みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

先週土曜日の26日に行った保育園でのコンサートで気づいたこと

2011-11-28 22:43:49 | Weblog
子どもたちの元気な声と行動は時に音楽なんか掻き消してしまう。
おまけに私のしゃべりに反応し過ぎて「おいおいお前たちいい加減邪魔すんのやめて」と叫びたくもなるが「ここで負けちゃイカン」と自分をなだめ、子どもたちに「じゃあ、これはどう?」と、何とかあの手この手でかわそうとする。
でも、はっきり言って子どもたちには勝てません(笑)。
というか、勝とうとすること自体が無謀。
まあ、だからコンサートの進行も完全に子どもたち任せ。
彼ら彼女らが満足ならコンサートは大成功なのだから。
それよりも、私が保育園の中で気づいたことは、保育園の遊び道具がリハビリ施設にあるそれとほとんど同じものだということ。
つまりはこれまでずっと思ってきた「リハビリとは赤ちゃんから保育園、幼稚園、小学生、高校生、…と人の進歩の過程をもう一度やり直していく作業に他ならない」ということを保育園のコンサートで改めて認識したということだ。
ただ、…。
ただ子供たち以上に気になるのは、(子供たちの成長も個々バラバラなように)リハビリという作業の最終「結果」も本当に個々バラバラなことだ。
車椅子から離れられない人、見るからに杖で不自由そうに歩く人、あるいは逆に、言われなければ障害があるとは思われないほど回復した人など、その結果は千差万別。
でも、私にとってはこの違いこそが一番の問題。
先日ずっと探していた日本未公開の映画`The music never stopped'のDVDをネットで購入して見た(日本でもきっと来年あたり公開されるだろう)。
私が雑誌でもコンサートでもことあるごとに紹介してきた映画『レナードの朝』の原作の「Awakening」の著者で医師/音楽療法の権威のオリバーサックス博士の`The last hippie'という別の著作を元に作られた映画がこれ(今年のサンダンス映画祭で招待作品として上映されたそうだ)。
脳腫瘍で記憶障害になった息子を治そうと両親がひたむきに努力して見つけた治療法が音楽療法だったという実話を元にした映画なのだが,この青年の記憶が本当に戻ったかどうかの「結果」が曖昧なままで終わるのでその意味ではちょっと不満の残る映画だった。
せっかくオリバー・サックス博士の原作ということで期待してわざわざネットでオーダーしたのだったけど…(アメリカのDVなのでリージョンまで変えないと見られないし)。

ただ、病気の「結果」というのはとても微妙な事柄であることは確かだ(ひょっとしたら、だからこの映画では「結果」を見せていなかったのかもしれないとも思う)。
『レナードの朝』でも映画では奇跡的に治ったかに見えた眠り病の患者たちも実際には薬が切れるとまた元に戻ってしまったそうだし、「いつ」の時点を病気の「結果」とみなすのかの絶対的なポイントというものはない(普通はそれを医者が決めるのだがそれもかなり問題だ)。
というか、それを決めること自体、ある意味、不可能なのかもしれない(結局死ぬまで結果はわからないという言い方もできるわけだし)。
私の周りで知っている脳卒中の患者だけ並べてみても、
発症後 2年=現在車椅子と杖の併用生活。(60才女性)
発症後 5年=現在完璧にノーマルな状態へ復帰。( 61才男性)
発症後 1年=現在杖で歩く。ちょっと不自由な歩き。(67才男性)
発症後 4か月=現在杖で歩く。歩き方多少不自由なぐらい。(42才女性)

たった4人しか直接の知り合いでは同じ病気を体験した人はいないがそれでもこれだけ「結果」に開きがある。
この結果をどう分析するのか,結果をどの時点とするかとても大きな問題だ

恵子の発症は9月2日なのでもうすぐ3か月ということになる。
そろそろ車椅子から離れ、杖での歩行に切り替える段階に来ている。
多分、このスピードはそれほど驚異的に早いわけでも遅いわけでもないと思う(手が足よりも若干遅めだがそれも人によって違うのは当たり前だ)。
やはり問題はその「結果」の良し悪し。
動くには動いてもいかにも「不自由な動き」であっては、私は治ったことにはならないと思っている。
私と恵子にとっての「結果」はあくまでも自然で美しい動きを得ることだ。
なので、リハビリ中、恵子の動きにちょっとでも変な動きを見つけるとたとえ療法士さんがOKを出しても私がダメを出す。
これは二人の戦いであってけっしてお医者さんの戦いでも療法士さんの戦いでもないと思っているからだ。
今私と彼女が多くの時間と精神的エネルギーと肉体を最大限に費やして得ようとしているものは他でもない「二人の生活」なのだから。

