どんなに立場が変わろうとも、どんなに環境が違っていてもおそらく人間に共通の感情なのかもしれない。
最近、スーパーで買い物をしているとやたら大柄で肉付きのよい女性に目が行くようになっている自分に気がつく。
別にそういう女性が「好み」だから見とれてしまうわけではない。
多分羨ましいのだと思う。
頑張ってもなかなか体重の増えない恵子のことを思い「どうしたらウチの恵子もあんな風に肉付きが良くなってくれるのだろう?」、いつもそんなことばかり考えているからこその「ないものねだり」でそういう女性を見つめてしまうのかもしれない。
スーパーには食料品を買うために行くことがほとんどなので、私の頭の中では「何を買って何を作れば恵子の体重が増えるかナ?」といった思いがいつも廻っている。
単純にカロリーの高いものを買えば良いじゃんといったものでもない。
健康に太っていかなければならない。
これは、実は、そう簡単にできることではない。
特に、現代のように多国籍企業が世界全体の食料を支配しているようなグローバルな世の中ではこの「健康に太る」というのはけっこう至難のワザなのだ。
アメリカ人が太っているのはあまりにも健康ではないモノを食べ過ぎているせいだということは多くの学者や医者が指摘する。
日本だろうとアメリカだろうとスーパーで売られている食品は、「安いものほど太り易く、病気のリスクが高い」からだ(ここにグローバリズムの一番悪い面が顕著に出ている)。
ということは、逆に言えば、高い食べ物ほど安全だということになる。
それが証拠に、アメリカ人だって金持ちはけっして太っちゃいない。
日本人が目を丸くするほど太っているアメリカ人は大概、安いジャンクフードやファストフードを日常的に食している人たちだ(こう言い切ってしまうのもかなり暴論だが、一般論としてはきっと正しいのではないだろうか)。
私は、スーパーでどんな品物もレジバッグに入れる前に商品の後ろを見て何が中身に入っているかをチェックする。
「調味料(アミノ酸、等)」と書いてあるものはまず買わない。例の中華料理症候群の原因にもなったグルタミン酸ナトリウムはなるべく口にしたくないからだ。
このグルタミン酸ナトリウム(つまり「味の素」だ)は依存性が高いので(人の脳がそう感じてしまうのだからこれは一種の麻薬だ)これが入っていない食べ物を人間の脳はだんだん「美味しい」とは感じなくなってしまう。
「でも、そんなことしていたらスーパーで買えるものなんかほとんどなくなっちゃうよ。それに、そういう調味料をまったく口にしないで生きていくこと自体今は無理な世の中なんだから」という人も多いが、食べ物は毎日自分がちゃんと動けるかどうか、ちゃんと思考できるかどうかの一番大事な鍵なので、出来る限り「健康なもの」を食べたいと思う。
せっかく長生きしたって「健康に長生き」しなきゃ何の意味もない。
しかも、恵子のように、ただでさえ弱っている身体に追い打ちをかけるような食生活は絶対避けなければならない。
でも、太ってくれないと困る、という何かとてつもなく「矛盾した命題」を突きつけられているようでいつも悩む。
しかも、私は「主夫」なので、お金の面でもやりくり上手でなければならない。
結論としては、「なるべく自然なものを食べる」という(何かちょっとツマラナイ)オチに落ち着かざるを得ないのだろうが、それでも、東京ではなく伊豆の山の中に暮らしているとそれなりの良い面もある。
近所の家は家庭菜園だらけだし(なので近所からいろいろと野菜のご相伴に預かれるし、たまに猟友会のメンバーの人から鹿肉や猪肉のお裾分けもある)、この季節ラズベリーやマルベリー(つまり、桑の実)なんかそこら中になっているので、昨日も熟した桑の実を1キロぐらい近所の木からもいでジャムを5瓶ぐらい作り近所にお裾分けした。
