みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

年令って一体何だろう?

2006-11-25 11:05:46 | Weblog
って思うことがここ最近多い。
おそらく、世の中が昔ほどの縦社会ではなくなってきていることが一番の原因なのかもしれない。だからこそ、年令によるタテワリの価値観や人生観ではなく、個々の能力や個々の考え方による違いがはっきり出る世の中になったということなのだろうと思う。
昔(と言っても、私の言う昔はそれほどの遠い昔ではなくせいぜい数十年前のことだ)は、二十歳で一人前の大人。三十で家庭を持って立派に社会人。四十で押しも押されぬ立派な人生観を持ち、かつ社会的な地位をちゃんと持つ人、みたいな人生観や価値観が世の中すべてが括られていたのではないかと思う(この辺って、きっと『論語』とかそういった考え方が元になっているのだろうと思うけど)。しかし、それこそこうした倫理や社会観、人生観は戦後の高度成長期にいわゆる団塊の世代がいっぺんに壊してしまった。まあ、それも彼らが自力で壊したわけでも何でもなくって、単に占領されてしまった相手のアメリカの個人主義的価値観を未消化のまま受け入れたに過ぎなかったわけだから、破壊はできても新しい価値観の構築なんかできっこない。その結果、今の日本の社会のように、ただ「何やっても自由だろ」みたいな大人と子供が増えるだけの社会になってしまったのだろうと思う。
そんなことを考えさせてくれたコンサートに今週は二つも行った。しかも、この二つのコンサートの主役アーティストの年令は、おじいちゃんとマゴほども懸け離れた二人だ。しかし、その二人とも音楽の内容、人間性共に本当に素晴らしいもので、それぞれにまったく別の感動を覚えることができた。ある意味、大人の年令でも、子供の年令でも関係ないよ、その人自身が優れているかどうかの問題だ、ということを実感させてくれたコンサートでもあった。
エルネスト・カブールさんという中南米音楽ファンに憧れの的の人物。このカブールさんのお弟子さんでもあり、現在中南米音楽のギタリストとしては第一人者でもある木下尊敦さんとこれまでに何回も共演させていただいた御縁なのだが、そんなことはまったく関係なく、一ファンとして存分に楽しめたコンサートだった。カチャランゴという小型のギターの第一人者のカブールさんのその演奏ときさくな人柄は、本当に音楽の楽しさと喜びを十二分に味わせてくれた。おん年いくつぐらいなのだろう?かなり高齢なはずなのだが、音楽を心から楽しんでいる人は、やはり年令はいつも不祥だ(笑)。
そして、もう一人のアーティストは、中川晃教さん。以前雑誌でインタビューしてからの御縁だが、この若干23才の若いアーティストには心をくすぐられるものがたくさんある。わりとロック系のアーティストには多いのだが、心の中のナイーブさやピュアな部分を音楽の中にストレートに出してくるタイプのアーティストだ。もちろん、この中川さんはミュージカル畑で活躍なさっている人だから、彼をロックのアーティストとは言えないけれど、心の中はけっこう「ロックな人」だナと思うことが多い。本当にイノセントな子供の心をいつまでも忘れたくない~!と歌の中で叫ぶような純真さを感じると同時に、もっともっと音楽や人間の深みに迫っていきたいと願っているようなそんな若いアーティスト。しかも、ただの若者ではなく、本当に「才能と意志」にあふれた若者。そんな気がする。
才能を持っている人なら世の中にゴマンといる。しかし、ちゃんとそれを自分の「意志」にできる人はけっこう少ない。私のまわりにもたくさんいる。せっかく才能があるのに、どうしてこの子はこれをちゃんと自分の意志として表現できないんだろう?そんな風に思う子が世の中にはあふれている。自分の意志をきちんと相手に伝えていくことは人として生きる基本。自分が「何かをやりたい」と思った時、それをまわりや相手に明確に伝えない限り、自分以外の人は気づいてくれないし、それを理解もしてくれない。しかし、最近は、それを理解してくれないのは「まわりの人間のせい」と思い込むような人が若い人にも中高年にもまったく年令に関係なく多いような気がする。人はコミュニケーションを持たない限り、生きていくことはできない。そのコミュニケーションの方法をわからないか理解しようとしない人があまりに多い。これって、年を重ねれば自然に身につくモノではないようだ。自分自身を客観的に見れない人は、多分いつまでたってもコミュニケーションなんかできないのだろうと思う。自分自身を理解できない人には、相手を理解しようとする気持ちもきっとおきないのかもしれない。
古い時代にあった「人の和」「家族の和」とか「社会の和」みたいなものは、封建的な因習を結びつきやすいので、今さら古い時代に戻りたいとは思わないけど、そういう社会にもあった本当に大事な人と人のコミュニケーションを今の時代にきちんと応用できるような社会にならないのかなといつも思う。「人」を大事にしなきゃ、結局「自分」だって大事にされない。そんな基本的なことをきっとカブールさんも、中川さんも年令に関係なくわかっているんだろうなと思う。それがアーティストの基本だとも思う。アーティストというのは、「自分の心」を明確に「芸で表現できる人」のことを言うのだから。