アトウォーター係数というのが

2011-11-24 23:35:59 | Weblog
食べ物のカロリー計算のもとになっていることは以前から知っていたのだが、最近タニタの社員食堂の本が売れているということで、この係数のことがまた少し気になり始めている。
タンパク質は(4kcal/g)、脂肪は9kcal/g)、炭水化物は4kcal/g、糖分は(4kcal/g) アルコールについては7kcal/gというような係数を単純に掛けていけばカロリーの総量が大体わかるのだが、この数字はあまりにも大雑把だということで最近は「修正アトウォーター係数」といった言い方をされることが多い。でも修正版でも食品の種類によるバラツキが3.6~4.5程度なのでそれが4であってもそれほどの違いはない。
だから、単純にタンパク質は4とか脂肪は9とか覚えておけばいいのだが、問題はこのカロリーなるものが人類の歴史をどれだけ悩ませてきたかということ。
もともと人間は生き延びるため寒さを飢えをしのぐために身体を燃やすエネルギーが必要だったわけでそれを食物から得ようとするのは自然の道理。
その時その時の食べ物がどれだけの熱量を生み出すことができるかどうかの計算がカロリー計算で、もともとの発想は「これだけのカロリー取らないと人間は生き延びていけませんよ」ということだったはずが、最近は、このカロリーをできるだけ少なくしないと逆に生き延びられませんよという状態になってきている。
カロリー摂取過多がありとあらゆる病気の原因になってきているからだ。
メタボだけじゃなく、心筋梗塞、脳卒中、糖尿病など最近ヤバい病気とされているものは全てこのカロリー摂取過多が原因とされている。
もともと人間は脳に必要なエネルギーが他の生物よりもはるかに大きい動物だ。脳は体重のわずか2%ぐらいなのに、私たち人間が休んでいる時に必要なエネルギーの率を現す基礎代謝率はその10倍の20%だ。
私たちの脳は身体全体のエネルギーの2割も使っているのだ。
脳の神経細胞を絶えず働かせるためには酸素もブドウ糖が絶えず脳の中に送り込まれている必要があるのでそれがほんの一瞬でも途絶えてしまうと脳の神経細胞はたちまち死滅してしまう。
脳卒中で神経細胞が死滅して身体の一部が麻痺してしまうのもこのことが原因なのかもしれない。
それと、見方を変えると、脳がそれだけ多くのエネルギーを必要としているということは人間の身体のどこかが犠牲になっているということでもある(エネルギーの総量は変わらないのでどこか別のところとエネルギーをトレードオフしなければならないという原則があるからだ)。
そう。人間の消化器官は他の動物に比べてとっても小さくて食べ物の消化にそれほどエネルギーを使わなくても良いようなシステムになっているのだ(つまり、消化器官が犠牲になっている)。
でも、その代わり脳にはたくさんのエネルギーが回って行く。
このことの意味はヘビの消化方法を見れば一目瞭然だ。
ヘビは獲物を丸呑みしてひたすらそれが消化されるのを動かずにじっと待つ(何時間も何日間も)。こんなことを人間がしていたら脳の活動なんかできやしない。
ヘビの消化方法では人間は働くことも考えることもできないということだ。
人間がこれだけ進化して知能を持ち得たということも小さな消化器官で食べ物を消化できる仕組みがあったからこそ。
つまり、料理をしてモノを柔らかくして消化吸収しやすくしたおかげなのだ(「火」を使って料理をする生物は人間だけだ)。
ところが、ところがだ。
人間はやはりサル知恵なのか、この消化吸収を良くする調理法や柔らかい食べ物を開発してしまったおかげで今度は「肥満」というリスクに命を脅かされている。
近年はそれに経済という因子がもう一つ加わってしまったからさらに話はややこしい。
現在スーパーマーケットに並ぶ食品のほとんどは一握りの多国籍企業に何らかの形で牛耳られている。
肉や野菜だけでなくほとんど全ての加工食品もだ(その大半は遺伝子組み換えものも含めて小麦やトウモロコシ、大豆で作られているからだ)。
多国籍企業の目的はただ一つ、食品を安く、大量に売ることだ(だからこそ遺伝子をバンバン組み替えるし、だからこそ儲けることができるのだ)。
そして、とどのつまりが世界中の人たちは今そういった食品を世界中のどこでも買わざるを得ない仕組みができあがってしまっているということなのだ。
となると、とっても皮肉なことが起こってくる。
昔は、「肥満」はある意味冨の象徴で、太っていることはおいしいものをたくさん食べられる裕福な人の証でもあったのだが、現代は、貧乏人ほどよく太っている。
なぜなら高カロリー食品ほど安いからだ(これこそが多国籍企業の狙い)。
つまり、現代は、「貧乏人ほど肥満で病気のリスクをかかえ、リッチな人間ほど健康でヘルシーな生活ができる」という不思議な社会構造になってしまっている。
誰がこんな世界にしたと恨みごとの一つも言ってみたくもなるがこれが現実なのは致し方のないところ。
だからこそ、せいぜいタニタの社員食堂メニューで自己防衛するしかないのかもしれないが、そこの部分を管理栄養士さんたちもお医者さんたちもよく理解しないと話は本質から完璧にずれてしまう。
恵子が再三再四医師から言われてきた「高血圧がもとで脳卒中で倒れてしまったのは生活習慣が原因」ということばに私は「本当ですか?」とずっと噛み付いてきた。
私と恵子が外食以外にふだん家で食べてきたものはほとんど野菜が中心の食事。肉は極端に少ない食事だ(どちらもそれほど肉食派ではないので)。
どちらかというと野菜さえあれば二人とも満足という食事スタイルだ。
しかも、酒もタバコもやらない(私は晩酌の習慣をまったく持っていないし家で一人でお酒を飲むこともまったくない)。
それなのに「生活習慣が悪いから病気になりました」と言われてもそう簡単に」引き下がるわけにはいかない。
なるほど病院食は低カロリーでよく計算された食事だけれども、本当にこれだけ食べていれば病気のリスクから逃れることができるのか?と噛み付きたくなる。
第一、病院食というのは値段が決まっている。つまり安くおさえなければならない食事が本当に病気のリスクから逃れることができるのか?と言いたいのだ。
病院食に使われている「そのホウレンソウ、大丈夫ですか?残留農薬ありませんか?」「そのミカンだってどこから来たのですか?病院で安く大量に仕入れたのじゃありませんか?」、などなど、本当の意味で安全で低カロリーの健康食というものが現実に作り得るのだろうか?という不安はどこまで言っても拭うことはできないのだ。
だからこそ、タニタのメニューだって本当にヘルシーなのか?と思ってしまうのだが。

リンパマッサージというのは

2011-11-22 20:42:09 | Weblog
本当に軽いタッチで繊細に皮膚をマッサージしていかなければいけないのだが、それを入院以来ずっと施していると、恵子の反応がどんどん変わってくるのがよくわかる。
最初の頃はもちろん無反応。
私が触っていることすら自覚できない。
それがだんだんと「かすかに」「なんとなく」「わかるけどすごく遠い」という風に変わってくる。
ここ最近の反応が面白い。
指先はかなり力が出てきているので、私が指先を恵子の指先にあてると、そのまま指相撲でもできそうなほどの力で押し返してくる。
じゃあ箸なんか簡単に持てそうじゃん、と箸を渡しても割り箸のような軽い箸でもじっと持ってはいられない。
持つこと自体に相当苦労する。とてもモノを食べるどころではない。
要するに、まだ肩から指先にかけて腕全体の力がちゃんとは回復していないのだ。
指先だけ力があってもどうなるものではない。
マッサージを指からだんだん手首にもっていくと最近よく言うのが「ポニョポニョする」ということばだ。
感覚的にはなんとなくわかる。
では、ともう少しマッサージのポイントを肘の方まで上げていくと今度は「ザワワザワワだ」と言う。
それってザワザワするってこと?と聞くとそうでもないらしい。
ザワザワではなくザワワなんだそうだ。
それってどういうこと?と改めて聞くと、例の『トウモロコシ畑』という歌の出だしの「ザワワ」らしい。
つまり、何となく不安な予兆とでも言うのだろうか(ものすごい感覚的なことばだがまあわかることにしておく)
触られている感覚がポニョだったりザワワだったりでなんとなく二人の会話になっているのが不思議だが麻痺なぞ経験したことのない私には本当の「ポニョ」と「ザワワ」の正体はわからないが、恵子と話しているとなんとなく私まで理解できるような感覚になるから不思議だ。
人間というのは本当に「恣意的」な動物だということがよくわかる。
まあ、恣意的とは言っても、恵子と二人の会話には楽しさがあるから良いのだが、今同居している老人との会話はまた別物だ。
何の因果か、恵子の入院以来恵子の叔母と二人暮らしをするハメになったのは良いが、やはりお年寄りとの生活というのはかなりシンドイ部分がある。
世の中には介護の必要があろうがなかろうが(そんなのはケースバイケースで介護の度合いなんて人それぞれケタ違いに異なる)、お年寄りと毎日暮らしている人たちには「吐き出したいこと」がたくさんあるのだと思う。
でも、それを吐き出してしまうと絶対に「愚痴」になるからきっと皆さんあまり言わないのだと思うし、私もそんなことを言い始めたら永遠に終わらないんじゃないかというようなことがたくさんある。
でも、それって個々の家庭や環境ではみんな何とか解決しようとしているのだろうけど、根本的には社会の仕組みが変わらないと本当の意味で問題は解決しないんじゃないだろうかも思う。
老人の一番の問題は明日への希望がないことだ。
「あまり長く生きてもしょうがない。早く死んでしまいたい」と嘆く老人は一人や二人ではない。
若い人が「死にたい」と発することばの意味とはまったく違うことばの重みがそこにはある。
人間の「生命」はあたかも永遠に続いているかのような錯覚の上に生きることのできる若い世代と、もはやエンディングの秒読みを始めた年代の人間では「今日」と「明日」の感覚がまるで違う。
なにか無理矢理生かされていると感じる老人も多いはずだ。
「明日」=「希望」という図式にはならない現在の「今日」という「時間」をどう使っていくのか?
老人の問題はその部分の社会全体での共有だ。
「愚痴」は問題解決にはならないが少なくともストレス発散にはなる。
老人には老人の愚痴が、世話する側には世話する側の愚痴がある。
「ポニョポニョ」や「ザワワ」でわかりあえるぐらいの軽い「会話」が一番幸せだ。

