みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

具合はいかがですか?

2012-06-24 19:34:07 | Weblog
とよく尋ねられる。
無論、私の具合ではなく恵子の具合なのだが、この質問をされると私は一瞬たじろいでしまう。
というのも、これほど答えにくい質問もないからだ。
素直に「元気ですよ」というのも語弊がある(だって、まだ完全に治って復活したわけではない)。
かといって、「元気ではないです」というのも変だ(別に一日中寝ているわけではない)。
なので、大抵の場合、「まあ、少しずつ良くなっています」と答えるようにしている。
ただ、これもそれほど正確な表現ではない。
良くなっている部分も確かにあるけれども、そうでない部分もある(退歩しているという意味ではないが)。
だったら、指がこういう風に動くようになったとか階段を昇る時はこういう風になるかどうとか細かくパーツごとに具体的に説明していけば伝わるかといえば、きっとこれでも正確には「伝わらない」だろうと思う。
例えば、右手を頭の上までもっていけるようになったとか言うと、逆に「ああ、それなら冷蔵庫も開けられるんじゃないの」という風に誤解されてしまうかもしれない。
私は東京に日帰りで仕事に行く時彼女のお昼と夜の食事をテーブルの上に置いて出かけるが、「それならお弁当の宅配サービス頼めばいいじゃない」という人がいる。
でも、これは実際問題としては不可能なのだ。なぜかというと、彼女はまだ玄関のドアを開けられないからだ。
宅配サービスがお弁当を持ってきても、「はい、今開けます」という風にはならないのだ。
かといって、玄関ドアの前に弁当を置いていかれても困る。
つまり、便利な宅配サービスはまだ基本的に利用できないのだ。
杖を使わないで歩ければ、大丈夫な片方の手が十分に利用できるのだが(玄関も開けられるはずなのだが)、まだそこまでの段階には行っていない。
でも、何となく、麻痺した右手でドアを開けるぐらいの作業はもうすぐできるような気もしている。
もともと生真面目な性格の彼女だ。毎日の自主トレは本当にきっちりこなしている。
そのせいか、本当にできることは毎日少しずつ増えている。
なにか、子供が少しずつ成長していくような感じにも見えるだが、リハビリというのはまさしくそんな感じなのだ。
だから、「具合はいかが?」と言われても困るけれど、「何覚えましたか?」と言われれば、「ええ、今度窓開けられるようになったんです」とか「タオル畳めるようになったんです」とか嬉々として答えられるかもしれない。
そんな感じが一番正確な尋ね方と答え方なのかもしれない。

どっぷり主夫

2012-06-18 08:55:51 | Weblog
もともと家事が嫌いではない。
大学時代、クラスの友人二人が駆け落ちして(古いことばだナ)子供を作ってしまった時、彼女が産婦人科に入院したのでその間私が彼らの家に同居して主夫をやってあげた。
私はまだ学生。彼は仕事をしていた。
彼が朝仕事に出かける時、普通の主婦のように「行ってらっしゃい」と私は見送り(かなり変な風景だナ)、家の中の掃除をやったりゴミを出したり、買い物をして彼の帰りを待った。
まるで普通の主婦(普通の主婦がどうなのかは私にもよくわからないが)のような生活をまだ二十歳そこそこの時に一ヶ月ほど体験した。
けっこうこれって楽しいじゃん、とその時は思ったし、今も恵子の介護をしながら毎日主夫をやっている生活もわりと楽しい。
床にゴミが落ちているのがすぐ目に入るし、家の中の汚れはすぐに掃除したくなる(多分、これはきれい好きだからでもあるし、きっと「主婦目線」というものがあるのかもしれない)。
晴れた日には「今日は布団干して洗濯もしなきゃ。アイロンがけもやらなきゃ」とすぐに思い、実行する。
スーパーでの買い物も、当然買い物袋を持参して「今日は××円で収まった」とか安い買い物をした時にはかなりの満足感が襲ってくる(だから、主婦はチラシを見るのかナ)。
いわゆる「やりくり上手」というスタンスに精神的な充足感を覚えるのが主婦脳だとすれば私の脳はまさしくソレだ(私はやりくり上手であることにかなりの快感を覚える)。
電気やガスをこまめに消し、洗剤もあまり使わず、家や近所で採れた木の実や野菜でジャムやおかずを作ることがたまらなく快感だ(これってケチとは違うと思うのだが)。
私は、きっと主夫が本来好きなのかもしれないナと思ってしまう。
昔、ジョン・レノンが主夫宣言をしたことがあったけど(あの時はアーティスト活動を休止したのかナ)、音楽家はもともと中性的な人種が多いので、こういうことがわりと素直にできるのかもしれない。
そして、そんな「主夫業」の合間に仕事をしたり楽器の練習をしたりするのだが、この切り替えスイッチもそう苦労せずに切り替わる。
これを柔軟性というのか何と言うのか私にはよくわからないけれど、これはこれで「楽しくてイイじゃん」という感じ。
でも、最近は恵子にも少しずつ家事仕事を分担してもらうようにしている。
それがリハビリでもあり普通の生活に戻るための準備でもあるので、「ああ、これなら多分できるかも」という仕事はどんどん彼女にふっている。
退院した当時、いきなり「皿洗いやる」と恵子が言いだした時はさすがに反対したけれど(まだ無理だと思ったから)、まあ、少しずつ家事の分担はしていかなければとは思っている。

