今年の暑さはひときわ堪えるはずだろうと、恵子の食べる食事にはかなり気を使っていた。
しかし、ここ二週間ほど六度台後半から七度台前半の微熱が続き心配していたが、昨日は足がまったく動かなくなってしまい、今朝無理矢理病院に連れていった(本人は外に出たくないと言って、この二週間リハビリもキャンセルしていた)。
血液検査をして点滴を二時間ほど行ったが、軽い熱中症だろうということ。
血液検査に異常が出なかったのは幸いだった。
体力をつけることが彼女の最大のリハビリと思い、暑いさなかでも食べられるように食べ物にはふだんから最大限の工夫をしている。
駅で、直径三十センチほどの大きな地物のカボチャが三百円という安値で売っていたので早速冷製のパンプキンスープにして、余ったスープもカレーの下味に使ったりした(伊豆高原の駅は観光駅なので観光客が多いが、彼ら彼女らはこうした「掘り出し物」に気づくことはほとんどない)。
彼女は、体力がないので気力もなくなっているような言動が最近目立つ。
「元気ださないと治るものも治らなくなるぞ」と私がいつものようにハッパをかけるとそれに「反発」する気力もないのか、あるいは、思うように動かない自分の身体が悲しいのか、泣き出してしまった。
私には、この彼女の「弱気」が一番辛い。
こんな弱り切った彼女の身体にワザワザ追い打ちをかけなくても良いのにと、本当にこの暑さがうらめしくなってしまう。
八月に入ってから夜中に何度も彼女から起こされるようになった。
「身体ビショビショだから拭いて」そう言われて身体を拭くが実際にそれほど汗をかいているわけではない(本当に汗をかいている時もあるが)。
麻痺の残る身体の感覚として、ほんの少しの汗も「身体全部が湿っているように」感じさせてしまうのだろう。
全身を拭き、パウダーをつけ着替えをして寝るがまた1時間もすると同じことの繰り返しだ。
ここ数週間これが繰り返され私の眠りも相当妨げられてきたが、本人は「眠る」ことすらできないので私以上に苦しいはずだ。
つい先週も地域包括支援センターの人から「介護のストレスってどうやって解消してらっしゃるのですか?」と聞かれた。
本当は、友達にでも思いっきり愚痴を言えたら一番良いのだが、あいにくと回りにそんな人間は一人もいない。
多分私のストレス解消法は楽器の練習です、と答えにならないような答えを返した。
キョトンとする彼女に私は、すかさず「楽器を練習していると何もかも忘れられるんですよ」と答える。
とは言っても、どんな練習であっても「何もかも忘れられる」わけではない。
私の場合は、きっとそれはバッハだろうなと思っている。
バッハの、特に無伴奏チェロ組曲を、私は毎日のように練習している。
そして、練習の中で毎日違った発見をする。
フルートなのに、なんでわざわざチェロの曲を練習するのと言われそうだが、これはもう「曲が良いから」としか言いようがない。
本当は、平均律クラヴィア曲集をやりたいのだが、さすがに鍵盤の曲をフルートでやるのでは音が足りな過ぎる。
その点、チェロの楽譜は、全ての音を2オクターブあげれば全部素直に読むことができる。
有名なピアニストのグレン・グールドは、平均律クラヴィア曲集を何度も(最低3回ぐらいはやっていたはずだ)録音し直ししている。
同じ曲を同じピアニストが何で何度も録音し直すの?と最初は思ったのだが、最近だんだんグールドの気持ちがわかるようになってきた。
バッハの曲というのは、あの単純な音の組み合わせからいつも「違った世界が見えてくる」ようになるのだ。
だから、何度も何度も毎日でも演奏したくなってくる。
そんな魔法をバッハは持っているのかもしれない。
私は、この「魔法」にかかりたくて、そしてこの魔法にかかれば「介護のストレス」は消えてしまうからバッハを毎日練習しているのかもしれない。
