みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

長いこと

2006-07-22 14:36:50 | Weblog
芸能音楽業界にいると、時々信じられないような出来事に出くわす。まあ、世間一般から見れば「虚飾」のウソの世界にも見えるだろうし、実際、そういうこともたくさんあるのだからたいていの「ウソ」には驚かないのだが、それでも「え?ウソ~!」というようなことがあったりする。でも、そういう事柄を実名を挙げて具体的なことをここで書けないのが悔しいのだが、TVの裏側や舞台の裏側がウソだらけというのは、よくよく考えてみると、ある意味、当たり前という気もしないではない。
いつも、私が弟子たちに言うこと。客席と舞台の間には、絶対に踏み越えられない境界線があるんだということを口を酸っぱくして言っている。
客席には、ふだんの日常をそのままひきづった現実の世界に生きる普通の人たちがいる。でも、その「普通」の人たちが、なぜライブハウスや劇場などの場所にわざわざお金と時間を使ってやってくるかと言えば、それは現実の自分が過ごしている「時間」と「空間」以外の「非日常」を世界に浸りたいから。つまり、舞台の上に立つ人間は、「非日常」の世界にいる人間で、客席に座っている人たちは、「日常」の時間と空間にとどまって「仮想の非日常」を体験しようとしている人たちだ。
舞台の上の書き割りに書かれた「月」、照明で作られた「月」を、誰も本モノの月だなんて思っていない。でも、それは「月」でなくてはならないというウソの上に、私たちは、日常と非日常の間を行ったり来たりする。それが、芸事の本質だと私は思っている。
舞台の上で演じる人たち、踊りを踊る人たち、音楽を奏でる人たち。みんな非日常を演じる人たちだ。
本物の警官ではないのに、本物の警官を演じる。日常生活であんな動きなんかするわけないのに、それをワザワザ踊ってみせる人たち。自然界にあんな音は存在しないはずの音で楽器を作り、それを超絶技巧で演奏する人たち。
みんな、考えてみれば、ウソばかりの世界だ。しかし、そのウソは限り無く美しく、普遍的なモノを表現する。まあ、それがアートというものなのかもしれない。
だとしたら、そんな「ウソ」の一つや二つにビックりすることもないのだが、でもネ。ウソをつかれたのは、舞台の上じゃないからネ(笑)。

一週間に一度

2006-07-18 00:03:33 | Weblog
ぐらいはマッサージに行く。けっこう身体もくたびれてきているから、若干のオイル差しぐらいの気持ちで行くんだけれど、いつも驚くのはけっこう若い人もお客さんで来ていること。二十代や三十代でマッサージに来なければならないほど身体がくたびれているんだろうか?
自分が若い時のことを考えるとおよそ考えもつかないこと。今の若い人たちってそんなに身体がくたびれているんだろうか?きっとエステ感覚でマッサージにも行くのだろうけど、身体がそれだけ甘えているのかナ?とも思う。食べ物だって無頓着な人が多いし、みかけは若くても、身体の中身は既に老化しているのかナ?

この日記、誰が読んでもかまわないようなことしか書いていないのだが、それでもやはり迂闊なことは書けないナと思う。
前回の日記に韓国旅行のことを書いたら、早速ちょっと右の方らしき人からフムフムというようなコメントが書かれていた。多分、いま日本と韓国で領有権を争っている島のことをチラっと書いたからだと思う(その単語でヒットして私の日記に辿りつかれた方だと思うので、いまその単語はあえて使わない)。私にとっては若干不愉快な内容だったのでそのコメントは削除させてもらったけれど、やはりこのブログというツールはそれほど甘いツールではないナと思う。最近は心して使うようにしている。

2006-07-06 22:55:14 | Weblog
4日に行って6日に帰ってくるという超強行スケジュールで韓国に仕事で行ってきたが、行きの飛行機の機内アナウンスで「今日はfourth of Julyです」言われた瞬間、あ、何かあるなという予感はしていた。7/4はアメリカの建国記念日なのだから、世界の嫌われモノアメリカの独立記念日を記念して誰かが何かをやらかすというのは十分誰でも予測できるところ。と思ったら北はやってくれましたネ。しかも、ちょうど私が韓国に滞在するピンポイントの日をねらって(ハハハハ)。
でも、5日の朝の韓国のTVニュースは、最初あまりミサイルの報道はしていなかった。どちらかという竹島問題ばかり取り上げてミサイルのニュースは意図的に避けているような...感じさえした(ハングルわからないくせによくそこまでニュースの内容がわかるナって?それぐらい、感でわかる範囲だと思いますヨ)。
まあ、どちらにせよ、日本、韓国、北朝鮮の政治ゲームはあまり実りがないというか、何でもうちょっと利口にできないのかナ?と思う。民間レベルでは、日本人も韓国人もこれだけ仕事を一緒にしているというのに。

それにしても、初めての韓国だったが、私はあの国がかなり好きになりそうだ。何がか?と理由でと言われると、その答えは簡単。あの国の人たちの情の濃さは貴重だ。メキシコでも感じたような人間の情の深さをあの国の人たちは未だにたくさん持っているし、それを素直に出せる国自体が素晴らしい。日本にもかつてあれぐらいの情はあったはずなのだが...。いつから、日本は情のない国になってしまったのだろうと思う。
きっと、勝者敗者を決めたから?いや、違うだろう。日本は昔も今も競争する社会だ。じゃあ、何が変わったのか?多分、お金じゃないかナという気がする。昔の勝者敗者の基準は、地位とか名誉だったのだろうと思う。今は、それが単にお金を持っているかいなかに変わってしまっている。人間、お金を基準に物事を考えていく、必ず品と情をなくす。私はそう思う。人間の品性というものはお金じゃ買えないし、ましてや、お金ばかりを追いかける生活をしていれば必ず品性なんか二の次ぎになってしまう。しかも、お金というものに情はからませてはいけない(親兄妹からお金を借りるとロクなことはないし)。つまり、商売や仕事に情は禁物というように、情とお金は必ず相反するモノなのだと思う。
ということは、結局、お金を中心に生活していけば、品のない情にも薄い非人間的な生活を送ることになってしまうのだ。日本はいつの間にかそんなツマラナイ国民になってしまったのかもしれないナ...と思うとかなり悲しいが。