みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

短歌

2014-11-20 10:06:38 | Weblog
や絵の素養は私にはないのだが,恵子は以前から短歌雑誌の同人として継続的に短歌を作ったり,自分の短歌集まで自費出版するほどの短歌好き。
もともと学生時代から詩を書いていたのでそのままそれが素直に短歌という「うた」に流れていったのも理解できる。
絵の方も,大学卒業後すぐにイラストの会社に勤めたり,帯の会社で帯の絵付けをしたり(もちろん,花鳥風月の日本画だ),トールペインティングを教えたりとさまざまな形で絵を描き続けてきたのだが,病気をして以来そうした絵や詩作での社会とのつながりを断ち切られてしまっている。
それでも,彼女は何とかそれを取り戻そうと,地元のローカル新聞である伊豆新聞の短歌投稿欄に自作を投稿し始めた。
今日の新聞に彼女の2作が掲載されていた。
つい少し前にも同様に彼女の短歌が掲載されたことがあったが,その時の嬉しさは格別だったのだろう,今回もその喜びを隠そうとはしない。
いつ投稿したのと聞くと,携帯からも投稿できるとの話。
これからも彼女の社会とのつながりがどんどん増えていって欲しい。

「吾が裡(うち)を流れる川の水底に砂金となりし忘れ得ぬ人」
「赤き月伊豆大島のかたえよりゆるゆる昇る雨上がりし夜」
                           (満富惠子)

自分の生活が作曲家アイヴスの生活に

2014-11-18 20:43:50 | Weblog
だんだん似てくるような不思議な気がしている。
今の私は伊豆の山の上に暮らし東京に仕事のたびに出かける生活だが,アイヴスという作曲家もボストン郊外のコンコードという,ちょうど日本の軽井沢に近い雰囲気の田舎町に暮らしていた。
とはいっても,「アイヴス,それ誰?」と思う人がほとんどだろう。

アイヴスというのはアメリカの作曲家で,十九世紀後半から二十世紀半ばまで活躍した人。
彼の生涯年は1874~1954。
なぜこの人の生活と自分の現在の生活の類似性に思いを馳せたかといえば,私はアメリカ留学中にこの作曲家の存在を知り,以来ずっと彼の作品や生涯を研究してきた,いわば自称「アイヴス研究家」だからだ。
この作曲家は日本ではほとんど知られていない。
一般の人はおろか,音楽を生業にするプロの音楽家でさえアイヴスのことを知る人は稀だ。
ほぼフランスのサティと同時代を生きた作曲家だが,サティが一般の人たちにも良く知られた存在になったのに比べアイヴスは…という感じなのだが,それにはそれなりの理由がある。
まず,彼のような作曲家は古今東西どこを見回してもきっと存在しないのではというぐらいその生き方と存在がユニークなのだ(まあ,サティだってけっこうユニークな人ではあったが)。
アイヴスはエール大学で音楽を学んだにもかかわらず音楽を生業にはしなかった(「え?エール大学に音楽学部なんてあったの?」と思う人もたくさんいるかもしれないが)。
つまり,彼は音楽は専門的に勉強したもののプロ音楽家としての道を選択せずに卒業後保険会社のサラリーマンになり,作曲は週末だけ自宅で行っていたウィークエンド音楽家だったのだ。
日本にも大手銀行に勤めていたサラリーマン作曲家がいるが,その人とは生き方も音楽の種類もまるで違っている。
アイヴスの存在が世の中に知られるようになったのは,彼が定年退職して自費出版した楽譜『114の歌曲集』や『ピアノソナタ<コンコード>』を関係者に配ったところから。
アメリカには,画家のグランマモーゼ(おばさん)のように晩年になっていきなり世の中の注目を集める人がたまにいる(グランマモーゼが有名になったのは70歳を過ぎてからだ)。
もちろんアイヴスは定年になるまでに,出版した作品以外にも交響曲を幾つか書いたり室内楽を書いたりしてしっかりと「音楽活動」は行っていた。
ただ,それを定年まで世の中に出さなかっただけの話だ。
この自費出版だって,「自分の作品を世の中に出す」という意味で出版したとは到底思えない。
その証拠に,彼の作品が注目されボストン交響楽団などが定期演奏会で取り上げるようになってもアイヴスは,自作が演奏される会場に一度も足を運ぼうとはしなかったのだ。
それだけ聞くと何か「偏屈で変わり者の作曲家」といった姿を想像するだろうが,彼の素顔はそんな皮相的なものではない。
彼の住居は,ボストン郊外のニューイングランド地方のコンコードという田舎町。
大都市ボストンまでは1時間程度で行ける距離だが風光明媚な山の中の避暑地で,この土地には「超越主義」作家と言われる米文学の作家,ソロー(『森の生活』),ホーソン(『緋文字』)などが住んでいたことでも知られている。
この場所にアイヴスが住んでいたことが彼の人生にも音楽にも深く関わっている。