男性療法士と女性療法士の違いを

2011-11-20 23:14:28 | Weblog
いつも観察しているが、その違いはけっこうはっきりしている。
女性の療法士の動作は遠慮がない(情け容赦ないという言い方もできるが)。
別にこれを「荒っぽい」とか「乱暴」とかいうことばで括るつもりはないけれど、恵子も男性の療法士さんの方が「全然やさしい」と言う。
私もそう思う。
男性のタッチはとても繊細だ。
通常のマッサージでも男性のマッサージの方が柔らかく繊細なことが多い。
より力のある男性は自分の力をコントロールしていかないと相手を傷つけたり痛めてしまう可能性があることを知っているからだろう。
それに対してもともと力の弱い分女性は思い切り自分の力を出し切ろうとする。
だから遠慮がないのかもしれない。
つまり「力の余裕」がないということの裏返しとも考えられる。
さらにもう一つの違いは、男性の方が新しいワザや新しい動きにすぐチャレンジしようとするのに対して女性はなかなか新しいことに踏み込もうとしない。
臆病なのか、あるいは慎重なのかは見方によって変わるだろうが、どんどん先に行こうとするのはいつも男性の方だ(という風に私には見えるが私もそれほど数多くの療法士を知っているわけではないのであくまでも私の印象だ)。

ただ、先日の病院で行われたカンフェランスにもどうして療法士さんが参加していなかったのかが不思議でならない。
参加していたのは医師と看護士だけ(前回はソーシャルワーカーさんも同席していたが)。
療法士さんの意見は多分医師が代弁しているということなのだろうが、私は代弁ではなく彼ら彼女らの意見を直接聞きたいと思う。
それは許されないことなのか病院のルールなのかわからないが、おそらく現状ではどの病院でも療法士の地位は医師や看護士よりもきっと下にあるのではないのかと思う。
こうしたヒエラルキーはきっと病院によっても経営形態によってもかなり違いはあるのだろうが、一般的にリハビリという分野そのものが新しい分野なのだから、それを担う療法士という存在もまだまだ「新参者」あるいは「医療のみそっかす」程度ぐらいにしか受け取られていないのではないだろうか。
ここまで言うと言い過ぎなのかもしれないが、私がなぜこう思うかと言えば、それはやはり彼ら彼女らの若さとこの資格を取得するまでの年数の少なさがあるのではないかと思っている。
かなりの年数と知識、そして技術を習得しなければ得ることのできない医師という資格と専門学校出身でも資格が取得できる療法士との格差に医師という立場の人たちが無関心なはずはない。
医師としての自分たちの「権威」はどうしても守りたいはずだ。
だからカンフェランスにも療法士さんたちは呼ばれないのか?
でも、インフォームドコンセントの実践の場(カンフェランス)でありながら一番の当事者である療法士さんが一人もいない会議はどう考えてもオカシイ。
今日病院で恵子と同室の患者(80歳の方)さんが「同じ病院に知り合いがいるはずなんですけどその人に会いに行きたいので病室教えてくれませんか?」という依頼を看護士の人にしていたのがたまたま聞こえてきた。
しかし、その望みは「それは個人情報なので教えたり伝えたりできません」という看護士のことばで簡単に断たれてしまった。
聞いていて「え?」という感じだったが、天下の悪法である「個人情報保護法」なるものは既にここまで人々の心を蝕んでいたのかと思う。
この法律の無意味さはいずれ歴史が検証してくれるはずだが、それと同じぐらい無意味なことばが「インフォームドコンセント」だ。
情報を開示してそれを伝え納得同意してもらうというような意味だが、「カンフェランス」がまさしくこの「インフォームドコンセント」そのものだ(その証拠にカンフェランスの後、私は必ず「聞きました」という項目にサインをさせられる)。
すなわちこのインフォームドコンセントというのは「私たちはちゃんと情報を伝えてますよ。ウソなんか言ってませんよ」という免罪符を病院側が得るためのもので、それ以上でもそれ以下でもない。
現在の病院に転院する数日前に、前の病院で私と恵子は急に担当医師(の一番上司の医師)に呼ばれ、パソコンの画面でCTの画像やらMRの画像などをたくさん見せられ「こうなってます、ああなってます」という説明攻撃を受けたが、結局大事だったのは「とりあえず説明しましたよ」という既成事実だけ。
別に、私も恵子も発症から一ヶ月以上もたって今更そんなこと説明を受けても仕方がないこと。
説明の間中私と恵子は二人で「早く説明終わらないかナ」と目配せをするが担当の医師の説明は嬉々としてなかなか終わらない(彼は説明をとても楽しんでいるように見えた)。
挙げ句の果てに「この病気で百パーセント回復するのは難しいですが気長にリハビリをすれば少しは良い方向に向かうでしょう」と締めくくったのだ。
相手が先生でなければ殴り掛かってやりたいと思ったが、まあ医者というのはこんな人種なんだろうと思い二人で礼を言って先生の部屋を後にした(なんでこんなヤツに礼を言わなければならないのだ)。
私たちが本当に礼を言わなければならない相手は、その病院まで恵子を必死に運んでくれた救急車の救命士の人たちだし(何件かの病院で受け入れを拒否されている)、すぐさま緊急の措置をしてくれた看護士さんや救急外来のお医者さんたちだし、懸命にリハビリをしてくれた療法士さんたちだ。
毎日この医師を含め彼の部下のインターンやら若い医師たち次々にベッドに寝ている恵子のもとにやってきては繰り返し同じくだらない質問をしていた。
「足動かしてみてくれますか?」(動かないって知っているだろうが)。
「手はどこまで上がりますか?」(上がらないことを確認しに来ただけか?)。
で、最後には「何かお困りのことがあればいつでも言ってください」だ。
困ったことはみんな看護士さんに頼みます。先生に頼むことなんか何もありませんとよっぽど言ってやりたかったが…、まあ、あまり医者とは喧嘩をしない方がいいだろうと思い懸命にこらえた。
「赤ひげ先生」は世の中にそんなにゴロゴロ転がっていないことだけは確かだし、お医者さんという存在自体がおそらくそういう存在なのだろうと思う。
だからこそ、療法士という存在がもっと社会的地位も高まって、その発言力も増していって欲しいと心から思う。
彼ら彼女らの仕事はとても大事だし、社会は確実に彼ら彼女らを必要としているのだから。