ヨーグルトにかけて食べるとブルーベリージャムなどよりもはるかにおいしいし、アントシアニンやカルシウム、多くのミネラル類もブルーベリーよりもはるかに多い「健康食品」だ。
そのうちブルーベリーも枇杷もイチジクとかも熟してくる。唯一の問題は、鹿やサルやイノシシ、鳥たちに先に食べられてしまうかもしれないことだが、これも「どっちが早いか」みたいな自然の中での競争だから、「人様が負けてたまるもんか」と知恵を絞る。これはこれで楽しい。
今日朝食に食べた桑の実ジャムがとても美味しかったせいか、ここしばらく恵子は具合が悪く(微熱がずっと続いていたので)お風呂に入ることができなかったのだが今日久しぶりにお風呂に入ることができた(私は健常者なので毎日入れるが介護されている人はそういうわけにはいかない)。
彼女、以前よりは足の力がついてきたのか、介助をしながらも「この分ならもうすぐ介助なしでも一人で入れるようになるんじゃないかナ?」と思えるほど足はしっかりしてきている。
ただ、それでもやはり片側麻痺というのは大変なことなのだと思う。
今日も、いつものように彼女の頭を洗って身体を洗ったところで彼女の顔を見ると鼻からおでこにかけてちょっと汚れが目立つのでそう言うと、彼女曰く「そう、片手だとどうしてもあまり良く洗えないの」(片手だけで顔を洗うのはけっこう難しい)。
じゃあ、とばかり「俺が洗ってやる」と石鹸を泡立てる。
先日ラジオでオグネエが「顔を洗う時、顔をこすってはダメ。泡を毛穴に優しくしみ込ませて汚れを優しく洗い流してください」と言っていたのを思い出したからだ。
すると彼女曰く「そんなことどこで習ったの?」
ハハハ、習ったわけじゃないよ、オグネエがそう言っていただけだよ(彼もダテにオネエやってるわけじゃないんだよナ)。
彼女、久しぶりのお風呂で疲れたのか(彼女の入浴はいつも午後の早い時間ダ)、まだ陽も高いのにベッドに入るなり「ああ、気持ちヨカッタ」とスヤスヤと寝てしまった。
今日の夜は満月だ。
最近、スーパーで買い物をしているとやたら大柄で肉付きのよい女性に目が行くようになっている自分に気がつく。
別にそういう女性が「好み」だから見とれてしまうわけではない。
多分羨ましいのだと思う。
頑張ってもなかなか体重の増えない恵子のことを思い「どうしたらウチの恵子もあんな風に肉付きが良くなってくれるのだろう?」、いつもそんなことばかり考えているからこその「ないものねだり」でそういう女性を見つめてしまうのかもしれない。
スーパーには食料品を買うために行くことがほとんどなので、私の頭の中では「何を買って何を作れば恵子の体重が増えるかナ?」といった思いがいつも廻っている。
単純にカロリーの高いものを買えば良いじゃんといったものでもない。
健康に太っていかなければならない。
これは、実は、そう簡単にできることではない。
特に、現代のように多国籍企業が世界全体の食料を支配しているようなグローバルな世の中ではこの「健康に太る」というのはけっこう至難のワザなのだ。
アメリカ人が太っているのはあまりにも健康ではないモノを食べ過ぎているせいだということは多くの学者や医者が指摘する。
日本だろうとアメリカだろうとスーパーで売られている食品は、「安いものほど太り易く、病気のリスクが高い」からだ(ここにグローバリズムの一番悪い面が顕著に出ている)。
ということは、逆に言えば、高い食べ物ほど安全だということになる。
それが証拠に、アメリカ人だって金持ちはけっして太っちゃいない。
日本人が目を丸くするほど太っているアメリカ人は大概、安いジャンクフードやファストフードを日常的に食している人たちだ(こう言い切ってしまうのもかなり暴論だが、一般論としてはきっと正しいのではないだろうか)。
私は、スーパーでどんな品物もレジバッグに入れる前に商品の後ろを見て何が中身に入っているかをチェックする。