このアイヴスという人物を調べていくと,音楽家以外の顔がたくさんあることに気づく。
「平和主義者アイヴス」。
彼は,国際連盟ができる前に<people’s world nation>)という論文を発表し,国連と同じような組織を作る必要性を説いていた。
「超越主義文学者アイヴス」。
彼が最初に書いたピアノソナタ<コンコード>の楽譜には『essay’s before a sonateソナタのためのエッセー』という,ホーソンやエマーソン顔負けの超越主義思想論文がついていて,この文章は今でもアメリカの文学部の教材で使われているほど評価が高い。
「スポーツ評論家アイヴス」。
彼は,野球とフットボールの評論家としてボストンの新聞にもたびたび記事を掲載していたほどのスポーツ通。
「実業家アイヴス」。
彼は三十代で自ら保険会社を起業して生涯この会社で定年まで働いたが,彼のモットーは「ビジネスは,お金を儲けるためにあるのではなく人々の暮らしを守るためにある」ということ。
彼の「理想主義」は,自分の信じる「平和主義」をビジネスの世界にも持ち込んだ点にある。
「マネーゲーム」ではない「全人類の幸福を追求するためのビジネス」が「保険」であるという結論を導きだした彼は,「経済」ということばの元になった思想<経世済民>を生涯貫き通した人だった。
そんないろいろな顔を持つ彼は,ボストン郊外の田舎で文字通り「エコロジカル」で「ろはす」な生き方を実践していた人。

そんな(珍しい)音楽家の作品にアメリカ留学時代に興味を持った私は,日本に帰国するとなんとかこの作曲家の作品を演奏したいと一緒に企画に乗ってくれる人を探した。
その結果(当然のことなのだが)三宅榛名さんという作曲家/ピアニストの本に行き当たった。
『アイヴスを聞いてごらんよ』という三宅さんが書いた本のタイトルに引かれた私は無謀にも彼女にコンタクトを取り一緒にコンサートを開こうと持ちかけた。
ちょうどその頃知り合ったジャズ評論家の人たちとわいわいがやがやと話していくうちにサックスの坂田明さんとかドラムの森山威男さんとかも仲間に入り新宿のピットインという老舗のジャズライブハウスで何度か「アイブスライブ」を行うようになった。
意外なことに,アイヴスの音楽は,クラシックファンよりもジャズファンを引きつけたようだった。
というのも,彼の音楽は,サティの音楽と違い,けっして聞きやすくはないからだ。
どちらかというと「難解」。
演奏するにしても鑑賞するにしてもどちらも「難しい」(だから,きっとフリージャズの人たちの興味を引いたのかもしれない)。
最初のピアノソナタ『コンコード』は,書かれてから4つの全楽章が完全な形で初演されるまでに数十年の月日を費やしたぐらい難解でかつ技術的ハードルの高い作品だ(最後の四楽章の終わりの数十小節だけフルートのオブリガートの登場する変わったピアノソナタで,私もこの曲の演奏に「参加」したことがある)。
彼の音楽は,アメリカではわりと知られている。
彼の「第三交響曲」は,日本でも有名なピューリッツァ賞を獲得しているし(ピューリッツァ賞に音楽部門があることは日本ではまったく知られていないが),レナード・バーンスタインはアイヴスの作品の一つ『Unanswered question』というタイトルの音楽番組をTV番組として作っているほどだ。