転院後二度目の病院スタッフとのカンフェランス

2011-11-19 22:41:22 | Weblog
を今日行なった。
私としては、急性期の病院ではあまり感じなかった麻痺した右手のむくみが気になっているのでそれについて尋ねると「脳卒中の患者には良くある症状」だという。
では「その原因は?」と聞くと「それはまだ良くわかっていない」という説明。
まあ、まだ良く解明できていないことならそれはそれで良いのかもしれないが、ただ、私が「一般的なむくみは静脈やリンパ液がスムーズに流れなくなって細胞と細胞の間に余分な水が溜まってしまうことだと思うんですけどこのむくみも仕組みは同じなのですか?」と素人知識で尋ねるとお医者さんは「そうではない」と否定する。
え?否定できるのならわかっているっていうこと...?
でも、それ以上突っ込むのはやめた。
私がもう一つ尋ねたかった療法士さんたちの治療に対する説明の不十分さも「よく言っておきます」で終わってしまった。
主治医の先生は本当にやさしく丁寧に説明はしてくださるのだが、実際に患者のリハビリの面倒を見ている療法士さんや看護士さんたちの意見や報告を集約して私に伝えている感も若干ある(リハビリ病院の主治医というのはきっとそんな役割なのかもしれないが)。
そこで、「これからの治療の行程表みたいなものを示していただけますか?」と尋ねる(原発がいつ収束するかの工程表とは意味合いが違うが、目的に向かうタイムスケジュールを知ることはとても大事なことだと思う)。
「恵子さんは他の患者さんたちのスピードよりもどちらかというと早めの回復です」と言う。
では、いつ頃こうなっていつ頃こうなっているのかといった予測はたてられますか?すごくおおまかでいいですから時期とか教えてくださいますか?と尋ねると、案の定具体的な日にちは明言しようとしない。
まあ、そうだろうなとは思う。
なので、「この病院では通常の理学療法、作業療法、言語聴覚療法以外の療法でリハビリを行ったりするつもりはこれから先ないですか?」というもう一つの質問は出せなかった(そんな質問をするような雰囲気ではなかったのが正直なところ)。
私の本当の関心は「医学と音楽」がどれだけきちんと結びつけられるのかという問いにある(つまり、本当はそこを先生に聞いてみたかったのだが)。
一般的に「胡散臭い」と思われている音楽療法が胡散臭くなくなるためには、音楽療法が医療であるという認識が音楽家にも世の中の人にも絶対に必要だと私は思っている(それがなかったら音楽療法なんてこの世に存在する価値はない)。
私は基本的には「音楽は科学だし哲学」だと思っている人間なので音楽が医療の役割を担うことに何の不思議も感じない。
むしろ、音楽が単なる鑑賞物であると考える方が私にはしっくりこない(人類の歴史の中で音楽が鑑賞物として考えられるようになってまだたかだか数百年だ)。
ここは「音楽とは一体何なのか」というそもそも論から始めなければならないだろう。
きっとこの問いかけを始めると「音楽はアートである」とか「音楽はエンターテイメントである」とかいった十年一日のごとく続いている二者択一的な不毛な議論に行き着いてしまうかもしれないので、問題をその論点で語るよりももっとそもそもの「人間になんで音楽は必要なの?」といったポイントで私はいつも考えるようにしている。

人間に音楽は必要か?
そりゃ必要だから「ある」のでしょう。
でもなぜ必要なのかの答えを用意できる人は意外と少ない(私はその答えを探すためにこれまでに何冊も本を書いてきたつもりだ)。
No life, No music というレコード屋のキャッチコピーは「音楽がないと生きられない」といったナイーブな意味あいなんかじゃけっしてなくって、単に「音楽売れないと私たち生活できません」という企業の本音でしかない。
でも、それはそれでいい。
一番大事なのは本気で「音楽のない生活」というものを想像してそこに人間がどうコミットできるかを考えることだ。
あるいはイメージすることかもしれない(そこで本気でNo life, no musicと言えるかどうかだ)。
医者と患者には一線が敷かれているべきだという権威主義的な考えを真っ向から否定して「笑い」で患者を癒していった映画『パッチ・アダムス』の主人公のような素晴らしい医者(「アメリカ版赤ひげ先生」のような人だ)のように「人生」から「権威」を取っ払った時に何が残るか、何が必要かを本気で考えるべきだろう。
「笑い」を治療に使ったパッチ・アダムスという人にも、音楽の力を信じひたすらそれを治療に使い続けているオリバー・サックスというお医者さんにも「権威」という二文字は存在しなかったはずだ。
「本気」と「権威」はけっして相容れない。

音楽療法にまつわる胡散臭さを

2011-11-16 23:29:02 | Weblog
どうやったら取り除けるのか?
というよりも、現在日本にある「音楽セラピー」は確かに胡散臭いし、はっきり言ってまがいものだと思う。
メジャーのレコード会社で長い間ディレクターをやっていた友人が言った「音楽療法って、音楽家になれなかった人たちがやっているちょっとマユツバもの」という表現があたらずとも遠からずだ。
まあ、そんな風に思われているからこそ日本では普及しないしいつまでたっても音楽療法士が国家資格になることはないのでは?とも思ってしまう。
じゃあ、音楽療法なんてどうでも良いシロモノかといったら「トンデモナイ」だ。
私は、数あるセラピーの中でもピカ一だと思っているし、これが何で世の中に普及しないのか不思議だと思っているのだが、なにしろ日本での現在の音楽療法のあり方そのものがきっとこれからもこの分野の普及をいつまでも遅らせるんだろうなと思っている。

音楽療法=軍歌、ナツメロ、演歌を聞いたり演奏したりすること。
あるいは、幼稚園のようなお遊戯的な音楽遊びをする、的なイメージを持っている人が多いが(実際似たようなものだ)、本来は、「レナードの朝」の著者のオリバー・サックス博士がやっているように、一人一人の年齢や国籍、環境、そして病気の種類によって細かく処方箋を作っていかなければいけないもののはず。
なのに、日本の場合、一律に「この音楽を聞かすと効果的ですよ」的なお仕着せがまかり通っている(一体何を根拠にそんなことを言っているのだろうか?)。
挙げ句の果てが列記としたお医者さんまでが「モーツァルトの高周波の音楽が最もヒーリング効果がある」と言い出す始末。
「おいおい、冗談じゃないよ。そんなことどうやってわかるんだよ」だ。
呆れてモノも言えない。
一度完全にガラガラポンをしない限りこの音楽療法ということばそのものにつきまとう「まがいもの、まゆつば」的なイメージをぬぐい去ることはできないだろう。
私がこれからやらなければいけない仕事はきっとその辺からなのかもしれない。
本を出版するだけでなく、もっと世の中的に「違いますよ、本当はそんなものじゃありませんよ」的なプロパガンダをしっかりと行っていかなければならないのだろう。

大体において、目に見えないものに価値を見いだそうとしないのが日本人の特性だ。
基本的に「イメージ」という能力で作られるアーティスティックなもの(抽象的なもの)はお金の価値と相容れないと考える人が多いのだ。
つまり抽象的な創造物(アーティスティックなもの)にお金の価値は似合わないといった議論や主張がこの何世紀の間にまことしやかに語られみんなそれに異を唱えることをせずに「そうだそうだ、芸術でお金は稼げない」の大合唱になってしまったのだと思う。
だが、これも「ちょっと待てよ」だ。
そもそも、貨幣経済そのものがバーチャルなものなんじゃないの?
お金の価値なんか時代や国の体制でいくらでも変わるわけで、お金という存在自体がすごくあやふやで抽象的なもの。
本来、人間にとって一番確かな価値交換は物々交換しかないわけで、この方法しかお互いのニーズが満たされて本当の意味でWinwinになれるものはないはず、なのに…?
人間はこんなあやふやなもの(お金)に頼って暮らしているわけで、人間ってある意味ほんとにアホな存在としか思えない(戦後すぐの物資のない時代、お金の価値はモノの価値から見たらほとんどナッシングだったわけで、それすらも今の日本人は忘れているのかもしれない)。
現在、実体経済を伴わない資本主義経済の矛盾が露呈している、なんて難しい議論は私にはよくわからないが人間が本当にバカな存在だということだけはよくわかる。
これから高齢化と共に重篤な病を抱える人間が間違いなく増える社会(世界中の国がこの問題を第一義的に考えているはずだ)で最も大切なものは何なのかを本気で考えないと間違いなく地球は「猿の惑星」になってしまうだろう(人間が滅びる原因が何であれ)。

