みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

久しぶりの HP更新

2009-08-30 10:14:17 | Weblog
長い間自分のウェッブサイトに全く手をつけていなかった。というか手をつけられなかったという方が正しいかもしれない。このブログは更新していたものの HP本体は今年の2月現在で動かないママ。
一体どうなってんの?と思われた人も多いかもしれない。
みつとみさん死んじゃったの?
まさかそんなことを思った人がいたかどうかはわからないけれど(別にいたったおかしくないけれど)、最近何とか更新にこぎつけて、この際だから友人の勧めもあって大幅にコンテンツを変えてしまおうと思っている。
もともと「コンテンツが多過ぎ」というご指摘は受けていた(そんなことは百も承知!)。
まあ、これを前向きなアドバイスと謙虚に受け止めるか、あるいは、「そんなこと言ったってこれだけのコンテンツは全部出したいんだ」と開きなおるかは私の人間性が問われるところだが(それほど大げさなものでもないか?)、この際なのでもうちょっとスリムにするつもりでいる。
ということで、サイトに残すのは「プロフィール」(このコンテンツは仕事上、どうしてもはずすわけにはいかない)と「インフォメーション」(アーティストは何をやっているかをお知らせする必要がありますネ)の2つと、このブログだけ残して、後はきれいサッパリ整理してしまおうかとも思っている。

それはそうと、今日が選挙の投票日ということで、私もこの伊豆の地で2回目の投票に行こうと思っている(前回は静岡県知事の選挙だった)。
でも、どうなんでしょうかネ?今回の選挙も前回の小泉選挙の時と同じで日本人みんなが同じ方向に流されていっているようで、どちらに転ぶにしてももうちょっと「自分の意思とか哲学」で考え、行動して欲しいナとは思ってしまうのは私だけでしょうか(同じようなことをおっしゃる人もわりといるので、それほど極端に「右へ習え」的な結果にはならないと思いますが)。

数日前ネットのニュースを見ていたら(私の家にはTVがないもので)、「日本のイルカ漁にオーストラリアがブーイング」というニュースを目にした。
あの国はいまだにこんなことを言っているのか?というのが正直な気持ちなのだが、アングロサクソン、ゲルマン系の国が日本の捕鯨をずっと目の敵にし続けているのはとても不快だし、同時に危険なものも感じてしまう。
大体、「イルカやクジラは頭がいいからだとか、カワイイから殺しては行けない」という考え方自体が差別思想そのものだし、とても危うい考え方だと思う。
大戦中のナチスドイツの考え方の中には「有能なものは残っていい。下等なものは淘汰されていくべきだ」という白人優位主義の思想があったわけで(だからユダヤ人に対する迫害につながっていくわけだが)、このイルカやクジラに関する欧米諸国の考えはこの思想とまったく変わらない差別思想だ。
ナチスは、大戦中本気で有能な白人種(遺伝子レベルでの)の子孫だけを残す実験を行っていたとも言われている。考えるだに恐ろしい感じがする。
私は、アメリカで学生生活を送っていた二十代の時期、大学キャンパスの中で捕鯨のことや環境問題のことを学生たちとよく議論した。あまりにも一方的なグリーンピースの学生たちの物言いにはかなり噛み付いた。私はイルカもクジラもあえて食べないけれど、それを食べる人がいたっていいと思っているし、ましてや、それが日本の伝統文化の浄瑠璃や歌舞伎の屋台骨を支えてきたのだから、その伝統や文化の必要性は十分に理解できるつもりだ。
アメリカや北欧の国も、もともとはみんな「捕鯨大国」だったのに(幕末黒船で下田に着いたペリー提督は捕鯨船の艦長さんだったわけだし)、そのことをすっかり棚にあげて「日本が悪い、日本は残酷だ」の大合唱というのは、「何でそうなるの~?」と思わざるをえない。
でも、こういうことを書き込むと必ずどこかからかものすごい反撃が飛びこんでくる。以前、竹島のことをチラっとしゃべっただけで、とんでもないことになったことがあったし(ブログにウカツなことは書けないということらしい)。
でも、あえて挑発的に書くならば、私の今住んでいる静岡県の伊東市は日本でも数少ないイルカやクジラをスーパーで売っている町なのだ(信じられない人もいるだろうが本当のこと)。
隣町の川奈というところは昔イルカの追い込み漁(イルカが魚たちを追いかけて網に閉じ込めるという漁)で有名だった町でそうした名残りが至るところに残っている。
まあ、それでもイルカやクジラの姿を近くで見かけたことはないけれども、時々スーパーで売っているクジラやイルカの肉を見て、「ああ、この辺にはこういう習慣や伝統が残っているんだろうな」と思ったりしている。