アイヴスという作曲家の(人とは違う)特殊性を並べあげればキリがない。
彼は,田舎に住みラジオも新聞も一切持たない人だったし(テレビを持たない私とこの部分は若干似ているかナ),徹底した平和主義者だった彼は,ヒトラーが出てきた時こう叫んだそうだ。
「なぜ,誰も,この男に何もしようとしないんだ!」。

おそらく,現代音楽というジャンルは,このアイヴスという作曲家がいなかったら存在しなかったのではと思うぐらい,彼が最初に創造したものは多い。
ジョン・ケージやシェーンベルクが登場するはるか前に,アイヴスは現代音楽の実験をほとんどやりきっている。
12音音階,ブロックフォーム,トーンクラスター(山下洋輔さんはピアノの上で肘をついて音の固まりを演奏したが,アイヴスは,同じことをピアノの鍵盤の上に三十センチほどの木を置くことで実践した),ポリリズムやポリトーナリティは朝飯前だったし,とっておきの作品は二台のピアノがそれぞれ四分音ずつ調律をずらして演奏する曲だ。
つまり,四分音ずれたピアノが同時になるのだ(きちんと作曲された形で)。
私が最初にこの曲を聞いた時の衝撃(というか,聞いているとお尻の辺りが何かモゾモゾとするような居心地の悪さ)は今でも忘れられない(最近は,この四分音のズレの感覚に身体が慣れてしまったせいか,同じような居心地の悪さは,残念ながらなくなってしまったけれど)。

こんな素晴らしい人物の存在が日本で知られていないのはあまりにも寂しいので,来年からまたこの人の作品を演奏する機会を作っていこうと思っている。
といっても以前と同様私一人だけでは難しいので,あるピアニストに誘いをかけている。
今のところ(私の誘いに)乗ってくれている(ようだ)。
問題は,「いつ,どこで」やるかだ。

