長い間自分のウェッブサイトに全く手をつけていなかった。というか手をつけられなかったという方が正しいかもしれない。このブログは更新していたものの HP本体は今年の2月現在で動かないママ。
一体どうなってんの?と思われた人も多いかもしれない。
みつとみさん死んじゃったの?
まさかそんなことを思った人がいたかどうかはわからないけれど(別にいたったおかしくないけれど)、最近何とか更新にこぎつけて、この際だから友人の勧めもあって大幅にコンテンツを変えてしまおうと思っている。
もともと「コンテンツが多過ぎ」というご指摘は受けていた(そんなことは百も承知!)。
まあ、これを前向きなアドバイスと謙虚に受け止めるか、あるいは、「そんなこと言ったってこれだけのコンテンツは全部出したいんだ」と開きなおるかは私の人間性が問われるところだが(それほど大げさなものでもないか?)、この際なのでもうちょっとスリムにするつもりでいる。
ということで、サイトに残すのは「プロフィール」(このコンテンツは仕事上、どうしてもはずすわけにはいかない)と「インフォメーション」(アーティストは何をやっているかをお知らせする必要がありますネ)の2つと、このブログだけ残して、後はきれいサッパリ整理してしまおうかとも思っている。
それはそうと、今日が選挙の投票日ということで、私もこの伊豆の地で2回目の投票に行こうと思っている(前回は静岡県知事の選挙だった)。
でも、どうなんでしょうかネ?今回の選挙も前回の小泉選挙の時と同じで日本人みんなが同じ方向に流されていっているようで、どちらに転ぶにしてももうちょっと「自分の意思とか哲学」で考え、行動して欲しいナとは思ってしまうのは私だけでしょうか(同じようなことをおっしゃる人もわりといるので、それほど極端に「右へ習え」的な結果にはならないと思いますが)。
数日前ネットのニュースを見ていたら(私の家にはTVがないもので)、「日本のイルカ漁にオーストラリアがブーイング」というニュースを目にした。
あの国はいまだにこんなことを言っているのか?というのが正直な気持ちなのだが、アングロサクソン、ゲルマン系の国が日本の捕鯨をずっと目の敵にし続けているのはとても不快だし、同時に危険なものも感じてしまう。
大体、「イルカやクジラは頭がいいからだとか、カワイイから殺しては行けない」という考え方自体が差別思想そのものだし、とても危うい考え方だと思う。
大戦中のナチスドイツの考え方の中には「有能なものは残っていい。下等なものは淘汰されていくべきだ」という白人優位主義の思想があったわけで(だからユダヤ人に対する迫害につながっていくわけだが)、このイルカやクジラに関する欧米諸国の考えはこの思想とまったく変わらない差別思想だ。
ナチスは、大戦中本気で有能な白人種(遺伝子レベルでの)の子孫だけを残す実験を行っていたとも言われている。考えるだに恐ろしい感じがする。
私は、アメリカで学生生活を送っていた二十代の時期、大学キャンパスの中で捕鯨のことや環境問題のことを学生たちとよく議論した。あまりにも一方的なグリーンピースの学生たちの物言いにはかなり噛み付いた。私はイルカもクジラもあえて食べないけれど、それを食べる人がいたっていいと思っているし、ましてや、それが日本の伝統文化の浄瑠璃や歌舞伎の屋台骨を支えてきたのだから、その伝統や文化の必要性は十分に理解できるつもりだ。
アメリカや北欧の国も、もともとはみんな「捕鯨大国」だったのに(幕末黒船で下田に着いたペリー提督は捕鯨船の艦長さんだったわけだし)、そのことをすっかり棚にあげて「日本が悪い、日本は残酷だ」の大合唱というのは、「何でそうなるの~?」と思わざるをえない。
でも、こういうことを書き込むと必ずどこかからかものすごい反撃が飛びこんでくる。以前、竹島のことをチラっとしゃべっただけで、とんでもないことになったことがあったし(ブログにウカツなことは書けないということらしい)。
でも、あえて挑発的に書くならば、私の今住んでいる静岡県の伊東市は日本でも数少ないイルカやクジラをスーパーで売っている町なのだ(信じられない人もいるだろうが本当のこと)。
隣町の川奈というところは昔イルカの追い込み漁(イルカが魚たちを追いかけて網に閉じ込めるという漁)で有名だった町でそうした名残りが至るところに残っている。
まあ、それでもイルカやクジラの姿を近くで見かけたことはないけれども、時々スーパーで売っているクジラやイルカの肉を見て、「ああ、この辺にはこういう習慣や伝統が残っているんだろうな」と思ったりしている。
一体どうなってんの?と思われた人も多いかもしれない。
みつとみさん死んじゃったの?
