みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

私のコンサート<Mystic Flute>を

2006-10-16 00:33:15 | Weblog
見過ごしたらこの先一生後悔しますよ、なんてのは大ウソだけど、今度11/10にFM東京主催でやるコンサートは、私のこれまでの音楽人生のターニングポイントになるぐらい重要なコンサート(なんてことを自分で言うのも変っちゃ変だけど)のはず。
私がプロになってから(どの部分をプロのスタートにするかで数え方が違ってくるのだが)30年以上は優に時がたっているわけで、どうせなら「プロ生活30周年記念コンサート」でもやればよかったんだけど、それもいつの間には過ぎてしまったようなので、次ぎの目標は「プロ生活40周年記念」ぐらいにしておいて、とりあえず今回は「なんだかわからないけど大事なコンサート」ぐらいにしておこうと思う。

前半は、モダンダンスの杏奈さんとのコラボレーション。しかも、すべて即興。
きっとお客さんの中には「即興だとはいっても、本当は何か約束ごとがあったり、リハーサルで何かを仕込んでいるんだろう」と思う人もいるかもしれない。でも、これは本当に正真正銘の即興で、一切リハーサルを行わずにやる(そういう形でやることが私のもともとのアイデアだったので、このスタイルだけはゆずれない)。
ダンサーにとってみれば、どんな音楽が来るかわからずに踊るわけだし、ミュージシャンにしても、どんな動きのダンスになるかわからずに演奏する。舞台の上でパフォーマンスする4人(私とパーカッショニスト、ベーシスト、そしてダンサー)のそれぞれがお互いにどんな音を出し、どんな動きをするかまったく予想もつかないところで演奏し、踊る。確かに緊張はするけれども、これこそがパフォーマーの醍醐味といったところ。大体、人生に予定調和などあるわけはなく、人間は一人一人毎秒毎分お互いに即興で生きているのだから、舞台の上のパフォーマンスだって即興で表現することも、ある意味、人生と同じで、当たり前の話し。
踊りだろうが、音楽だろうが、表現者というのは、人の愛や生や死、そして自然を表現する以外何も表現するものはない。人と人は、実生活で即興でぶつかりあい、自然と即興で調和していくものなのだから、ここで表現する4人の意志がどういう風にぶつかりあっていくのかは、ある意味、私たちの人生の縮図、なのかもしれない。
そんなだいそれたことをやろうとしているわけで、今からゾクゾクするほど楽しくなってくるし、ある意味、興奮もしている。

そして、コンサートの後半は、中南米音楽で活躍するアルパという楽器との共演。アイリッシュ・ハープと同じぐらいの大きさの小さめなハープで、この楽器のアイドル的存在の上松美香さんとの初めての共演。
ギリシャ時代からフルートとハープのコンビネーションは、ある意味ゴールデン・コンビとも言われているのだけれども、不思議とこのアルパとフルートが共演するという話しはあまり聞いたことがない。というのも、おそらく、中南米音楽にはケーナやパン・パイプという管楽器が活躍するためにフルートの出番がほとんどないのだろうと思う。そんなアルパと強引に共演してみようと思う。もともと会わないはずはない2つの楽器のマッチングだ。あとはどういう曲でどういうパフォーマンスをするかにかかっているだろう。今回は、上松さんのオリジナル曲、私のオリジナル曲を半分ずつ演奏する予定。

おそらく、フルートをやっている人もやっていない人も、このコンサートを聞けば、フルートという楽器に対するイメージはガラっと変わるはず。
興味のある人は、以下のページのインフォメーションを御覧になって、ぜひチケットをゲットしてください。
チケットぴあ、イープラスでも購入できます。

http://www1.linkclub.or.jp/~flute/live.html

満月とCDは

2006-10-07 23:19:58 | Weblog
何の関係もないけど、今日は満月。
そして、そのこととはまったく関係なく、最近考えていることの一つが、CDがなくなる日はいつ来るのか?ということ。
八十年代の終わり、それまでのアナログレコードからCDに変わり始めた頃、あれよあれよと言う間にアナログレコードが店から消え一気にCDに変わってしまったのを覚えている。
その速度は一定ではなかったにせよ、パリ、ニューヨーク、東京の3つの都市からアナログレコードが消えるスピードは早かった。まず、ニューヨークのタワーから一挙にアナログが消えてなくなり、次に東京、そして、パリでは若干そのテンポが遅かったのを覚えているけれども、この3つの都市のCDへの転換の早さにはちょっとお驚かされた。
おそらく、それと同じようなことがここ2、3年で起こるのではないのか?そんな気がしてならない。
CDという商品が売れなくなって久しいが、それは別に人々から音楽に対する関心がなくなったからではなく、CDやレコードというパッケージへの関心が薄れたというだけのこと。今の若い世代は、むしろ昔よりも音楽への関心は高い。しかし、CDは買わない。つまり、買う必要がないからだ。
レンタルでCDを借りてコピーする。パソコンで簡単にできる。i-podなどの器材で音楽を聴く、あるいは、音楽をデータでダウンロードする。これだけで音楽は自分のモノになる。何も、CDショップに行く必要はない。CDを買ってくる必要はない。だから、CDは売れない。単純なことだ。
この単純なことにレコード会社は早く気づくべきだと思う。もし気づいていながら何の対策もしていないのだったら怠慢以外の何ものでもない。人々は音楽を必要としている。でも、CDは必要としていない。事実はこれだけのこと。だったら、どうすればいいのか?
簡単なこと。世の中からCDをなくしてしまえばいいだけのことだと思う。
世の中からCDがなくなればどうなるか?レンタルCD屋さんからCDを借りてきてコピーすることができなくなる。それだけでも、レコード会社は利益を数倍あげられるはず。なぜなら、音源を持っているのはレコード会社やレーベルなわけだから、それを欲しい人にお金と引き換えに売ればいいだけの話し。売るメディアがCDでなくなるだけのことだ。なのに、レコード会社はコピーの元を凝りもせずに作り続けている(損するのがわかっていながら)。なぜ、音源を直接売ろうとしないのか?
その方法がわからないから?
いや、方法はいくらでもあるはず。
人間、頭を使えば、何でも解決できるわけで、多分、それを使っていないのかもしれない。

私は音楽が大好きで、その音楽で何十年も生活をしてきた人間。だからこそ、音楽の力を信じているし、音楽の価値も信じている。その音楽の価値をちょっと見誤っているのは、音楽産業の一番の当事者、レコード会社なのではないのか?
そう思えて仕方がない。