彼女は、点滴が効いたのか病院から帰るとスヤスヤと眠りこけてしまった。
しかし、ここ二週間ほど六度台後半から七度台前半の微熱が続き心配していたが、昨日は足がまったく動かなくなってしまい、今朝無理矢理病院に連れていった(本人は外に出たくないと言って、この二週間リハビリもキャンセルしていた)。
血液検査をして点滴を二時間ほど行ったが、軽い熱中症だろうということ。
血液検査に異常が出なかったのは幸いだった。
体力をつけることが彼女の最大のリハビリと思い、暑いさなかでも食べられるように食べ物にはふだんから最大限の工夫をしている。
駅で、直径三十センチほどの大きな地物のカボチャが三百円という安値で売っていたので早速冷製のパンプキンスープにして、余ったスープもカレーの下味に使ったりした(伊豆高原の駅は観光駅なので観光客が多いが、彼ら彼女らはこうした「掘り出し物」に気づくことはほとんどない)。
彼女は、体力がないので気力もなくなっているような言動が最近目立つ。
「元気ださないと治るものも治らなくなるぞ」と私がいつものようにハッパをかけるとそれに「反発」する気力もないのか、あるいは、思うように動かない自分の身体が悲しいのか、泣き出してしまった。
私には、この彼女の「弱気」が一番辛い。
こんな弱り切った彼女の身体にワザワザ追い打ちをかけなくても良いのにと、本当にこの暑さがうらめしくなってしまう。
八月に入ってから夜中に何度も彼女から起こされるようになった。
「身体ビショビショだから拭いて」そう言われて身体を拭くが実際にそれほど汗をかいているわけではない(本当に汗をかいている時もあるが)。
麻痺の残る身体の感覚として、ほんの少しの汗も「身体全部が湿っているように」感じさせてしまうのだろう。
全身を拭き、パウダーをつけ着替えをして寝るがまた1時間もすると同じことの繰り返しだ。
ここ数週間これが繰り返され私の眠りも相当妨げられてきたが、本人は「眠る」ことすらできないので私以上に苦しいはずだ。
つい先週も地域包括支援センターの人から「介護のストレスってどうやって解消してらっしゃるのですか?」と聞かれた。
本当は、友達にでも思いっきり愚痴を言えたら一番良いのだが、あいにくと回りにそんな人間は一人もいない。
多分私のストレス解消法は楽器の練習です、と答えにならないような答えを返した。
キョトンとする彼女に私は、すかさず「楽器を練習していると何もかも忘れられるんですよ」と答える。
とは言っても、どんな練習であっても「何もかも忘れられる」わけではない。
私の場合は、きっとそれはバッハだろうなと思っている。
バッハの、特に無伴奏チェロ組曲を、私は毎日のように練習している。
そして、練習の中で毎日違った発見をする。
フルートなのに、なんでわざわざチェロの曲を練習するのと言われそうだが、これはもう「曲が良いから」としか言いようがない。
本当は、平均律クラヴィア曲集をやりたいのだが、さすがに鍵盤の曲をフルートでやるのでは音が足りな過ぎる。
その点、チェロの楽譜は、全ての音を2オクターブあげれば全部素直に読むことができる。
有名なピアニストのグレン・グールドは、平均律クラヴィア曲集を何度も(最低3回ぐらいはやっていたはずだ)録音し直ししている。
同じ曲を同じピアニストが何で何度も録音し直すの?と最初は思ったのだが、最近だんだんグールドの気持ちがわかるようになってきた。
バッハの曲というのは、あの単純な音の組み合わせからいつも「違った世界が見えてくる」ようになるのだ。
だから、何度も何度も毎日でも演奏したくなってくる。
そんな魔法をバッハは持っているのかもしれない。
私は、この「魔法」にかかりたくて、そしてこの魔法にかかれば「介護のストレス」は消えてしまうからバッハを毎日練習しているのかもしれない。
彼女は、点滴が効いたのか病院から帰るとスヤスヤと眠りこけてしまった。