みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

渋谷の東急プラザが今日閉館したと

2015-03-22 20:38:27 | Weblog
いうニュースを聞いて、あまり自分の思い出のことを書いてもしょうがないかナと思いつつも、ちょっと書いてみたりする。
実家が渋谷駅からそれほど離れていなかったので渋谷駅周辺にはしょっちゅう来ていたし、第一、私が通った学校は小学校から大学まで住所は全部渋谷区だった。
根っからの渋谷っこ、ダ。
東急プラザには、ある意味自分の家の庭のような感じで出入りをしていたような気がする。
なので、思い出なんてあり過ぎるほどあるのだけれども、忘れようとしても忘れられないのが、今は亡き恵子の父との二人だけの食事。
まだ学生だった私は(きっとまだ二十歳か二十一)、結婚の正式な申し込みをするために義父に連絡すると(当時義父は私の通っていた大学の教授だったので連絡は取りやすかった)、一緒にどこかで食事をしようということになった。
彼が指定したのが、この東急プラザの最上階にあるロシア料理の店のロゴスキー。
まだきちんとしたロシア料理店なんて一度も入ったことのなかった私は、義父の言われるままに何かを注文したと思うのだが実際に何を注文したのかははっきり覚えていない。
しかし、二人で話をするうちに向こうの方から「式どうするの?」と聞いてきた。
私の気持ちなどとっくのとうに見抜いていたのだろう(今考えると当たり前だと思うが)。
なので、私が「お願いします。お嬢さんと結婚させてください」的な会話はまったくなかった。
むしろ一方的に彼の方が「こうしたら良いんじゃない」「こうしなさいよ」と結婚式やその後の人生についても熱く語り始め、そこで留学したいといったことまで話したような気がする。
彼自身、まだ留学など夢のまた夢の戦後すぐの時代にアメリカに勉強しに行った過去を持っている身なので、私の留学話にむしろ彼の方が乗り気だったような気もする(彼がニューヨークに留学中に私の恩師と出会っていたという偶然もあったり)。
そんなロシア料理店の思い出が蘇ってきたのと同時に、つい昨年の12月にプラザの中にある大型書店で買い物をした時偶然見つけた藤原あや子さんのご本のことも蘇ってきた。
なんであの時あの場所に本を求めに行ったのか?
まあ、きっとそこが私が最も行き易い場所だったからだろう。
自然に足が向いた。
そんな感じだ。
そして、そこのレジにたまたま彼女の本が陳列されてあった。
そんな人生の一瞬、何かに導かれて「ある人」との出会いをする。
そうした私の人生にとって大事な人たちとの出会いが「演出」された場所が閉館したということで若干センチになったのかもしれない。
そうだ、あの場所では買い物や食事だけでなく、何度となく仕事として演奏させてもらったこともあったんだ…。
一階のエスカレーター前の賑やかな場所で…。
まあ、よくある「営業演奏」の一つと言ってしまえばそれだけのことなのだが、あそこが渋谷の東急プラザだから、という思いもけっこう詰まっている。
でも、「ひかりえ」にしても他の再開発計画にしても、渋谷が昔の渋谷でなくなっていくのは何となく寂しい。
渋谷っことしては、「変わらない」ものもどこかに欲しいのだけれども、きっと渋谷はそれを許さない街なのかもしれない(渋谷の街を作っているのはけっして区という行政ではなく東急という大資本だからしょうがないのだろう)。
そう言えば、今度の日曜日は東急プラザの高速を挟んで向い側のホテル、セルリアンタワーで私のコンサートがある。
そんなセンチな気持ちは忘れて、とりあえず頑張ろう。