もう一週間も前の話しだけれども、

2006-11-23 23:52:50 | Weblog
あるライブを秋葉原まで見に行った。別に縁もゆかりもないバンド。知り合いが出ているわけでもなく、それほど有名なバンドでもなく、ただ単にプログレバンドにフルートの女の子がいるという情報だけに興味を持って行った。
80年代に打ち込み音楽が出てきて以来、ロックという音楽は、それまでの音楽シーンから、ある意味、音楽の主役の座から一気にひきずりおろされてしまった音楽でもある。90年代以降、音楽シーンの主役はヒップホップやR&B。要するに黒人音楽だ。それまでロカビリー、ロックンロール、ブルーズロック、ハードロック、ヘビメタル、パンク、オルタナ、プログレとロックが音楽の表舞台にいた時は、フルートという楽器がロックの中で使われていても何の違和感もなかったし、私が学生時代ツェッペリンなどのブルーズロックをやりつつバンドの中でキーボードとフルートを一緒にやっているのは当たり前のことだった。そして、だんだんグラムやプログレといったロックの進化形の中でジェスロ・タルやフォーカスといったバンドでフルートが活躍していたのも当たり前のように見てきた私としては、今やヒップホップ全盛の世の中でプログレ?しかも、フルート?ということ自体に驚き、「一体どんな人が演奏しているんだろう?一体どんな演奏をするんだろう?」という興味でこのライブに行ったわけだ。でも、正直、すごく面白かった。私は、タイバンの一つか二つを見て帰ろうかなんて軽く考えていたけれど、結局4バンド、合計4時間もつきあうハメになってしまった(ロックを4時間というのは、やはり最近ちょっと経験してなかったのでちょっと疲れた!)。
3番目のQUIというバンドにいた吉田一生というフルーティスト。まさしく私が昔やっていた感じをそっくりそのままやっている。しかも、かなりのテクと音楽センスの持ち主。ちょっと舌を巻いた。「今どき、こんなフルーティストもいるんダ!」という驚きだ。でも、同時に、「これって、すごいしカッコいいことやってるんだけど、今の時代じゃあ、かなりマイナーでかなりアンダーグラウンドだよナ」と、頭の中でめきめきとプロデューサー根性が沸き上がってきたけれども、とりあえず「追っかけよう」ということにしてライブハウスを後にした。もう一つのフルートが入ったバンド「内核の波(ないかくのわ)」は、きっともうすぐメジャーになるだろうナというようなバンド。プログレというよりは、パンクだろうと思う。テクもあって革新的なことはしているんだけれども、私の尺度からするとプログレという感じはしなかった。バンドの中の紅一点の女性フルーティストも、きっとアイドル的な人気の期待できる子だし、これはこれで面白いと思うけど、私は、どちらかというと、この超絶技巧/超アングラ・フルーティストの吉田くんの方が気になって仕方がない。彼は、一体世の中にメジャーとして登場すべきなのかどうなのか?彼自身は一体なにを望んでいるのだろう?かなり気になるし、不思議な存在のフルーティストだなと思う。