でも、いつも困った時は出発点(原点)に戻るに限る。
人間はもともと「何だったのだろう?」「何を求めていたのだろう?」ということを考えていけばその答えとして「お金」になんか絶対に行き着かないはずだと私は思っている。
子供?愛情?地球? 自然?
いや、きっともっと確かなもののはずだ。
水、火、土、食べ物…きっとそんな身近な当たり前のものに違いない。
そういう視点で音楽を見る時いやがおうでも気がつくのが、人間のコミュニケーションの原点にこそ音楽があった、という事実だ。
人間は言葉を発明する前から音楽をコミュニケーションの道具として使っていた。
だからこそ、音楽は人を癒す道具としてとても有効なのだ(これこそが音楽療法の最も大事なコンセプトであり、音楽という存在そのものの最も大事なコンセプトでもある)。
そこに立ち返ることしか音楽を「人に生かす」「地球に生かす」道はないと思う。
いつの頃からか、音楽は「鑑賞物」になり「技術論」で全てが割り切られるようになってしまった。
もう一度音楽の「コミュニケーションツールとしての役割」を考えることは演奏家にとっても作曲家にとってもけっして無意味なことではないはずだ。

「英国王のスピーチ」

2011-11-16 00:07:41 | Weblog
という映画を見直して気づいたことは一つや二つではなかった。
これこそまさしく日本の社会でも理解すべきリハビリテーションの正しい姿だし、単に吃音障害を直す言語聴覚士の話なんかじゃない(この映画のもとになった実話は二十世紀初頭の話だ)。
中でも重要なのは、この映画の主人公の「もぐりの」言語聴覚士(スピーチセラピスト)が吃音障害を持つ国王に歌を歌わせる場面だ。
失語症だろうがダウン症だろうがどんな言語障害を持つ患者も「ことばはきちんとしゃべれなくても歌は歌える」という事実をもっと重要に考えるべきなのでは?と思う。
これこそが音楽が人間に及ぼす作用の最も顕著な例の一つだからだ。
音楽療法は既に第一次世界大戦後からその歴史が始まっている。
『英国王のスピーチ』のモデルとなったジョージ6世の時代だ。
しかしながら日本の言語聴覚療法の現場で「うた」というのは果たして正式な治療方法の一つになっているのだろうか?
少なくとも恵子が受けた治療にそんなやり方は一回もなかったような気がする(彼女はいつも下らないクイズばかりやらされていたが、恵子以外では一般的にやられている方法なのだろうか?)。

以前にも書いたが、リハビリの現場で療法士の人たちがあまりにも若いというのは本当に気になるところ。
若いということは技術や感性は別にして経験値は圧倒的に不足しているということでもある。
医療やリハビリにおいて患者本人や家族が一番欲しいのは希望と安心だ。
この2つを専門学校を出ただけの若い療法士さんたちが与えていくことができるのだろうか?と本気で思う(専門学校でもいちおう4年間のコースではあるのだが)。
英国王のセラピストはかなり経験値の豊富な年輩の人だった(しかも元役者)。
だからこそできる部分も多いはずだ。
介護にだって同じことが言える。
そして一番大事なことは人が人をステレオタイプで見ないこと。判断しないことだ。
人間の一人一人、患者の一人一人はまったく異なる問題と解決方法を持っているはず。
それを「この病気にはこの方法、この薬」という風に機械的にマニュアル的に治療なんかできるはずがない。
だとしたら、患者を扱う人間にこそ高い見識と柔軟な対応能力が必要なのではないかと思う。
今日も恵子の手指のむくみについて療法士さんに原因と治療法を尋ねたが納得のいく応えは得られなかった。
経験不足だけで済ませられる問題でもないような気がする。

これまでに何度打ち合わせに使ったかわからない

2011-11-14 21:28:14 | Weblog
表参道駅前のスパイラルビル一階のカフェ。
きっとこのワコールのビルができた時から利用しているはずだが(このビルができたのはバブル期よりも前なので何十年前なのかの定かな記憶もないが)あまり雰囲気は変わらない。
内装は何度も変わったはずだがきっと印象が変わらないのだろう。
そういう店や街というのは確かにある。

スパイラルまで来たついでに自分の母校の前を通るがこの学校も全然変わらないナという印象だ。
自分がここでゴチャゴチャといろんなことをやっていた(つまり学生生活を過ごした)のはもう40年近くも前になるはずなのだが、このキャンパスの印象もさほど変わらない。
自分たちが学生だった頃と今見る学生と何が違うんだろう?と逆に聞いてみたくなるほど私の目には何も変わっていない。
もちろん私たちが学生の頃あった学生運動は今はないが「だから何?」という気もする。
むしろ、学生の頃の方が「よくお店の変わるエリアだな」という印象があった。
青山に来る女子学生はみんな「お嬢さん」という印象だったが今はどうなのだろう?
ランチに学食には絶対に行かず外のカフェやレストランで食べる同級生の女の子はたくさんいたが、そんな子たちを羨望ではなく「何だかな…」という思いで見つめていたことも確かだ。
そんな学校の同級生だった妻の恵子の病院にすぐに直行できる(千代田線の駅があるから)ということでこの場所を打ち合わせの場所に選んだ。
TV関係の旧知の方と企画について打ち合わせるも、恵子の夕食に間に合うようにそこそこで切り上げ病院に向う。
既に日もとっぷり暮れた駅の周りにはふだん病院へ行く昼間の時間帯と違い学校帰りの女子高生がたくさんたむろする(ドーナツ屋さんがあるからかナ?)。
病院に着くと、月曜と木曜には入浴があるということでサッパリした顔はしていたが「お風呂に入ってからリハビリを長時間やるとかなり疲れる」と言ってあまり元気がない。
最近気になっている右手の指のむくみもまだあまり取れていない。
むくむということは血液や水分の循環が鈍っていることの現れなのだから、やはり麻痺のために手の細胞の隅々にまで血液や水分が届かず溜まってしまったのだろう(ほとんど動かしてなかったのだから)。
これがどうやれば取れるのかは私にもよくわからないが(作業療法士の人はいつも一生懸命マッサージを施している)明らかに健常な左手と比べると痛々しいほどにむくんでいる。
あまり強いマッサージは逆効果なので軽く触るようなリンパマッサージをする。
最近は恵子もリンパマッサージがどういうものか何となく興味があるようで「心臓の方に軽くなでていくんでしょう?」と言う。
人に聞くとそのようにするようにと説明してくれるのできっとそうなのだろう。
体内の老廃物をリンパに寄せてリンパ液と一緒に流して浄化する。
まあ、きっとそんなメカニズムなのだろうが、面白いのは、このリンパマッサージをやると恵子が「ポニョポニョしてくる」と言うことだ。
以前の病院でもたくさんリンパマッサージはやっていたのだがその時にはこんな表現はしなかった(きっとあまり感じてはいなかったのだろう)。
でも、ポニョポニョという表現は何となくわかる。
宮崎アニメではないけれど、きっと得体の知れないクラゲのような軟体的な不思議な感覚なのだろうと思う(大体あのポニョって一体何だ?)。
ポニョポニョしたマッサージだろうが何だろうがむくみが一日も早く取れて欲しい。

