という番組が昔から大好きだ(自分が子供だった時からだ)。
ラジオ番組の一つだが、TVのない生活をするようになってから余計にこの番組が面白く感じられるようになった。
今は夏休みということもあって毎日この番組が放送されている。
この番組の面白さは、子供たちの素朴な疑問(そのほとんどは本当に「良い質問」ばかりなのだが)に対して専門家がどう答えるかという興味に尽きる。
「どうして人間だけ知恵が発達したのですか?」
「どうして人間は死ぬんですか?」
「どうしてクワガタの雄にはツノがあって雌にはないんですか?」といった、ふだん大人が忘れている自然や生物、社会、人間に対する本質的な質問が次から次に子供の口から発せられる。
こんな難しい質問に解答者の先生たちはどうやって答えるのだろう?
どうやって子供たちを納得させるのだろう?
かなりサディスティックな好奇心を持ちながらラジオに耳を傾ける。
子供たちの疑問は「よくぞそこに気がついた」と思える質問から「へ~」と唸るような質問まで実にさまざまだが、一方で解答者の先生たちの答えに「なるほど」と思えたことはあまりない。
それはナゼなのだろうといつも考える。
きっと専門家の人たちの回答がヘタだから。
そうなのではないかと思う。
特にことばの使い方がヘタだ。
相手が子供なのでなるべく専門用語は使わないようにしているのだろうが、その例えやことばの選択が「え~?それでいいの?」と思うようなことばかりだ。
きっと絵本作家や幼稚園の先生か何かが解答者だったらもっと易しい印象的なことばで子供たちを納得させるような言い方ができるだろうに…とつい思ってしまう。
学者やさまざまな分野の専門家の先生たちが一生懸命あの手この手で子供たちを納得させようとしているのはわかるのだけれども、何か政治家のような詭弁で回答をはぐらかしているように見えることも多い。
「なにかナ…こんな答えで子供たち絶対納得なんかするわけないゾ」と思いながらも子供たちは無理矢理「わかりました」と言い含められている場面も多い。
こういう受け答えを聞くたびに「大人ってズルい」とつくづく思ってしまう。
原発の問題に対する原子力の専門家の人たちのことばに説得力がないのも、イマイチ信用できないのも、解答者、説明者の人間とししての真摯な態度が伝わってこないからだ。
人間としてのズルさを直感的に感じてしまうからだ。
尊敬でき、信用できる人のことばならみんな聞こうとするし理解しようとする。
それがコミュニケーションの基本なはずなのだが、震災以降、政治家や官僚、そして財界、教育界の専門家たちのことばは全く信用できなくなってしまった(まあ、元々信用できなかったという面もあるのだが、そういうエラい人たちのことばは本来信頼されるべきものなはずだ)。
私たち人間にとってことばは最も大切なコミュニケーション手段なはずなのだが、それを使う人自体が信用できなくなってしまってはその人の「ことば」も信用できるはずがない。
子供電話相談室で質問する子供たちに対して誤摩化さずに真摯に答えていくことこそ、自分の生き方や考え方を誤摩化さないことにつながる...。
この番組を聞きながらいつも思うことだ。
ラジオ番組の一つだが、TVのない生活をするようになってから余計にこの番組が面白く感じられるようになった。
今は夏休みということもあって毎日この番組が放送されている。
この番組の面白さは、子供たちの素朴な疑問(そのほとんどは本当に「良い質問」ばかりなのだが)に対して専門家がどう答えるかという興味に尽きる。
「どうして人間だけ知恵が発達したのですか?」
「どうして人間は死ぬんですか?」
「どうしてクワガタの雄にはツノがあって雌にはないんですか?」といった、ふだん大人が忘れている自然や生物、社会、人間に対する本質的な質問が次から次に子供の口から発せられる。
こんな難しい質問に解答者の先生たちはどうやって答えるのだろう?
どうやって子供たちを納得させるのだろう?
かなりサディスティックな好奇心を持ちながらラジオに耳を傾ける。
子供たちの疑問は「よくぞそこに気がついた」と思える質問から「へ~」と唸るような質問まで実にさまざまだが、一方で解答者の先生たちの答えに「なるほど」と思えたことはあまりない。
それはナゼなのだろうといつも考える。
きっと専門家の人たちの回答がヘタだから。
そうなのではないかと思う。
特にことばの使い方がヘタだ。
相手が子供なのでなるべく専門用語は使わないようにしているのだろうが、その例えやことばの選択が「え~?それでいいの?」と思うようなことばかりだ。
きっと絵本作家や幼稚園の先生か何かが解答者だったらもっと易しい印象的なことばで子供たちを納得させるような言い方ができるだろうに…とつい思ってしまう。
学者やさまざまな分野の専門家の先生たちが一生懸命あの手この手で子供たちを納得させようとしているのはわかるのだけれども、何か政治家のような詭弁で回答をはぐらかしているように見えることも多い。
「なにかナ…こんな答えで子供たち絶対納得なんかするわけないゾ」と思いながらも子供たちは無理矢理「わかりました」と言い含められている場面も多い。
こういう受け答えを聞くたびに「大人ってズルい」とつくづく思ってしまう。
原発の問題に対する原子力の専門家の人たちのことばに説得力がないのも、イマイチ信用できないのも、解答者、説明者の人間とししての真摯な態度が伝わってこないからだ。
人間としてのズルさを直感的に感じてしまうからだ。
尊敬でき、信用できる人のことばならみんな聞こうとするし理解しようとする。
それがコミュニケーションの基本なはずなのだが、震災以降、政治家や官僚、そして財界、教育界の専門家たちのことばは全く信用できなくなってしまった(まあ、元々信用できなかったという面もあるのだが、そういうエラい人たちのことばは本来信頼されるべきものなはずだ)。
私たち人間にとってことばは最も大切なコミュニケーション手段なはずなのだが、それを使う人自体が信用できなくなってしまってはその人の「ことば」も信用できるはずがない。
子供電話相談室で質問する子供たちに対して誤摩化さずに真摯に答えていくことこそ、自分の生き方や考え方を誤摩化さないことにつながる...。
この番組を聞きながらいつも思うことだ。