来年1月に出版する

2006-11-16 22:53:30 | Weblog
私の7册目の著作に関連してイベントが計画中で、それの企画をまとめたりしている。
今度は、本の出版だけでなく、レコードメーカーから同タイトルのCDアルバムも同時に発売されるので、来年の私の仕事はこの本の出版、CDリリースと共に明けることになる。
それと、同時にフランス人アーティストの日本での大ブレイク企画も進行しているので、毎日やることは多い。もちろん、前から進行している女性フルーティストたちのグループ<flu.flu>の方も休みなく動いているので、ますますやることは多くなる一方なのだが、まあ、それが私の人生なので、けっして「忙しくて、忙しくて、フ~」なんていうことは言わない(っちゅか言いたくない)。私は、もともと仕事と仕事以外のこと(つまり、遊びっていうことなのかナ?それとも、息抜きっていうことなのかナ?)の区別をしたことがないので、起きてから寝るまでのべつまくなし動いている。私が「仕事」と考えているのは、けっしてお金を稼ぐ手段なんかではなくって、自分という人間がこの世に生を受けた理由ともなるべき役割(つまり、使命とでも言った方が近いかもしれない)のことを指している。つまり、私は、ずっとこれまで音楽でお金を稼いできたけれども、それが私の仕事かどうかはわからないということ。私の本当の仕事、本当にするべきことは他にあるのかもしれない、からだ。要するに、私の言う「仕事」というのは、私という人間が「存在した証し」とも言うべきもの。「みつとみさんて、これをやるために生まれてきたんだよね」と、私が死んだ後に言われるものが果たして何なのか?これを見つけることが、私の人生にとって最も大切なことでもあるのだ。それが、フルートに関連したものなのか?それとも、執筆に関係したものなのか?それとも作曲に関連したものなのかは、結果が出てみないことにはわからないだろう。だから、取りあえず、私は、今私にしか出来ない仕事をこなしている、というわけかナ?

まあ、それにも関係する話しなのだが、プロデュースという仕事をやっていてつくづく思うのは、プロデュースする人とされる側の人との関係だ。つまりは、プロデューサーとアーティストの関係と言ってもいいだろう。私は、この両者の関係は、恋愛関係の男女に似ているなといつも思っている。恋愛に落ちる男女は、まず例外なく相思相愛だろう。どちらか一方の片思いだったら、まず恋愛ということば自体が使えるかどうか...?
プロデューサーとアーティストは、お互いに愛しあっている恋愛関係の二人の関係でなければならない。とは言っても、実際の恋愛関係に陥る必要性はない。恋愛関係の二人の関係ぐらいの強い絆と信頼関係が必要だということだ。どちらか一方が強烈に愛していて、片一方はそれほどでもないという関係のプロデューサーとアーティストの関係も時々は見受けるし、私自身もそんな経験は何回もしている。でも、そういう場合、うまくいった試しがない。プロデューサーがアーティストにものすごい愛情を注いだにもかかわらず、アーティストがいろんな意味でそれに答えなかったとしたら、ある日突然、その愛は絶望に、そして時には憎しみにすら変わることがある。本物の恋愛関係ではないのだから、プロデューサーとアーティストの疑似恋愛が終わった時にはストーカーなどの現象は起こりようもないが、その冷めた恋(プロデューサーの情熱)は周りには、とてもみじめなものに映ることが多い。普通の恋愛関係の男女の間でも「駆け引き」は日常茶飯事に行われるだろうが、こうした仕事上の疑似恋愛においての「駆け引き」は、時に壮絶な幕引きすら起こすことがある。
今回コンサートで一緒したアルパの上松美香さんのような本物のアーティスト性、そして本物のプロ意識を、私のまわりにいる多くのアーティスト候補生たちにも大いに見習って欲しかったのだが...。