ネバーギブアップ

2015-03-20 08:44:48 | Weblog
震災から4年の月日がたったということは、恵子の病気も発症から4年近くたったということだ。
彼女が脳卒中に倒れたのは、震災からちょうど半年遅れの同じ年の9月初めのこと。
なにかの別の出来事(キューになるような社会の大きな出来事)が自分たちの人生の「ある瞬間」を思い起こさせてくれるということはよくあることだろうと思う。
私たちにとっても「その瞬間」が多くの人たちの記憶に残る「あの瞬間」によって思い起こさせられるというのはこれから先も変わらず起きることなのかもしれない。
しかし,私たちの4年間は「あの瞬間」とはまったく無関係に流れてきた。
そして、私たち以外の第三者にとって私たちの時間はまったく無関係な時間でしかない。
だから、この4年近くの間に私たちに起こった出来事や現在の私たちの様子を第三者が知る由もないし、関心もないのは当然のこと。
そのせいか、病気の発症から4年もたてば「きっとすごく良くなっているだろう」と、ごく普通に「好意的」に解釈してくれる人たちも多い。
しかし,そういう予断を持って私たちに接しようとする人に私が「まだそんなに良くなってはいませんし、むしろ悪くなっているような時もあるぐらいで…」と説明すると「まあ,そんなだったらリハビリなんか諦めて車椅子で生活したら? ずっと車椅子で生活している人もいることだし…」といった変な慰め方(?)をしてくださる人もいる。
もちろん、その方がけっして悪意で言っているのではないことは百も承知だ。
しかし、私はそんなことばを聞くと(きっと、私は内心怒っているのだろう)けっこうムキになってまくしたててしまう。
「いや、私たちは絶対に諦めません。諦めたら終わりです。諦めるということは、単に歩くことを諦めるとかいう問題ではなく生きることそれ自体を諦めるということなんです。世の中には難病に苦しんでいる人たちはたくさんいらっしゃいます。そんな人たちだって、絶対に諦めちゃいないはずです。今は薬もない、治療法もないという状況でも明日にはどう変わるかわからない。そんな時、その『奇跡』を信じていなかったら絶対にその『奇跡』の恩恵を受けることはできないと思いますよ。常に奇跡を信じ続けることでしか人間は生きていけない…。おそらく人間と他の生物の決定的な違いはそこなんじゃないのか」
と私が一気にまくしたてるとさすがに相手も、納得した様子で(かどうかはわからないけれども)こう返事を返してくる。
「そうよね、絶対諦めちゃダメよね」。
ある映画を思い出す。
副腎白質ジストロフィーという難病にかかり、医師、支援団体などから見放された息子を救うために素人であるにもかかわらず治療法を見つけだそうと死にものぐるいで格闘する母の姿を描いた『ロレンツォのオイル/命の詩』という映画がそれ。
スーザン・サランドンという私の大好きな女優が、医者にも見捨てられた難病の子供の治療法を懸命に見つけようとする母親を演じている。
他の家族は全員サジを投げているのに(最初は父親も相当頑張るのだが)この母親だけはけっして諦めずに頑張り治療法を発見するところが見る人の感動を呼ぶ映画だ。
最終的に「あるオイル(オリーブオイルの一種)」がこの病気に有効だということを母親が見つけることで映画は終わるのだが、実際にこのオイルで治療できた患者の方はそれほど多くはなかったために(映画があまりにも奇跡的だったので同じ病気の患者さんが過剰な期待をしたせいなのかもしれないが)この映画に対する評価は未だに賛否両論ある。
でも、私はそんなことを問題にはしたくない。
映画をご覧になるとわかるのだが、もう「気が狂った」としか思えないほどに病気の治療法探求に没頭する母の姿は、結果がどうであれ、私は十分称賛に値すると思っている。
母がけっして諦めなかったがゆえに子供は死を免れ不自由ながらも生きながらえることができたわけで、人生は、やはり諦めた瞬間に終わってしまうのでは…と思ってしまうからだ。
未だに麻痺で苦しむ恵子の顔を見ながら毎日思う。
お互いそんなことばを実際に交わすことはないが、いつも二人の間にある暗黙の了解。それはきっと「ネバーギブアップ」。

