であって、医者でも薬でもないというのは真実だけれども、現在の医療システムはどんどん患者を切り捨てていく方向に走っているような気がしてならない。
今日、恵子の通っている病院の療法士さんから「そろそろ先のことをお話しておきたいのですが」と、いずれ医療保険を使っての通院ではなく介護保険と使っての通所リハビリに切り替えてもらいますよという話をされた。
まあ、彼の話の内容は以前からわかっていたことでもあり、それなりの心構えもこちらにはできていたので別段驚きはしなかったが、これが国の制度なんだということを改めて認識させられた。
つまり、恵子は昨年9月に脳卒中を発症して急性期病院に入院したのだけれども、この「急性期病院」というところに入院できるのは90日が限度。
つまり、3ヶ月以内に次の病院に転院しなければならない。それが、「回復期病院」。
そして、この「回復期病院」の入院限度日数も180日と決まっている。
半年たてば、トコロテン式に回復期病院からも追い出され、今度は通院にステイタスを変えなければならない。
その際通院する時に使える保険も、医療保険か介護保険の2種類のどちらかを選ばなければならない(この二種類の保険、同時には併用して使えない)。
国は、なるべく医療保険を使って欲しくない(この意図がイマイチ私にはよくわからないのだが)。
でも、医者としては、通院治療として使える保険点数が限られているのでその範囲内では満足な治療が行えない。
できれば、もっと保険点数を上げて欲しいがそれはかなわないどころか、国はどんどんその点数を減らそうとする。
ということは、恵子もいずれ現在のような医療保険での通院はかなわず、介護保険に切り替えて通所リハビリにしなければならない。
とはいっても、こういうシステムの運用は医者とか病院とかの胸三寸のところがあるので、恵子がこれからどれだけの間医療保険でリハビリが続けられるかわからないが、現に、来月から通う日数が今までの週一あら隔週に減らされることになった(最初は週2回だったのに)。
まあ、これも考えようによっては、どんどん自立を促すという意味合いでそうなっているので一概に悪い考え方とは言えないのだが、患者や家族に「冷たい」ことは確かだ。
例えば、家族の手厚い介護を受けられないような患者さんはどうすれば良いのだろうか?
私の知り合いの患者も「家族の助けと愛情で回復した」と口を揃えて言う。
でも、この「家族の愛」そのものに恵まれない人は一体どうしたら良いというのだろうか。
脳疾患の長い煩いから回復した人たちが異口同音に言うのも「回復は、前向きな気持ちと日々のリハビリの訓練の賜物」だということだ。
これこそが、患者だけで維持することが困難なモチベーションなのではないだろうか。
明るい未来に向って「前向き」に努力する。
こんなシンプルなことが患者一人だけの力でできるのだろうか。
国の制度は、「早く一人で病気を治しなさい」と言っているようなもの。
脳疾患のように、回復が月単位ではなく年単位で考えなければならないものを「早く自立しなさい」ということばをかけるだけではどう考えても無理でしょう。
やはり、制度が必要なのではと思わざるを得ない。
回復の必要最低条件の「前向きな気持ちと努力」が満たされなかった時患者の容態は「横ばい」ではなく確実に下降線を辿って行く。
これも、患者の人たちが異口同音に言うことだ。
私と恵子は、毎日言い争いながらも、ひたすら「前向き」に訓練を怠らない。
練習を一日休めばそれを取り戻すのに三日かかるのを楽器の訓練で痛いほどわかっている私だからその轍は絶対に恵子には踏ませたくない。
恵子が「痛い」と言っても「はい、もう一度」。疲れたと言ったら「はい、休んでもう一度(笑)」。
これが二人の日常だ。
病院のリハビリの帰り際、玄関先で老人用のカートを押すおばあさんとすれ違った。
「若いのに大変ねえ。私みたいな年なら不自由なのはしょうがないけど...。でも、それだけ杖で歩けてるんだから、もうすぐよ。ちゃんと歩けるようになるわよ」
「はい、ありがとうございます」。