一人一人の「生」と「死」

2014-11-09 18:15:19 | Weblog
昨日,終末期ケアの講演会に行った。
上智大学の名誉教授で,「死生学」や「ホスピス」の考えを日本で定着させた第一人者の方とも言うべきアルフォンス・デーケン氏の講演だ。
県看護協会主催の講演なので,二百人ほどの観客のほとんどが看護士さん,介護士さんなどの女性で埋め尽くされていた。
男性は,私を含めてもほんの数人。
その中でひときわ若い男性がいたので話しかけると看護学校の学生だという。
将来看護士さんとして活躍する人なのだろう。
数十年前から日本に「死と生の哲学」や「ガン告知とホスピス」の運動をしてきた先生の話はとても面白い。
それに何分かに一回は必ずお客を笑わせてくれる(氏はドイツ生まれの方だが彼の日本語は流暢というよりもさらに巧みだ)。
ただ,それよりも私が勇気づけられたのは,数十年前には「ガン告知」などまったく受け入れらなかった「ホスピス思想」と「終末期ケア」を,現在の日本での常識的な考えにまで定着させてきた氏の忍耐力と行動力だ。
「そりゃ無理だ」と思われることにチャレンジしていく人には必ず大きな「壁」が立ちはだかる。
どんな時代,どんな場所でも「変化」を恐れる人は多い。
しかし,「変化しない動物」は同時に「進化しない動物」になってしまい,いずれは滅びていく(この考え方こそが『進化論』の中核の思想)。
だから,その壁がいくら高くそびえていてもそれだけで恐れをなして諦めてしまっては何も前に進まない。
看護の世界でも,介護の世界でも,近年「QOL(クオリティオブライフ)」ということばが盛んに使われている。
このことば,昨日の講演でも幾度となく登場した。
しかし,私はこのことばを聞くたびに「<生活の質>って言ったって,一人一人違うはず。それを一体どうやって担保しようと言うのだろう」と首をかしげてしまうことが多い。
リハビリのQOLに限ったとしても,私と恵子のケースと他の大勢のいろいろな病気からのリハビリに頑張っている人たちとではまったく意味もやり方も違うだろう。
極端に言えば,患者自身と家族だって(考え方や求めるものは)違うのだから,そんな簡単に「QOLを考えましょう」などと言えるような問題でもない。
クオリティオブライフというは,「一人一人の生と死と向き合う」というとてつもなく大きな課題であり「壁」」なのかなとも思う。
だからこそ,看護士,医者,介護士といった「ケア」に携わる人たちの不断の努力と学習が必要になってくるのだろう。
先日,私がここ数年施設で「音楽サービス」を実施している企業のトップに会いに行った。
企業内での人事異動で昨年までの社長が交代し,新しい社長が就任したので「ご挨拶を」というのが表向きの理由だ。
まあ,これにはいろいろなbehind the storyがあるのでそれには直接触れないが,とにかく新しい社長に「言いたいことは言わなければ」と思い,とりあえず言いたいことは言ってきたつもりだ(私はサラリーマンの経験がないので,サラリーマン的な処世術は一切使わないし,相手にどう思われようが常に直球,ストレートでしか意思を伝えない)。
これから先の私の目標(つまり,「音楽は介護を救う」というフレーズが世の中の常識になって欲しいということ)に向って,企業や学者,そして自治体,政治家などの協力が,看護士さん,介護士さん,療法士さんなどの現場の人たちとのコミュニケーションと同時に必要になってくると思うからこそ,私は時に「政治的」な動きを好んでする。
ただ,一方で「エライさんに何を言っても無駄。やはり現場から物事を変えていかないとダメ」という意見をおっしゃる方もいる。
もちろん,それも絶対に必要です(し,げんにやっています)。
でも,それだけで世の中の常識は変えられないことも確か(ではないでしょうか?)。
本当に物事を変えて行くためには,いわゆる,「上から」「下から」の両方の変革が絶対に必要だと私は思っている。
そして,たとえそれができたとしても目標の成就までにはとてつもない時間がかかるのだ。
デーケン先生も「ホスピス」という考え方をここまで一般的にするのに数十年の時間を使っている。
しかし,それでも世の中は変わるし,変えられる。
今も,私がミュージックホープの話をいろいろな人にするたびに,「みつとみさんのやろうとしていることは,音楽療法とどこが違うんですか?」といった質問を何回、何十回と受ける。
そのたびに「またそこからですか」と(内心)思ってしまう。
でも,まあそれも無理もないかもしれない。
先日などは「宗教の勧誘かと思っていましたよ」と言われたぐらいなのだから,「音楽療法ですか」と言われるぐらいまだマシな方だと思わなければいけないだろう。
でも、この理解の「壁」を乗り越えないことにはおそらく私の目指しているプロジェクトが「世の中の常識」になることはないだろう。
「音楽は介護を救う」。
こんな単純なメッセージを理解することは,「そう思える心」「それを実感できる心と環境」さえあればそれほど難しいことではないはずだ。
私には幸い身近に「ケア」をしなければいけない人がいる。
あえて「幸い」ということばを使ったが,それまでまったく介護の経験のなかった私に「身をもって」介護とはこういうこと,人をケアすることはこういうことと教えてくれた恵子には本当に感謝している。
マザー・テレサのことばに「目の前にいる人が助けを求めているのに,それを放っておいて,他の家,他の国,他の人たちを助けようとする行為は偽善です」というものがある。
まったくその通りだと思うし,(そんなこと)当たり前だとも思う。
自分の目の前で必死に助けを求めている人にまず手を差しのべること。
それができてはじめて自分のその「手」はさらに遠いところまで伸びていくことができるのだから。