『トークトゥハー Talk to her』

2015-03-04 09:35:36 | Weblog
10年ぐらい前に映画館で見たスペイン映画。
久しぶりにDVDを借りてきて見た。
この映画の監督ペドロ・アルモドバル氏のもう一つの映画『All about my mother』も私の大好きな映画で、両方とも何度でも見てみたくなる映画だ。
ただ、この2つの映画かなりクセのある映画なのでおそらく「好きな」人と「嫌い」な人の両極端に分かれるのではないかと思う。
この監督の思想の根底にはフェミニズムがあるせいか(と私は勝手に思っているけれども)、ゲイ、レズビアンの人たちがたくさん登場するところも好き嫌いを分ける理由なのかもしれない。
映画でも書物でも演劇でもその核心となるメッセージがたとえ難解なものであっても、どこかにさりげなく印象的なことばやフレーズが散りばめられているものだが、この映画の中で私が最も印象的なことばだと思うのが「奇跡を信じないと、奇跡が起きても気づかない」というセリフだ。
交通事故で植物状態になってしまった女性バレエダンサーを24時間介護(もう一人の看護士と交代で)する主人公の男性看護士が発するセリフだ。
もう一人の女性看護士が発した「植物人間になってしまった人にいくら介護しても目が覚める訳がない」というセリフに応えて主人公が言うセリフなのだが、(その後のストーリーの展開で)結果として植物人間だった女性は意識を回復する。
それだけ言うと「奇跡」がテーマの感動ストーリーを想像するかもしれないが、この映画は、そんな単純な映画ではない。
ひとクセもふたクセもある、とても「濃い映画」だ(だから好き嫌いが分かれるのだが)。
しかも、このセリフで言われる「奇跡」とは、「植物状態」の人が奇跡的に回復するといった意味の「奇跡(いわゆる宗教的意味合いでの奇跡)」でもない。
むしろ,「奇跡」なんてことをまったく意識もせずにごく普通に日常生活を営んでいる私たちにとって「奇跡」とは一体何なのかを教えてくれるものだと私は思っている。
私は、ほぼ一年前に妻の恵子の病気と麻痺,リハビリ,闘病,介護生活のことを書いた『奇跡のはじまり』というドキュメンタリー本を出版した。
私たち夫婦二人が病気と闘いながら作っていく人生そのものが「奇跡」なんだから、それを「今から始めていこう」的な意味あいで奇跡ということばをタイトルにつけた。
別に,動かなかった彼女の手や足が頑張ったら動いた,といったような「奇跡ストーリー」として書いたつもりはないし、そんなことは一行も書いていない。
すると、その本を出版した数ヶ月後(以前にもブログで書いたが)、私は何かに誘われるように一つの本に巡り会った。
脊髄梗塞という病気で胸から下の自由をまったく失ってしまった藤原あや子さんという人の書いた『奇跡は起こらない』という本がそれ。
その時点で私は本の内容も藤原さんのこともまったく知らなかったのだが、一読して藤原さんの本で言っておられることと私の言いたいことがほぼ同じだということを理解した。
「奇跡」は起こらない。「奇跡」とは、起こしていくもの。
藤原さんはそうおっしゃる。だから、明るい(一読して、私は彼女の明るさに励まされいっぺんに彼女のファンになった)。
私も、「奇跡」を少しずつ二人で作っていこうと思って『奇跡のはじまり』というタイトルを自分の本につけた。
だから、私と恵子も常に前を見て歩いていられる。
人間は、「生まれた」こと自体が奇跡,「生きている」こと自体が奇跡。
そして,人は日常生活の中でいつも気づかない「奇跡」を起こしている,と私は思っている。
何もイエス・キリストなどの預言者(預言とは神のことばを伝えるという意味)が起こしたような奇跡でなくとも、常に「信じられない」ようなことを起こすのが人間。
だからこそ「信じて」いない人には「奇跡」は絶対に見えてこない。
それぐらい「奇跡」というのは私たちの生活の中でいつも起こっているし、きちんと見ていないと簡単に見過ごしてしまうものだと思う。
恵子の罹患した脳卒中や藤原さんの脊髄梗塞、そしてその他のありとあらゆる病気で身体の自由を奪われ不自由な生活を強いられている人は世の中に大勢いる。
そういう人たちは(私たちも含め)、いつか元通りの自由な身体に戻らないだろうかと心のどこかで願っている。
でも,そういう「奇跡」を願って頑張ることも大事だけれども、もっとすごい奇跡を私たちはけっこう簡単に起こしているのかもしれないとも思う。
だって、たとえ片足が不自由でも(両足が不自由でも)身体を移動することはできるし(車椅子とかのさまざまなデバイスを使ったとしても),片手、両手が不自由でもモノは食べられるし,ことばがうまくしゃべれなくても意思を通じさせることができる。
私たち人間が「当たり前」と思っていることこそ、とてつもなく「奇跡的」なことだということを私は(病気で不自由な身体になってしまった)恵子との日常生活の中でイヤというほど知らされた。
それこそ、これが「奇跡」だと信じていない人には絶対に見えてこない「奇跡」だ。
みんなきっと見過ごしている。
そして、「トークトゥハー」。
ひたすら語りかける,語りかけ続けることが大事なんだろうと思う。
認知症の人たちにもひたすら語りかけることが大事なのではといつも思う。
ことばであっても音楽であっても、常に語りかけていくこと。
そうやって「奇跡」を信じ続けない限り,絶対に「奇跡」は起こせないし、その「奇跡」を見ることもできない。
だって、「奇跡を信じないと、奇跡が起きても気づかない」のだから。