッタリその通りの尺でできたのに最近ちょっとそのセンスが鈍ったのか?と若干不安(ハハハ、ホントはそんなにマジには心配していないけれどネ)。

でも、今回のコンサートのハイライトは何と言ってもゲストのヤンチン奏者の金亜軍さん。
別に金さん銀さんの金さんではないけれど、彼のキャラはある意味特別。
リハーサルの最中からフルムスのメンバーもみんな彼の演奏と人柄にハートをすっかり奪われてしまっている。
本番で私はわざと「金さん、日本語上手ですネ」というフリをしたら案の定、その後中国語をまくしたててすっかりお客さんの気をひいてしまう(きっとそう来るだろうと思っての私の呼び水だったのだけれど)。
そんなやり取りが咄嗟にできるのも金さんならでは。
これまでたくさんの中国人アーティストの方たちとつきあってきたけれど、彼のような人は特別、という感じがする。
きっと来日当時はことばの問題やアーティスト活動などで苦労なさったはず。
中国の方で日本で音楽活動をされる方は中国ではかなりのキャリアと実力を持った人たちばかりなのだが、日本ではそれがそのまま認められるわけではない。
日本ではいろんな意味で「メゲる」ことが多かったはずなのに、彼はそんなことは微塵にも出さない。
一生懸命を共演者をたて、支持してくださるファンの方たちをたて、これだけまわりに気を配る中国のアーティストは彼をおいて他にはいないという感じが私にはする。
傲慢とまでは言わないけれど、ちょっとしたプライドと高ビーさが目だつアーティストが多い中で彼のような存在は本当に貴重だ。
そういう意味でも、今回一緒にやらせてもらったフルムスのメンバーも何かを彼から学びとってくれればと願うのだが...。