なかなかあなどれない。
家の河津桜の木は2年前の春の突風で根本からへし折られてしまった。
その横倒しになった桜の幹を必死に真っすぐにおこし支えを作り生き返らせて現在に至っているのだが、今日の風でまたちょっと怪しい状態になってしまった。
そのため、今日はその応急処置に半日費やした。
私の家は海抜300メーターほどの高台にあるので風は半端なく強い。さっきまで凪いでいたと思って油断しているとすぐに強い風が吹いてくる(この辺りの東伊豆地域は風力発電でも有名なところだ)。
今日の応急処置でウチの桜が持ちこたえてくれるといいのだが、桜の木というのは意外ともろい。東京の街路樹として植えられている桜も良く見るとけっこう支え棒でしっかりとおさえられている。桜というのは案外そういう植物なのだろう。
ウチの桜の木の生き死にも気になるのだが、今日のABCニュースがアメリカのフォーク・ブルース・シンガーのフィービー・スノウの死亡を伝えていた。
60歳。彼女は私の最も尊敬するアーティストの一人なのでちょっとショックだ。
私がフィービー・スノウの名前を知ったのは私が十代だった60年代。
『サンフランシスコ・ベイ・ブルース』というアルバムを聞きその独特の声と歌い回しですぐにファンになったのはいいのだが、次のアルバムが待てど暮らせど出てこない。
そのうち彼女の存在すら忘れてしまったある日、彼女が突然初来日した。
89年だったと思うが、新大久保のグロ-ブ座というふだんは芝居の公演の多い場所での1週間ぶっ通しの公演だった(芝居小屋なので1週間貸しが基本なのだろう)。
これは絶対に行かねばと思って初日のチケットを買って劇場に行くと知った顔がかなり並んでいる。
しかも、アーティストのマネージャーばかり。
渡辺美里、チャーなどのマネージャーたちと会いお互いに「実はフィービー・スノウのファンだったんだ」ということのカミングアウトで盛り上がったことを今でもよく覚えている。
ただ、実際のコンサートを聞き始めると私はそんな盛り上がりなどすぐに忘れ、もう涙ボロボロの感動の嵐で休憩時には立ち上がれなくなってしまった(たんに顔を人に見せるのが恥ずかしかったからなのだが)。
彼女のコンサート中のMCを聞いて初めて彼女の20年以上のブランクの理由を理解した。
デビューしてすぐに子供を産んだ彼女の子供が自閉症などのさまざまな病気を抱えていたからだ。
彼女は娘の介護でアーティスト活動を休止していたのだ。
だからというわけではないが、彼女の歌うその歌声の優しさに身も心も完全にノックアウトされ、私は翌日から最終公演までの全公演毎日通いつめた。
そんな彼女はもうこの世にはいない。
でも、アーティストというのは「トラは死して皮を残す」ではないけれど、いろいろなものを世の中に残していく。
早速彼女のヒットチューン「Poetry man」を聞く。
家の河津桜の木は2年前の春の突風で根本からへし折られてしまった。
その横倒しになった桜の幹を必死に真っすぐにおこし支えを作り生き返らせて現在に至っているのだが、今日の風でまたちょっと怪しい状態になってしまった。
そのため、今日はその応急処置に半日費やした。
私の家は海抜300メーターほどの高台にあるので風は半端なく強い。さっきまで凪いでいたと思って油断しているとすぐに強い風が吹いてくる(この辺りの東伊豆地域は風力発電でも有名なところだ)。
今日の応急処置でウチの桜が持ちこたえてくれるといいのだが、桜の木というのは意外ともろい。東京の街路樹として植えられている桜も良く見るとけっこう支え棒でしっかりとおさえられている。桜というのは案外そういう植物なのだろう。
ウチの桜の木の生き死にも気になるのだが、今日のABCニュースがアメリカのフォーク・ブルース・シンガーのフィービー・スノウの死亡を伝えていた。
60歳。彼女は私の最も尊敬するアーティストの一人なのでちょっとショックだ。
私がフィービー・スノウの名前を知ったのは私が十代だった60年代。
『サンフランシスコ・ベイ・ブルース』というアルバムを聞きその独特の声と歌い回しですぐにファンになったのはいいのだが、次のアルバムが待てど暮らせど出てこない。
そのうち彼女の存在すら忘れてしまったある日、彼女が突然初来日した。
89年だったと思うが、新大久保のグロ-ブ座というふだんは芝居の公演の多い場所での1週間ぶっ通しの公演だった(芝居小屋なので1週間貸しが基本なのだろう)。
これは絶対に行かねばと思って初日のチケットを買って劇場に行くと知った顔がかなり並んでいる。
しかも、アーティストのマネージャーばかり。
渡辺美里、チャーなどのマネージャーたちと会いお互いに「実はフィービー・スノウのファンだったんだ」ということのカミングアウトで盛り上がったことを今でもよく覚えている。
ただ、実際のコンサートを聞き始めると私はそんな盛り上がりなどすぐに忘れ、もう涙ボロボロの感動の嵐で休憩時には立ち上がれなくなってしまった(たんに顔を人に見せるのが恥ずかしかったからなのだが)。
彼女のコンサート中のMCを聞いて初めて彼女の20年以上のブランクの理由を理解した。
デビューしてすぐに子供を産んだ彼女の子供が自閉症などのさまざまな病気を抱えていたからだ。
彼女は娘の介護でアーティスト活動を休止していたのだ。
だからというわけではないが、彼女の歌うその歌声の優しさに身も心も完全にノックアウトされ、私は翌日から最終公演までの全公演毎日通いつめた。
そんな彼女はもうこの世にはいない。
でも、アーティストというのは「トラは死して皮を残す」ではないけれど、いろいろなものを世の中に残していく。
早速彼女のヒットチューン「Poetry man」を聞く。