9日のレストランライブの後

2011-11-12 20:36:20 | Weblog
レッスンのために帰った伊豆の自宅で焼いたアップルパイをレッスンに来た生徒さんに食べてもらい、残りを東京に持ち帰った。
弘前の知人から「恵子さんに食べていただいて」とお見舞いに送っていただいたリンゴを材料に作ったものだが、これまで私が数えきれないほど作ったアップルパイの中のベストと言えるほどの味のパイができた(パリパリのおいしいパイ皮を作るには寒い季節がベストだ)。
紅玉とは違う新しい品種のリンゴだということだが名前は失念してしまった。
でも、味は紅玉のような酸味を品の良い甘みを持っていたのできっとパイ向きかも?と思い作ってみたのだ(その狙いはドンピシャリ)。
私のアップルパイ歴は高校時代か大学時代なのかよくわからないがその辺りから始まっている。
もちろん手作りでパイ生地を作り(今まで市販のパイ生地を買ったことは一度もない)、紅玉リンゴをバターでじっくりいためて作るオーソドックスなものだが、「お店開けるよ」という他人の評価を私自身「当たり前」と甘んじて素直に受ける(素直かどうかはわからないが)。
きっと私のパイ食べたらどんな有名なパティシエのパイも色あせる(おいおい、ホントかよ)と自負している味だ(私は、自信を持っているところは絶対に謙遜しない)。
なんて能書きは良いのだが、それを今日は病院に持っていき、恵子の分とそして療法士さんの二人の女性にお裾分けをした(この病院は患者へのお裾分けを堅く禁じている)。
病院食ばかりでかなり甘いものに飢えていた恵子はもちろん「オイシイ」と言ってくれた。
転院前の以前の都会の病院に比べて現在のリハビリ病院は「ちょっと田舎」なので病院食もそれなりに「田舎の味」なのだ。
まあ、それが素朴で良いと言うこともできるのだが、「たまにはおいしいパンが食べたい」という彼女の気持ちもよくわかる。
朝食に出るパンがいつも食パンでは「いくら何でも」という感じは確かにする。
だからといって、私が持ち込んだパンを病室で堂々と食べるほどの度胸は彼女にはない。
結局、たまに出るヨーグルトに「わ~い」と言って喜ぶぐらいが関の山なのだ(ヨーグルトぐらい毎日出してよ)。
そんな食生活の彼女に私の作ったアップルパイは「久しぶりの家庭の味(?)」だったのでは。

そんな彼女から帰宅後メールが来た。
「アップルパイ美味しかったよ!あと30分で消灯だ、バラの香りに包まれて眠るゾ」
そう。
昨日伊豆の自宅に帰ったついでに秋咲きの自宅の薔薇をいくつか摘んで彼女の枕元にドライフラワーのように吊るして置いてきたのだ。
ほぼ鼻先に近いところまで下げてあるのでその香りは枕元をしっかりと包みこんでいるはず。
自宅の薔薇は、基本的にオールドローズしか植えていない。
ピンクシフォン、クライスラーインペリアル、クリムゾングローリなど香りの強い芳香のする品種ばかり30種ほど。
土曜日のリハビリはそれほどきつくはないのだが、短時間に集中していたのか、かなり疲れていたようにも思えた。
それにまだ麻痺した右手のむくみが取れない(左手に比べるとその違いは歴然としているぐらいのむくみだ)。
療法士さんはそんな右手を執拗に曲げ伸ばす。
時にかなりの痛みを伴うらしく時折顔をしかめるが、療法士さんの「少しずつ痛みは取れていきます。今これをやっておかないとなかなか指が自由に動かなくなりますよ」ということばを信じたのか、あるいは恐怖を感じたのか(?)必死に耐える恵子の癒しにパイと薔薇がなってくれることを願う(香りもアロマセラピーだ)。


面会時間の終了とともに病院を後にして

2011-11-08 22:10:49 | Weblog
電車に乗っているとメールがやってきて誰かと見ると恵子からのCメールだった。
「初メール 元気?」とある。
さっき別れたばかりだ。
これまでは彼女の携帯をずっと私が預かっていたが、今日入院以来初めて彼女の病室に置いてきた。
やっと片手で携帯が操作できるので「置いておいて」という彼女のことばで携帯を置いてきたばかりだ。
もちろん、携帯を操作すること自体が以前から不可能だったわけではないが、多分その気力がなかったのだ。
でもやっと彼女に「その気」が出てきたということだろう。
「初メール」ということばがやけに嬉しかった。

リハビリは階段を一歩ずつ上っていくようなもので、何か一つステップを上がった実感を持てることが最大の喜びになる。
今日のステップ、それは一本足の杖で歩けるようになったことだろう。
これまで使っていたのは4本足の杖。
タコの足とまではいかないがいかにも頑丈に「支えてます」という風情の4本足の杖を使っていた恵子が今日は初めての一本足の杖に挑戦した。
普通、私たちが街中で見る「杖」というのはこの一本足の杖のことだが、これに「一体いつ持ち換えられるのだろう?」と思っていた矢先でこれはとても嬉しい出来事だった。
足の不自由な患者にとって4本足と1本足は天と地ほども違う(らしいがもちろん私にはその実感はない)。
それでも、恵子は一本足の杖をわりと難なくこなしていた。
腰や足そのものに大分筋肉がついてきたのだろう。
心配されるふらつきもほとんどなかったので安心した。

それにしても、それにしてもだ。
毎日リハビリの様子を観察するにつけ私のこれまでの思いは日増しに確信へと変わっていく。
「何かが足りない」
「何かが根本的にこの現場には足りない」といつも感じている。
理学療法士さんのやっていること、作業療法士さんのやっていること、言語聴覚士さんのやっていること。それらはまったく問題ないと思う。
しかし、いつも「何か違う」と感じる。
それは彼らの「若さ」にも一つ原因があるのでは?と思っている。
介護の現場でもこういうリハビリの現場でも実際に働いている人たちは本当に若い。20代30代が主流なのではないかと思う。
「若くなきゃできないよ」という側面は確かにある。
それは現実に身体の不自由な人を自分の身体を張って支えたり治療しなければならないのだからまず第一に「体力」が必要だ。
これは間違いなくそうだろう。
ただ、それだけでいいのだろうか?
ほとんど自分の祖父、祖母の年代の人たちの治療をしなければならないこの「若い人たち」に本当の意味で「患者の心のケア」ができるのだろうか?と真面目に思ってしまう。
本来、リハビリの必要な患者さんにも介護を必要な人たちにも必要なものは「生きる希望」「治る希望」なはずだ。
ケアされるご本人がこの「生きる希望」と「治る希望」を持てなくては実際に治るものも治らないし、平安な生活も過ごすことは到底できない。
にもかかわらず、私が毎日目にしている光景は、若い療法士さんたちが「暖簾に腕押し」のような形で一方的に治療を施し、「これをやってください、あれをやってください」と指示をしている光景だ。
本当にこれでいいのだろうか?と毎日思う。
本当に大事なのはご本人の「やる気」なはずなのに、リハビリの治療はそんなことはおかまいなしに淡々と続けられる。
いや、おかまいなしにというのは語弊がある。これでは療法士さんたちが無理矢理治療をしているように聞こえるが実際はそうではない。
本当に親身になって患者さんたちを治そうと努力している。
しかし、しかしだ。
この療法士さんたちと患者さんたちの間にどれだけのコミュニケーションと「心の対話」ができているのだろうか?といつも疑問に思う。

