保父さんになるチャンスは大学卒業時一瞬あった。
知り合いの保育園の園長さんが保母さんを募集しているという話を卒業間際に聞き込んだからだ。
すかさず「ピアノも弾けて子供も大好きですけど私じゃダメですか?」と聞くと「男の人はちょっと」という返事で雇ってはもらえなかった。
まだ保父さんということばが今ほど一般的ではなく、男性というだけで敬遠されてしまったのだ。
もしあの時私が保父さんになっていたら私の運命は大きく変わったことだろう。
まあ、人生というのはなるようにしかならないのだからそれが運命だと思うしかない。
アメリカに留学していた二十代当時、音楽学部の男の友人とカフェテリアでよく「ハウスキーピングって奥深い仕事だよな。なんかやってみたくない?」などと男同士でコーヒー片手にドーナツを食べながらこんな話をよくしていた。
ヴァイオリンを専攻していた男だったが、えらく繊細で大学オケのコンマスのくせに(つまり、彼はとりあえずNo.1の腕前だったのだが)本番の前に何度もトイレに駆け込む小心者でもあった。
そんな彼とよく「主夫やってみたいね」などと大真面目に話していたのだ。
私の気持ちは今でもまったく変わっていない。
というか、今は否応無しに主夫業を毎日やっているが、その仕事の奥深さにはいつも脱帽する。
「やってもやってもキリがない」この仕事は、いったんやり始めると止まらない。
すべてをやってしまいたくなるのだが、家庭内の仕事でやり尽くせるものなど何一つない。
洗濯一つ取っても、どこまで奇麗にすれば良いのか考えだすと時間があっという間に過ぎてしまう。
最近の服や素材はシワになりにくいようにできているからアイロンがけはあまり必要ないものが多いが、アイロンがけは、これはこれでけっこう面白い。
特にシャツのアイロンがけは襟や袖口をきれいにかけられた時などかなり快感だ。
掃除も際限がない。
特に、ウチのように畳の部屋がまったくなく全てがフローリングの家だと、どんな小さなワタぼこりでもすぐに目立ってくる。
「あれ、さっき掃除機かけたばかりなのに」という感じでいつも掃除に追われる。
ただ、この冬の時期に一番困るのは水仕事で手が荒れることだ。
私は男なので手あれ自体にほとんど頓着はないが、手があまりにもガサガサになってしまうとそのガサガサの手で彼女をリンパマッサージしなければならないのが困りものなのだ(リンパマッサージというのは本当になでるような優しいソフトなタッチが必要だからだ)。
手あれ防止に手袋をすれば良いという人もいるが、手袋で細かい作業なんかできるわけがない。
なるべく、水仕事は手早く済ませてしまう他、手はないのだ。
でも、こうしたハウスキーピング、基本的には彼女と一緒に生活し始めて以来ずっと分業でやってきたもの。
彼女にしても、今何もできない悔しさをイヤというほど味わっているはずだ。
早く家事に復帰したい。でも、できない。今、彼女はそのジレンマと闘っている。
でも、逆に言うと、彼女が家事に復帰できることそのものがリハビリの成果なのだから、考えようによってはこれはこれで頑張る指標にもなる。
友人に、家で年寄りの介護をしている男性音楽家がいる。
彼は、実にひょうひょうと家事や介護を毎日こなしている。
彼は、仕事をしながら毎日家中の人間の食事を欠かさず作っているのだ。
「何も考えずに坦々とやらなきゃ、こんなものこなせないよ」といつも笑いとばす。
でも、彼よりは私の方がはるかに希望があると思っている。
だって、恵子はいつか家事に復活する。
そう私は信じているのだから。
知り合いの保育園の園長さんが保母さんを募集しているという話を卒業間際に聞き込んだからだ。
すかさず「ピアノも弾けて子供も大好きですけど私じゃダメですか?」と聞くと「男の人はちょっと」という返事で雇ってはもらえなかった。
まだ保父さんということばが今ほど一般的ではなく、男性というだけで敬遠されてしまったのだ。
もしあの時私が保父さんになっていたら私の運命は大きく変わったことだろう。
まあ、人生というのはなるようにしかならないのだからそれが運命だと思うしかない。
アメリカに留学していた二十代当時、音楽学部の男の友人とカフェテリアでよく「ハウスキーピングって奥深い仕事だよな。なんかやってみたくない?」などと男同士でコーヒー片手にドーナツを食べながらこんな話をよくしていた。
ヴァイオリンを専攻していた男だったが、えらく繊細で大学オケのコンマスのくせに(つまり、彼はとりあえずNo.1の腕前だったのだが)本番の前に何度もトイレに駆け込む小心者でもあった。
そんな彼とよく「主夫やってみたいね」などと大真面目に話していたのだ。
私の気持ちは今でもまったく変わっていない。
というか、今は否応無しに主夫業を毎日やっているが、その仕事の奥深さにはいつも脱帽する。
「やってもやってもキリがない」この仕事は、いったんやり始めると止まらない。
すべてをやってしまいたくなるのだが、家庭内の仕事でやり尽くせるものなど何一つない。
洗濯一つ取っても、どこまで奇麗にすれば良いのか考えだすと時間があっという間に過ぎてしまう。
最近の服や素材はシワになりにくいようにできているからアイロンがけはあまり必要ないものが多いが、アイロンがけは、これはこれでけっこう面白い。
特にシャツのアイロンがけは襟や袖口をきれいにかけられた時などかなり快感だ。
掃除も際限がない。
特に、ウチのように畳の部屋がまったくなく全てがフローリングの家だと、どんな小さなワタぼこりでもすぐに目立ってくる。
「あれ、さっき掃除機かけたばかりなのに」という感じでいつも掃除に追われる。
ただ、この冬の時期に一番困るのは水仕事で手が荒れることだ。
私は男なので手あれ自体にほとんど頓着はないが、手があまりにもガサガサになってしまうとそのガサガサの手で彼女をリンパマッサージしなければならないのが困りものなのだ(リンパマッサージというのは本当になでるような優しいソフトなタッチが必要だからだ)。
手あれ防止に手袋をすれば良いという人もいるが、手袋で細かい作業なんかできるわけがない。
なるべく、水仕事は手早く済ませてしまう他、手はないのだ。
でも、こうしたハウスキーピング、基本的には彼女と一緒に生活し始めて以来ずっと分業でやってきたもの。
彼女にしても、今何もできない悔しさをイヤというほど味わっているはずだ。
早く家事に復帰したい。でも、できない。今、彼女はそのジレンマと闘っている。
でも、逆に言うと、彼女が家事に復帰できることそのものがリハビリの成果なのだから、考えようによってはこれはこれで頑張る指標にもなる。
友人に、家で年寄りの介護をしている男性音楽家がいる。
彼は、実にひょうひょうと家事や介護を毎日こなしている。
彼は、仕事をしながら毎日家中の人間の食事を欠かさず作っているのだ。
「何も考えずに坦々とやらなきゃ、こんなものこなせないよ」といつも笑いとばす。
でも、彼よりは私の方がはるかに希望があると思っている。
だって、恵子はいつか家事に復活する。
そう私は信じているのだから。