11/10のコンサートも無事終わり

2006-11-14 12:35:12 | Weblog
やっと次ぎのプロジェクトに取りかかれるという感じになった。なにしろ、一つ一つかたづけていかないと、一個一個の仕事はそれなりに大事な仕事なので、おざなりにはできない。
フランス人アーティストのロレーヌ・ドゥビエンヌのプロジェクトと、フルフルを初めととしたさまざまなアーティスト企画、そして、私の1月に出版される著作に関連してのCDリリースやイベント企画など、これからやるべきことが目白押しなので、コンサートが終わってホッとしているヒマもない。
でも、私なりに、今回のコンサートの面白かったところや反省すべき点など、いろいろあるなと思った。面白かったところは、何と言っても、念願だったダンスとの即興のコラボレーションができたこと。大体イメージ通りに行ったような気がするが、おそらく、ベースの吉野さんが一番欲求不満だったんもじゃないかナ?とも思った。というのも、即興でコラボレーションをやると言っても、時間が無制限にできるわけではない。ホールを出るべき時間があらかじめ決められている。ということは、この演奏時間もちゃんと枠があるということになれば、すべて即興とは言ってもある程度の枠をはめなければならない。ジャズ畑で即興演奏をすることが多い吉野さんとしては、5分だけの即興演奏とか、10分だけの即興演奏というのは、ある意味、即興であって実は即興ではないぐらいのニュアンスなのかもしれない。私にしても、本当はまったく時間無制限で演奏できたらもっと嬉しい。でも、FM東京ホールはライブハウスではないので、そんな形の演奏ができないところがはがゆかった。
そんな意味での消化不良さは多少残ったけれども、全体的な演奏はとてもうまく行ったのではないかと思う。コンサート開始と同時に、一つの扉から私が歩きながら登場し中央の壇上(ファッションショーのようなコの字形のステージで、3方をお客さんに取り囲まれている)に上がって行き、そして、そこにもう一つの扉から踊りながらやってくるダンサーの杏奈さんが絡んでいく。こんな形のスタートは、私のイメージ通りだし(お客さんはビックリしたかもしれないけど)、こういうステージを演出するフルーティストは、おそらく世界中探してもそうザラにはいないだろうと思う。それが証拠にいただいたアンケートにも、「最初はとまどった」というようなコメントは数多く見られた。でも、どんどん舞台にじきこまれていった、というコメントも、ある意味、想定内かナ?(笑)

まあ、そんなこんなで無事終わった第一部の後の第二部は、アルパの上松美香さんとのステージ。アルパというのは、中南米のパラグアイ原産の楽器だが、上松さんにとっては、単に一つの表現手段。彼女自身の音楽性を表現するための絶好の道具(楽器)に過ぎないのだろう。そんな感じさえするほど、彼女とアルパとは一体化している。そして、チャーミング。彼女がデビューした数年前から日本でのアルパ人口は急激に増えたと言われている。それはそうだろう。彼女みたいにカワイクて、魅力的な奏者が魅力的な音楽を演奏していたら、それにハマる人が増えるのはごくごく自然なことだ。私でさえ、単なる彼女にファンになってしまいそうなほど、彼女は人柄もその音楽性もたくさんの魅力を備えている。単なるアイドルとは違う、ホンモノの音楽を持ったホンモノのアーティストだと私は確信できた今回の初共演だった。今後どれだけ彼女を共演する機会があるかわからないけれども、私としては常に気にしていたいアーティストの一人だと思った。


今週11/10のコンサート

2006-11-08 01:13:18 | Weblog
について書いた10月16日づけの最後の日記からずっと更新されていないように見えるけれども、実際は何度か書いていた。でも、それがことごとくエラーで反映されていなかったことについ最近まで気付かなかったのだ。
mixiなどのブログとリンクしたりしていると思わぬところにそういうネットワーク上のミスがあったりする。それに気がつかないまま過ごしてしまうこともあるのでこれからは、けっこう注意が必要かもしれない。
この1ケ月の間にはフランス人アーティストに会うためのパリ行きや著作関係などでいろんなことがあったけれども、どにかく今週の金曜までは、私はコンサート・モード一色なので、その他のプロデュース関係や著作関係などは、それが終わってから(やることはたくさんあるのだけれどもネ)。
今週のコンサート、まだチケットをお求めでない方は、予約をなさっていない方はぜひお早めにどうぞ。
本当に面白いコンサートになると思います。