病気を治すのは薬でも医者でもないというのが私の根本的な考えだ。
本人に治そう、治りたいという「意志」が出発点でもあり最終的なゴールでもあると私は思っている。
手塚治虫の漫画の『ブラックジャック』にブラックジャックの家の縁の下に迷い込んだ猫の親子が傷ついた瀕死の子猫を母親猫がひたすら舐めて完治させてしまうという話がある。
ブラックジャックも「手遅れ」だと言ってサジを投げた猫が母親の看護で奇跡的に治った話だが、私はこの話が「医療」というものの本質を見事に表現していると思っている。
リハビリ病院だけでなく、「意志の力」というものをもっと大事にする病院がもっと増えてくれないだろうかと心から願っている。
人にとって最も大事なことを本当に忘れないで欲しいと願う。
そう思っている矢先に週刊朝日の広告の「手術が増えた<いい病院>」という見出しが目に入ってきた。
冗談じゃない。
手術が増えるのがいい病院のはずがないじゃないか。
この週刊誌の見出しをこう書き換えて欲しい。
「手術が増えた<儲けた病院>」と。
「いい病院」とは「患者に生きる希望を与える病院」に決まってるじゃないか。





脳波で義手が動かせます

2011-11-07 21:12:05 | Weblog
というタイトルの新聞記事が先日朝日新聞の掲載されていてとても注目して読んだ。
要するに「頭で考えたイメージ通りに」義手が動くシステムを開発したということで、これはまさしく「脳が考えた通りに私たちの手や足や身体は動くんだ」ということ。
逆に言うならば、「人間がイメージできない動きを人間は行うことができない」ということにもなってくる。
今までこんなことはSFの世界でしか起こりえないことと思っていたことが現実に起こるようになっているのだが、これも良く考えれば「当たり前」のことなのかもしれない。
ことばを変えれば、「人間は考える葦であり」「我思うゆえに我あり」という哲学こそが科学であることの証明と言えないこともない。
ギリシャ・ローマ時代の多くの科学者は同時に哲学者でもあった。あるいは、同時に音楽家やアーティストでもあったわけで、それこそがまさしく「人の叡智」というのは「脳が考える」ということによって起こるんだということをこの新しい義手の開発は教えてくれている。
この義手の開発も当然手や足の不自由な人のためにという開発目的が当然あるわけだが、毎日病院で「右手で箸を持てるように」イメージしたり、「思い切り手を開いてパーの形を作る」ことをイメージしてもなかなか思うようにならない恵子のようなリハビリ患者にとってこの開発は一つの勇気を与えてくれる。
どう勇気を与えてくれるかというと、「身体を動かす」ということはやはり「イメージする」ことに他ならないということをこの義手が証明してくれたからだ。
「正しいイメージを持ってリハビリに臨めば」必ず結果はついてくる。
多くの療法士さんたちが、多くのリハビリ患者さんたちがそうあって欲しいと願うこのリハビリの基本コンセプトが正しかったことを確信させる開発でもある。

一方でこんな恐ろしいことも考えた。
頭の中でイメージしたことが全て具体的な動きになるのならば、「相手を殴りたい」とイメージすることが具体的なパンチになり得るのかも?とも思えるからだ。
それってゲーム?とも思えるが、これは仮想ゲームなどではなく、もっとシリアスな現実として起こりえることだ。
相手をイメージで殴るということよりも、実際は、「チャンネルを換えたいとイイメージしただけでそのチャンネルにスイッチングできたり(こんなリモコンすぐにも開発されそうだ)」玄関のドアを「開けたいとイメージする」だけで実際にドアが開くことも可能なのでは?(これもあって不思議のない装置だ)と妄想は限りなく膨らむ。
となると、人間の妄想は究極にまで発展する。
私たち人間にもはや手や足といった「身体」など必要ないのでは?
全ては脳のイメージで決まるのなら人間に必要なのは脳だけになるのでは?というそれこそSFチックな妄想が広がってくる。
昔の映画に、手と手をタッチするだけでセックスの快感が得られたり、匂いを感じたり、食べ物を食べる感覚が得られるという場面があったが、そんなことひょっとしたら現実になるような時代は来るのだろうか?
まあ、いつか来てもオカシクはないな、とこの「脳波で義手を動かす」という技術の開発の記事を読んで私は思ってしまった。

ジャクリーヌ・デュ・プレとダニエル・バレンボイム

2011-11-06 20:57:25 | Weblog
この二人の天才アーティストのカップルの本当の姿は一体どんなだったのだろう?
最近そんなことをよく考える。

多発性硬化症で若くしてこの世を去ったチェリストと天才ピアニストで名指揮者と呼ばれる二人のアーティストの夫婦生活が垣間描かれているのが『本当のジャクリーヌ・デュ・プレ』という映画(デュ・プレの家族が書いた『風のジャクリーヌ』という原作が映画化されたもの)だが、彼らとは縁もゆかりもない全くの赤の他人の私としてはこの映画の中で描かれている二人の姿が本当のことだったのかどうかはまったくわからない。
この映画の中のジャクリーヌはかなりエキセントリックな女性に描かれている。
自分の姉のご主人を無理矢理ベッドに誘うようないわば常識はずれの女性に描かれているが問題はそんなことではない。
ジャクリーヌがこの難病を発症した後の夫バレンボイムの行動が本当はどうだったのかということ。
当事者ではない私には所詮真相を理解することはできないのかもしれないが、彼女が病気を発症した時(その当時大学生だった私はデュ・プレの病気のニュースをリアルタイムで聞いていた)私に印象として残ったのはバレンボイムが難病で苦しむジャクリーヌを見捨てしまったのではないのか?ということ。
実際の二人の間にどんな葛藤や戦いがあったのかは全くわからない。
夫婦の問題は他人には絶対に理解しえないものがある。
ましてや片一方が死に行く病を患っている夫婦の間でどんな会話がなされどんな葛藤が起こっていたかなどおそらく想像を絶するものがあったはずだ。
だとしたらなおさら私の印象にもこの映画の中でのジャクリーヌという天才チェリストの描かれ方にもあまりにも救いがないのはどうしてなのか? とつい思ってしまう。

毎日同じリハビリ病院で顔をあわせる入院患者のご主人がいる。
世代的にはとても近いのではないかと思えるのだが会話を交わしたことはない。
ただ、いつも見せる彼の笑顔の中に私の心の中の思いと共通したものを感じ私もいつも微笑みを返している。
あの笑顔があれば彼の奥さんも毎日幸せな気持ちを持っていられるのではないだろうか。

結局病気を治すことはできなかったにせよ、この稀有の天才音楽家ジャクリーヌ・デュ・プレという人の最後が本当に安らかで幸せに満ちたものであったことを願わずにはいられない。
「彼女はまさしくはこの曲を演奏するためにこの世にやってきた」と思えるほどの名曲、名演奏のエルガーのチェロ協奏曲を聞くたびに私は病床のジャクリーヌを思い涙せずにはいられない。

ハンドロールピアノという得体の知れない楽器

2011-11-05 21:22:16 | Weblog
この楽器を使ってリハビリをやっていることは前にも触れたが辛抱強くやってきたせいか最近はやっと恵子の指の形もそれなりにサマになってきた。
ほとんど指先に力がないので鍵盤を押すというよりはほとんど触っているだけ。
触るだけで音が出るところに引かれてアマゾンで買った楽器だがけっこう重宝している。
通常の128種類のGM音源が出て来るのだが実際に使うのはピアノの音といくつかの違う音だけ。
本当のピアニストが練習に使えるような代物ではないが、ことリハビリ目的だけに限ればこれ以上の優れモノもないだろう。
最近ではコンパクトなキーボードが1万円以下で買えるのは当たり前になってきているがこのハンドロールピアノの最大の特徴は「巻ける」こと。
楽器が紙のように扱えるなんて!