「調味料(アミノ酸、等)」と書いてあるものはまず買わない。例の中華料理症候群の原因にもなったグルタミン酸ナトリウムはなるべく口にしたくないからだ。
このグルタミン酸ナトリウム(つまり「味の素」だ)は依存性が高いので(人の脳がそう感じてしまうのだからこれは一種の麻薬だ)これが入っていない食べ物を人間の脳はだんだん「美味しい」とは感じなくなってしまう。
「でも、そんなことしていたらスーパーで買えるものなんかほとんどなくなっちゃうよ。それに、そういう調味料をまったく口にしないで生きていくこと自体今は無理な世の中なんだから」という人も多いが、食べ物は毎日自分がちゃんと動けるかどうか、ちゃんと思考できるかどうかの一番大事な鍵なので、出来る限り「健康なもの」を食べたいと思う。
せっかく長生きしたって「健康に長生き」しなきゃ何の意味もない。
しかも、恵子のように、ただでさえ弱っている身体に追い打ちをかけるような食生活は絶対避けなければならない。
でも、太ってくれないと困る、という何かとてつもなく「矛盾した命題」を突きつけられているようでいつも悩む。
しかも、私は「主夫」なので、お金の面でもやりくり上手でなければならない。
結論としては、「なるべく自然なものを食べる」という(何かちょっとツマラナイ)オチに落ち着かざるを得ないのだろうが、それでも、東京ではなく伊豆の山の中に暮らしているとそれなりの良い面もある。
近所の家は家庭菜園だらけだし(なので近所からいろいろと野菜のご相伴に預かれるし、たまに猟友会のメンバーの人から鹿肉や猪肉のお裾分けもある)、この季節ラズベリーやマルベリー(つまり、桑の実)なんかそこら中になっているので、昨日も熟した桑の実を1キロぐらい近所の木からもいでジャムを5瓶ぐらい作り近所にお裾分けした。
ヨーグルトにかけて食べるとブルーベリージャムなどよりもはるかにおいしいし、アントシアニンやカルシウム、多くのミネラル類もブルーベリーよりもはるかに多い「健康食品」だ。
そのうちブルーベリーも枇杷もイチジクとかも熟してくる。唯一の問題は、鹿やサルやイノシシ、鳥たちに先に食べられてしまうかもしれないことだが、これも「どっちが早いか」みたいな自然の中での競争だから、「人様が負けてたまるもんか」と知恵を絞る。これはこれで楽しい。
今日朝食に食べた桑の実ジャムがとても美味しかったせいか、ここしばらく恵子は具合が悪く(微熱がずっと続いていたので)お風呂に入ることができなかったのだが今日久しぶりにお風呂に入ることができた(私は健常者なので毎日入れるが介護されている人はそういうわけにはいかない)。
彼女、以前よりは足の力がついてきたのか、介助をしながらも「この分ならもうすぐ介助なしでも一人で入れるようになるんじゃないかナ?」と思えるほど足はしっかりしてきている。
ただ、それでもやはり片側麻痺というのは大変なことなのだと思う。
今日も、いつものように彼女の頭を洗って身体を洗ったところで彼女の顔を見ると鼻からおでこにかけてちょっと汚れが目立つのでそう言うと、彼女曰く「そう、片手だとどうしてもあまり良く洗えないの」(片手だけで顔を洗うのはけっこう難しい)。
じゃあ、とばかり「俺が洗ってやる」と石鹸を泡立てる。
先日ラジオでオグネエが「顔を洗う時、顔をこすってはダメ。泡を毛穴に優しくしみ込ませて汚れを優しく洗い流してください」と言っていたのを思い出したからだ。
すると彼女曰く「そんなことどこで習ったの?」
ハハハ、習ったわけじゃないよ、オグネエがそう言っていただけだよ(彼もダテにオネエやってるわけじゃないんだよナ)。
彼女、久しぶりのお風呂で疲れたのか(彼女の入浴はいつも午後の早い時間ダ)、まだ陽も高いのにベッドに入るなり「ああ、気持ちヨカッタ」とスヤスヤと寝てしまった。
今日の夜は満月だ。