まさかそんなことを思った人がいたかどうかはわからないけれど(別にいたったおかしくないけれど)、最近何とか更新にこぎつけて、この際だから友人の勧めもあって大幅にコンテンツを変えてしまおうと思っている。
もともと「コンテンツが多過ぎ」というご指摘は受けていた(そんなことは百も承知!)。
まあ、これを前向きなアドバイスと謙虚に受け止めるか、あるいは、「そんなこと言ったってこれだけのコンテンツは全部出したいんだ」と開きなおるかは私の人間性が問われるところだが(それほど大げさなものでもないか?)、この際なのでもうちょっとスリムにするつもりでいる。
ということで、サイトに残すのは「プロフィール」(このコンテンツは仕事上、どうしてもはずすわけにはいかない)と「インフォメーション」(アーティストは何をやっているかをお知らせする必要がありますネ)の2つと、このブログだけ残して、後はきれいサッパリ整理してしまおうかとも思っている。
それはそうと、今日が選挙の投票日ということで、私もこの伊豆の地で2回目の投票に行こうと思っている(前回は静岡県知事の選挙だった)。
でも、どうなんでしょうかネ?今回の選挙も前回の小泉選挙の時と同じで日本人みんなが同じ方向に流されていっているようで、どちらに転ぶにしてももうちょっと「自分の意思とか哲学」で考え、行動して欲しいナとは思ってしまうのは私だけでしょうか(同じようなことをおっしゃる人もわりといるので、それほど極端に「右へ習え」的な結果にはならないと思いますが)。
数日前ネットのニュースを見ていたら(私の家にはTVがないもので)、「日本のイルカ漁にオーストラリアがブーイング」というニュースを目にした。
あの国はいまだにこんなことを言っているのか?というのが正直な気持ちなのだが、アングロサクソン、ゲルマン系の国が日本の捕鯨をずっと目の敵にし続けているのはとても不快だし、同時に危険なものも感じてしまう。
大体、「イルカやクジラは頭がいいからだとか、カワイイから殺しては行けない」という考え方自体が差別思想そのものだし、とても危うい考え方だと思う。
大戦中のナチスドイツの考え方の中には「有能なものは残っていい。下等なものは淘汰されていくべきだ」という白人優位主義の思想があったわけで(だからユダヤ人に対する迫害につながっていくわけだが)、このイルカやクジラに関する欧米諸国の考えはこの思想とまったく変わらない差別思想だ。
ナチスは、大戦中本気で有能な白人種(遺伝子レベルでの)の子孫だけを残す実験を行っていたとも言われている。考えるだに恐ろしい感じがする。
私は、アメリカで学生生活を送っていた二十代の時期、大学キャンパスの中で捕鯨のことや環境問題のことを学生たちとよく議論した。あまりにも一方的なグリーンピースの学生たちの物言いにはかなり噛み付いた。私はイルカもクジラもあえて食べないけれど、それを食べる人がいたっていいと思っているし、ましてや、それが日本の伝統文化の浄瑠璃や歌舞伎の屋台骨を支えてきたのだから、その伝統や文化の必要性は十分に理解できるつもりだ。
アメリカや北欧の国も、もともとはみんな「捕鯨大国」だったのに(幕末黒船で下田に着いたペリー提督は捕鯨船の艦長さんだったわけだし)、そのことをすっかり棚にあげて「日本が悪い、日本は残酷だ」の大合唱というのは、「何でそうなるの~?」と思わざるをえない。
でも、こういうことを書き込むと必ずどこかからかものすごい反撃が飛びこんでくる。以前、竹島のことをチラっとしゃべっただけで、とんでもないことになったことがあったし(ブログにウカツなことは書けないということらしい)。
でも、あえて挑発的に書くならば、私の今住んでいる静岡県の伊東市は日本でも数少ないイルカやクジラをスーパーで売っている町なのだ(信じられない人もいるだろうが本当のこと)。
隣町の川奈というところは昔イルカの追い込み漁(イルカが魚たちを追いかけて網に閉じ込めるという漁)で有名だった町でそうした名残りが至るところに残っている。
まあ、それでもイルカやクジラの姿を近くで見かけたことはないけれども、時々スーパーで売っているクジラやイルカの肉を見て、「ああ、この辺にはこういう習慣や伝統が残っているんだろうな」と思ったりしている。