昨日の講演は,(意外なことに)黒澤明の映画『生きる』の話から始まった。
市役所に勤める主人公が癌を告知されてはじめて「生」の意味を知り,お役所仕事ではなく本当に子供たちの幸せのための公園作りを実現して亡くなるという映画の中に自分が言いたい「生と死」のメッセージの全てが語られているとデーケン先生は言っていた。
「死」の意味を知ってはじめて「生」の意味を悟る人間という動物の「業」もまたとてつもなく深いなと思う。
それこそ,この「業」こそが人間が常に乗り越えていかなければいけない「壁」なのかもしれないとも思う。

いろいろ手伝いたがるのは嬉しいのだけど

2014-11-01 19:56:40 | Weblog
それがたとえ本心であっても,心の中の「焦り」がそうさせるのはこれまでの経験からわかっているので,若干心配になってくる。
今年の3月に骨折した時もその直前まで同じように「何でもやってみよう」と挑戦したがっていた。
(あの時も)ある意味,なんでも「やりたがって」いたのだ。
その時(の状況)とちょっと似ていることが私の心を少しばかり不安にさせる。
彼女の言っていることだけ考えると気持ちがそういう風に「前向き」になっているのだし,それだけ「元に戻った」とも言えるのかもしれないが,実際は気持ちだけが先行していて「身体の能力」はその気持ちを支えるほどにはまだ追いついていない。
彼女は,私が台所にたつとすぐに「何か手伝えることな~い?」と聞いてくる。
キャベツ刻んだり,肉を切ったりできるのであればすぐに「..やって!」と言えるのだけれども,そうした仕事はまださせられない(切る力がないというよりも台所の流しに真っすぐ立っていられるわけではないのだからモノを切る以前の話だ)。
それでも,豆腐をスプーンですくって皿に入れたり,油揚げをキッチンバサミで切ってもらったりして,何とか「お手伝い」の格好はさせられる(それも全てをテーブルに持っていって座っている彼女の目の前に並べるのだ)。
何か,子供に「初めてのお手伝い」をしてもらったりしているような格好だが,彼女にしてみれば(子供とは違って,これまで当たり前にやっていたことが)できないことがもどかしいのだから,「出来た!」という感動と自信を少しでも味わいたいのだ。
後は,ご飯の盛りつけもお釜からおひつにわざわざ移しそれを彼女の目の前に置きそこからお茶碗によそってもらうという作業をする。
でも,昔はみんなこういう「二度手間」をかけていたのだから「わざわざ」というのは本当はおかしいのかもしれない。
洗濯物も,洗濯の終わった衣類をカゴに入れ,それと物干ハンガー(洗濯物をかけられるパイプ状のやつだ)をわざわざ彼女の目の前にセットして干してもらう。
それでも,洗濯バサミのバネを押せるようになっただけ進歩だ。
今の彼女には,できることを探してそれをやってもらう算段を作る方が実際に私がやるよりもはるかに大変だ。
それでも,リハビリというのはこうした「忍耐」と「手間」を惜しんでいては絶対に先に進まない。
だって,十年も二十年もかかって人が手に入れた能力を(それを病気で失ったからといって)すぐに回復できると考える方が本当はオカシイのだから。
それでも,一方で,彼女の気持ちがどれだけ平静を保っていられるのかも心配になってくる。
先日,洗面台の下が汚れているといって夜中に突然泣き出したことがあった(そんなリアルな夢を見ていたのだ)。
「前は,あそこちゃんといつも自分で掃除してきれいにしていたのに...」。
今それができない悔しさが彼女の心を絶えず掻きむしる。