一方で、今日はある意味記念すべき日でもあった。
いつも通り杖を使った歩行訓練をしている最中に療法士さんがいきなり恵子の杖を取り上げて「杖なしで歩きましょう」と言い出したのだ。
「おいおいホントかよ」と思いつつも期待しながら療法士さんに後ろを捕まれながら杖なしで歩く恵子を見つめる。
何十歩歩いたかわからないがとにかく今日また一つステージを上がったことだけは確かだ。
オムツから解放され、自力でトイレに行き、車椅子から解放される。
だんだん普通の人間に確実に戻っていっている。
家に帰れる日もそう遠くないという希望をはっきり持てた日でもあった。

柿生駅への帰り道、気がついたことがある。

2011-11-04 22:05:28 | Weblog
ここは私が小さい頃育った近所の駅(小田急線の代々木八幡駅)の雰囲気によく似ている、と。

路線が同じ小田急線だということだけではもちろんなく、なんとなく田舎っぽい駅の商店街や周りの中途半端に都会な駅の回りの風景がそう思わせるのかもしれない。
柿の木や栗の木などの豊かな緑、小川の横に点在する病院や住宅,商店街から小田急のロマンスカーが見える風景はまさしく昔見慣れた代々木八幡駅付近のそれによく似ている(ロマンスカーの色や形は昔と大きく変わってしまったし、昔のようにオルゴールのメロディを鳴らしながら走ってはいないが)。
今の代々木八幡の駅の付近は「富が谷」と呼ばれ(名前自体は昔から変わっていないのだがそのイメージはかなり違う)代々木公園、NHK,渋谷に近いおしゃれな街というアイコンで語られ「田舎っぽい」というイメージは世間一般ではあまり持たれていない。
しかし、私が小学生の頃の代々木八幡駅のまわりは、それこそ童謡の「春の小川」のモデルの「小川」も流れていて(これって相当田舎ダ!)、そこにメダカやザリガニを発見するのは簡単なことだった。
恵子のリハビリ病院のある柿生の駅は、読んで字のごとく柿の木の多い場所として知らせれている。
隣の急行停車駅の新百合ヶ丘駅とは違い、この駅のに都会っぽい雰囲気はまったく存在しない。
かといって純粋な「田舎」でもない。
要するに、中途半端な田舎なのだが、この中途半端さが妙に私の郷愁をくすぐるのかもしれない。
代々木八幡駅そばの代々木公園は昔ワシントンハイツと呼ばれアメリカ軍の敷地だったところ。
NHK放送センターから参宮橋の青少年センターに至る広大な土地が全て高い塀の金網で囲まれその網の向こうはアメリカだったという占領下の日本の姿がまだ私の小さい頃は残っていた。
小学生の私は放課後になると仲間で毎日バットとグローブを持ってそのアメリカに侵入した(瀬戸内少年野球団のようだ)。
その頃の東京にはほとんど存在しなかった芝生の上で野球をするためだ。
いくら金網が四方に張り巡らされていても身体の小さな小学生が侵入できる隙間は至るところに存在した。
みんなでワイワイ野球をしながら見張り役が「MPが来たぞ」と言うと蜘蛛の子を散らしたように私たちはその「アメリカ」を脱出してすばやく「日本」に逃げ帰った。
「MPにつかまると2日は留置所から出られないらしいゾ」と私たち小学生の間ではこんなまことしやかなデマが飛び交っていた(子供というのはこんなデマを平気で流すからけっして油断ならない存在だ)。
こんなことを毎日のように繰り返して遊んでいたのが私の小学生の頃の日常だったのだが、その頃、このワシントンハイツの中のどこかでジャニーズ事務所のジャニー喜多川さんは既にアメリカ人相手の音楽の仕事をしていたというのを私は最近ある本の中で知った。
ただ、こんな子供の遊びが続いたのも東京オリンピックまでで、オリンピックを期にこの「アメリカ」は日本に返還され代々木公園へと姿を変えたのだ。

こんな私の原風景がどうして突如柿生の駅からの帰り道思いだされたのかよくわからない。
ひょっとしたら夕方見舞いにやってきたフルムスメンバー二人のせいなのか(それではあまりにも辻褄が合わないナ)?
それとも、どこからか私の鼻腔を刺激した夕食の肉ジャガの匂いのせいだったのだろうか?

あっちに行ったりこっちに行ったり

2011-11-03 22:18:15 | Weblog
するのが人生なのだろうとは思うけど、人間の疲れというのはどこでどういう風にたまっているのか自分でも理解できない時がある。
いや、理解できないというのはちょっとオカシイかもしれない。
疲れているという自覚はハッキリあるのだからそれを何とかコントロールする方法を自分で考えなければいけないのだけれども自分でも思いがけない方向にその疲れが出てしまう。
前にも「なにかと怒りっぽくなっている自分」を発見してちょっとそこに躊躇する自分がいたのだが、今日もちょっとしたことで「人にあたる」自分がいたような気がする。
療法士さんが恵子にあった足のギブスをオーダーするためにいろいろと悩んでいることにちょっとクレームをつけたりしてしまう。
特注品なのでそんなにしょっちゅう取り替えられないので恵子にあった品物をオーダーしようとあれこれ考えてくれているのだが、その考え方が私としてはちょっと気に入らなかったのか(ちょっと消極的に聞こえてしまったのだろう)療法士さんに「何でそういう風に考えるのですか?」的なあたり方をしてしまった。
例の膝の「引っ張られ感」をなくすための工夫をギブスに施すかどうかの選択なのだが、私は最近恵子がちょっと消極的に考えるだけでも少しあたってしまう。
もともとマイナス思考を許さない性格なので、否定的な意見にはどうしても噛み付いてしまうのかもしれない。
しかし今回の場合はもっと別の要因がある。
以前の病院で医師から聞いたことばが私のトラウマになっているのだ。
最初に担当だった外科医のことばは今でも許しがたいと私は思っている。
「この病気は百パーセント治ることはありませんから」。
これって「アンタは癌で百パーセント死にます」と言っているようなものだ。
このことばを聞いた瞬間二つの考えが同時に私の頭の中をよぎった。
「お医者さんって本当にことばを知らない人種なんだな」ということと「絶対百パーセント治ってこの医者見返してやる」ということだった。
きっとこんな「悔しさ」が私の頭の中にトラウマとして残ったために、時に看護士さんや療法士さんや時に恵子にまでやたら噛み付くようになってしまったのかもしれない。
しかも、今は疲れがピークに来ている。
今日は、恵子の夕食の後、面会時間ギリギリの8時まで病院にいた。
いつもは、義叔母の食事の世話のために恵子の夕食が終わると急いで家に帰るのが日課だったのだが、今日は叔母に宅配のお弁当が来ているので(これも介護サービスの一つだ)私は食事のことを考える必要がない。
「考えたら絶対変だよ。だってヤマネコは私の夫なんだから私とできるだけ一緒にいるのが普通なのに、なんで叔母なんかの世話で帰んなきゃならないの?」
そりゃそうだ。
別に何の血のつながりもない義理の叔母の世話を私がする理由は何もない。
きっとそんな「理不尽さ」にも私の心は腹を立てていたのかもしれない。
本当に人間の心ってどこに行くのかサッパリわからない。