リハビリ患者の日常

2012-06-12 08:24:46 | Weblog
退院後の通院が最初週2日だったのが最近週1日に減った。
別にこれは病院側の悪意とかシステムの問題でそうなったのではなく、療法士さんたちが協議した結果「みつとみさんの回復は順調なので、家で自主トレをちゃんとやっていけば通院は週一回でいいでしょう」ということからそうなったのだ。
きっと喜んでいいのだろう。
脳疾患のリハビリはなにしろ時間のかかる作業だ。
発症から10年たっても通院リハビリを続けている友人もいる。
もちろん、人によってとても差があるので全員がそういうわけでもない。
症状やリハビリ時間にかなりの差があるのも脳疾患患者の特徴の一つだ。
身体の麻痺を懸命に治さなければならない人もいれば、認知機能を回復させる努力を日々続けている人もいる。
なので、恵子の日常をどう過ごすかが私にとっても彼女にとっても一番の関心事であり大事なのだ。
彼女は、どちらかというと臆病ではあるけれどもしごく真面目な性格なので、自主トレのようなメニューは毎日きちんとこなす。
手や足のトレーニングも時間を決めてきっちりとやるし、私と二人でやるステップ動作、歩行練習、チェンバロによる指の訓練など、毎日のメニューはけっこう多いが真面目にこなしていくので、ある程度成果があがっているのかもしれない(なにしろ、今の彼女に必要なのは筋力なので、食事と運動が最重要課題だ)。
彼女が自主トレに励む間に私は食事の支度と後片付け、そして、掃除、洗濯、そして仕事をこなす。
洗濯は、意識的に彼女に少し手伝ってもらうようにしている。
私が洗濯した衣類をまとめてカゴに入れ彼女のそばに物干と一緒に置き、彼女に自分で干してもらうのだ。
ゆっくりだけれども何とかこなす。
そして、洗濯物の取り込みもやってもらう。
晴れた日物干台をベランダに置けばものの数時間ですっかり乾いてしまう。
なので、彼女も「もう乾いたんだ!」と驚きながらまた洗濯物を物干からはずし(洗濯バサミを扱うのはけっこう力がいる)、タオルも衣類も下着もきちんと畳んで揃えてくれる。
私は、それをしかるべき場所に持っていきしまうのだが、この彼女の洗濯の手伝いだけでも助かる。
彼女の日常の中に食事の支度や後片付けができるようになればもっと助かるのだが、さすがにそれができるようになるのはまだまだ先かもしれない。
本当は、庭に出て薔薇やその他の植物を育てるガーデニングをやってもらうのが一番彼女にとっても楽しいし手や足のリハビリにもすごく役に立ちそうなのだが、それができるようになるにも後数ヶ月は必要だろう。
先日、近くの友人が自分の庭で育てたオールドローズの花をたくさん持ってきてくれた。
色も形も香りも申し分ない見事な薔薇たちだった。
恵子としては、そんな立派な薔薇をもらうのはとても嬉しい反面、自分が育てることのできない悔しさもあるのかもしれない(顔にそう書いてあった)。
一方、私は、近所にたくさん生えているマルベリー(桑の実)を取ってきてはジャム作りに精を出す。
桑の木には本当にたくさんの実がなるので、この時期、桑の実ジャムをたくさん作ることができる(ミキサーにかければ桑の実ゼリーにもできる)。
ブルーベリーよりもはるかにアントシアニンが豊富とかで毎日ヨーグルトに入れて食べている。
アンシアニンどころか、桑の実は、鉄分、カリウム、ビタミン類がメチャクチャ豊富な食べ物だ。
それがタダでいくらでも手に入るのだから嬉しいが、今年は自宅の庭のブルーベリーやラズベリーがあまり育っていないのが気になる。
昨年から今年にかけて恵子の入院でほとんど東京に暮らしていて伊豆の自宅には帰ってきていなかったので、鹿に若芽を食べられてしまい(鹿は若い芽であれば薔薇でも食べてしまう)、庭の樹木は荒れ放題。
こちらのリハビリも少しずつやっていかねば…という感じの日常だ。