音は人なり

2009-08-17 13:20:30 | Weblog
先日の15日、大田区の平和祈年コンサートにレディース・オーケストラ<フルムス>の指揮者/フルーティスト/ MC として登場してかなり楽しい時間を過ごすことができた。
昨年も招待されて演奏したコンサートでの今年の最大の収穫は中国人二胡奏者、姜建華(ジャン・ジェン・ホワ)さんと共演できたことだ。曲は、彼女自身がサウンドトラックでも演奏していた映画『ラスト・エンペラー』のテーマ、そしてヴァイオリンの曲として有名なモンティの『チャルダッシュ(実はこの曲のオリジナル楽器はハーモニカ)』。ジャンさんとの共演はこのたった2曲だけだったが、私にとっては何ものにも代え難い貴重な体験になったし、何よりもフルムスメンバーの若いアーティストたちにとっても貴重な体験になったはずだと思う。
本番前日の小中学生を招いての公開リハーサルでは、こちら側がジャンさんの演奏を支えるはずが、まったく逆にジャンさんにあわせていただいた風になってしまい、もはやその時点で圧倒的な格の違いというものを見せつけられた。
本番でも私はジャンさんが気持ちよく演奏できるよう必死にオケをひっぱっていくのが精一杯。とても余裕のある演奏とまではいかなかったが、ジャンさんのあまりの演奏の素晴らしさに(聞き惚れていたのか?)自分の出番を忘れてしまう子もいたほど(彼女も当然反省はしているが)。
とにもかくにも、彼女の音楽の大きさはその人柄にもよく現れている。どんな時も笑顔を忘れず相手に配慮して腰の低いその姿はとても世界的に活躍する二胡アーティストには見えない。というか、ある意味、これだけの人柄だからこそあれだけ世界的な活躍ができるのかもしれないとも思えてくるのだが。
「音は人なり」と言うが、このことばはすべての事柄にもあてはまる。音楽をやろうが、踊りをやろうが、それをやる人間の中身がそのまま表現に出てくるのは当たり前のこと。日本語でおしゃべりな人は英語をしゃべろうが、フランス語をしゃべろうがどんな時もおしゃべりだ。逆に無口な人はどんな状況だろうと無口であることに変わりはない。
音楽というのは、その人の心の中身を音にして表現するものだから、その人の心の中がそのまま音になって現れてくるのも至極当たり前のこと。どんな芸の世界でもこんな至極当たり前の「真理」に気づかずに技術こそが芸と思ってしまう若い演奏家も多いが、そういう人たちにこそジャンさんのような人間としてもアーティストとしても素晴らしい人の「芸」を学んで欲しいと思ったコンサートでもあった。


伊豆で初めて体験する地震

2009-08-11 18:40:18 | Weblog
は、いきなり朝方襲ってきた。つい数ヶ月前ムカデに教われたのも朝方5時頃。これはけっこう魔の時間帯か?(なんて一人で思っているけれども、ハハハ … 笑いごっちゃない)。
結界でも作らなければ(ウチには虫除け用の結界は至るところに置いてあるけれども時間の結界ってあるのかナ?)

地震で軽い置き物や額、ピアノの上の楽譜などが散乱してしまったけれども、家具とかが倒れたりはしなかったのでとりあえず身体も無事。
でも、これを書いている夕方の6時にもまたガタガタと余震が始まってけっこう落ち着かない。
今朝の本震の時はちょうど台風が最接近した時でもあったので、雷もすごく「天変地異の前ぶれか?」なんてぐらい外は大荒れ状態。
それに、今年の夏はいつ来たのか?という感じもするぐらい「はっきりした夏」の感覚がないのもちょっと不気味だ。
つい先日も来客があり、ウチで二日間を過ごして帰っていったけれども、彼ら彼女らが来た二日はちょうど奇跡的に晴れわたり、海をきれいに見え、そして満月に近い月まで鑑賞できた奇跡的な二日間だった。おかげで彼らは満足して帰っていってくれたようだけれども、そんな時にやってこなかったら「海なんかどこにあるの?毎日雨でうっとおしい」というとんでもなくイヤな感想を持って帰っていくことになったかもしれない。

そして、昨日は日帰りで東京での仕事。
雑誌のインタビューの仕事で、「ドラ○○」で有名な作曲家のS氏の自宅兼工房にお邪魔した。相当のゲーム好きと聴いていたので工房の機材がさぞかしと思いきや、わりとレトロなものが多くちょっと安心(私自身もあまり最先端の機材には囲まれていないので)。
でも、この方の頭脳明晰さは相当なもの。戦争中に小学生だったというのだから私よりもかなり先輩なのだが、さすがにT大を出た作曲家とは思える答えが次々に返ってくる。で、その学歴のことにふれると、「昔は作曲家なんて、T大卒かT芸大卒しかいなかったんだよ」というこれまたすこぶる明快な答え。
ウン、確かにそんな時代もあったかもしれない。何せ、音楽なんていう「ぜいたく品」に囲まれて暮らすことはわりと「いい家庭」にしかできないことだったのだから、音楽家や音楽評論家なんて相当のインテリ家庭かハイカラ家庭からしか出てこなかったのだろう。
そんなこんなを思いながら伊豆の自宅に帰ってきたその数時間後にこの地震と雷が襲ってきた。
今も雨が降り、どこにも海の姿も島の姿もない。
本当に「いつ夏は来るの?」という感じだ。