いう人がいる。
オメデタイ方がいつ来るのかはある程度予測がつくが、不幸の方はいつ訪れるかがまったくわからないからやっかいだ。
義弟の死はかなり突然にやってきた。
入院期間はあったものの、入院からその「死」までの時間は本当に「アッ」という間だった。
血液のガン、いわゆる大きな意味での白血病なのだろうが、本当の意味での病名はわからないという。
ただ、わかっていたことは彼の身体の中で骨という骨が音をたててどんどん崩れていき、その崩れた骨が内臓を圧迫していたことだ。
だから直接の死因は肺が折れたアバラ骨で圧迫され呼吸ができなくなってしまったこと。
そのため、「痛み」はハンパなものではなかったようだ(もちろん、私自身がその痛みを味わったわけではないので、それがどれだけ痛かったのかはわからない)。
バタバタと告別式を今日終え、親類の間でふと漏れたことばは、「ある意味、あっという間に召されたのはヨカッタのじゃないだろうか。あの痛みがそれほど長びかずに済んだわけだし ....」。
それにしても、彼は私よりも若いのだ。
まだ50代半ば。
彼の娘さんは今年からやっと大学。
お嬢さんの就職や結婚、子育てなどを見守れない悔しさはいくばかりかと思う。
せめて私にできることはないかと思った。
お通夜と告別式でフルートを吹いた。
葬儀はキリスト教式で行ったので参列した人は皆献花をする。
その献花中、献花の人がまったくいなくなるまでずっとフルートを吹き続けた(伴奏なしのたった一人で)。
CDの白々しい葬送の音楽で送るのなら私が演奏した方が少なくとも気持ちはこめられる。
そう思い、即興で30分ぐらい演奏し続けたが、ピアノやギターと違い管楽器をまったく一人で休みなしで30分も吹き続けると唇が相当に疲れてくる。こんな経験は50年近く楽器を演奏し続けてきた中でも初めての体験だ。
でも、死んだ彼の苦しみに比べれば30分ぐらいノンストップで吹き続けられなくてどうすると自分に言い聞かせながら演奏した。
私の音を実際聞いていたのはそこにいた大勢の人たちだったろうが、私が音を届けたかったのは天国にいる彼一人。
届いていたのだろうか?
オメデタイ方がいつ来るのかはある程度予測がつくが、不幸の方はいつ訪れるかがまったくわからないからやっかいだ。
義弟の死はかなり突然にやってきた。
入院期間はあったものの、入院からその「死」までの時間は本当に「アッ」という間だった。
血液のガン、いわゆる大きな意味での白血病なのだろうが、本当の意味での病名はわからないという。
ただ、わかっていたことは彼の身体の中で骨という骨が音をたててどんどん崩れていき、その崩れた骨が内臓を圧迫していたことだ。
だから直接の死因は肺が折れたアバラ骨で圧迫され呼吸ができなくなってしまったこと。
そのため、「痛み」はハンパなものではなかったようだ(もちろん、私自身がその痛みを味わったわけではないので、それがどれだけ痛かったのかはわからない)。
バタバタと告別式を今日終え、親類の間でふと漏れたことばは、「ある意味、あっという間に召されたのはヨカッタのじゃないだろうか。あの痛みがそれほど長びかずに済んだわけだし ....」。
それにしても、彼は私よりも若いのだ。
まだ50代半ば。
彼の娘さんは今年からやっと大学。
お嬢さんの就職や結婚、子育てなどを見守れない悔しさはいくばかりかと思う。
せめて私にできることはないかと思った。
お通夜と告別式でフルートを吹いた。
葬儀はキリスト教式で行ったので参列した人は皆献花をする。
その献花中、献花の人がまったくいなくなるまでずっとフルートを吹き続けた(伴奏なしのたった一人で)。
CDの白々しい葬送の音楽で送るのなら私が演奏した方が少なくとも気持ちはこめられる。
そう思い、即興で30分ぐらい演奏し続けたが、ピアノやギターと違い管楽器をまったく一人で休みなしで30分も吹き続けると唇が相当に疲れてくる。こんな経験は50年近く楽器を演奏し続けてきた中でも初めての体験だ。
でも、死んだ彼の苦しみに比べれば30分ぐらいノンストップで吹き続けられなくてどうすると自分に言い聞かせながら演奏した。
私の音を実際聞いていたのはそこにいた大勢の人たちだったろうが、私が音を届けたかったのは天国にいる彼一人。
届いていたのだろうか?