二人で大声で返事をした。
おばあさんのことばが、涙が出るほど嬉しかった。
今日、恵子の通っている病院の療法士さんから「そろそろ先のことをお話しておきたいのですが」と、いずれ医療保険を使っての通院ではなく介護保険と使っての通所リハビリに切り替えてもらいますよという話をされた。
まあ、彼の話の内容は以前からわかっていたことでもあり、それなりの心構えもこちらにはできていたので別段驚きはしなかったが、これが国の制度なんだということを改めて認識させられた。
つまり、恵子は昨年9月に脳卒中を発症して急性期病院に入院したのだけれども、この「急性期病院」というところに入院できるのは90日が限度。
つまり、3ヶ月以内に次の病院に転院しなければならない。それが、「回復期病院」。
そして、この「回復期病院」の入院限度日数も180日と決まっている。
半年たてば、トコロテン式に回復期病院からも追い出され、今度は通院にステイタスを変えなければならない。
その際通院する時に使える保険も、医療保険か介護保険の2種類のどちらかを選ばなければならない(この二種類の保険、同時には併用して使えない)。
国は、なるべく医療保険を使って欲しくない(この意図がイマイチ私にはよくわからないのだが)。
でも、医者としては、通院治療として使える保険点数が限られているのでその範囲内では満足な治療が行えない。
できれば、もっと保険点数を上げて欲しいがそれはかなわないどころか、国はどんどんその点数を減らそうとする。
ということは、恵子もいずれ現在のような医療保険での通院はかなわず、介護保険に切り替えて通所リハビリにしなければならない。
とはいっても、こういうシステムの運用は医者とか病院とかの胸三寸のところがあるので、恵子がこれからどれだけの間医療保険でリハビリが続けられるかわからないが、現に、来月から通う日数が今までの週一あら隔週に減らされることになった(最初は週2回だったのに)。
まあ、これも考えようによっては、どんどん自立を促すという意味合いでそうなっているので一概に悪い考え方とは言えないのだが、患者や家族に「冷たい」ことは確かだ。
例えば、家族の手厚い介護を受けられないような患者さんはどうすれば良いのだろうか?
私の知り合いの患者も「家族の助けと愛情で回復した」と口を揃えて言う。
でも、この「家族の愛」そのものに恵まれない人は一体どうしたら良いというのだろうか。
脳疾患の長い煩いから回復した人たちが異口同音に言うのも「回復は、前向きな気持ちと日々のリハビリの訓練の賜物」だということだ。
これこそが、患者だけで維持することが困難なモチベーションなのではないだろうか。
明るい未来に向って「前向き」に努力する。
こんなシンプルなことが患者一人だけの力でできるのだろうか。
国の制度は、「早く一人で病気を治しなさい」と言っているようなもの。
脳疾患のように、回復が月単位ではなく年単位で考えなければならないものを「早く自立しなさい」ということばをかけるだけではどう考えても無理でしょう。
やはり、制度が必要なのではと思わざるを得ない。
回復の必要最低条件の「前向きな気持ちと努力」が満たされなかった時患者の容態は「横ばい」ではなく確実に下降線を辿って行く。
これも、患者の人たちが異口同音に言うことだ。
私と恵子は、毎日言い争いながらも、ひたすら「前向き」に訓練を怠らない。
練習を一日休めばそれを取り戻すのに三日かかるのを楽器の訓練で痛いほどわかっている私だからその轍は絶対に恵子には踏ませたくない。
恵子が「痛い」と言っても「はい、もう一度」。疲れたと言ったら「はい、休んでもう一度(笑)」。
これが二人の日常だ。
病院のリハビリの帰り際、玄関先で老人用のカートを押すおばあさんとすれ違った。
「若いのに大変ねえ。私みたいな年なら不自由なのはしょうがないけど...。でも、それだけ杖で歩けてるんだから、もうすぐよ。ちゃんと歩けるようになるわよ」
「はい、ありがとうございます」。
二人で大声で返事をした。
おばあさんのことばが、涙が出るほど嬉しかった。