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みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

先日

2006-08-23 06:33:14 | Weblog
ある雑誌にコンサート情報を紹介した関係でヴェンチャーズのコンサートに行った。
彼らの生の演奏を聴くのは何十年ぶりだろうというぐらい久しぶりのヴェンチャーズのライブだ。
もともと格別にファンでもないので、曲やアーティスト自体にそれほどの思い入れもないが、会場に集まっていたのは、本当のファンの人たちばかり。しかも、すべてオジサン、オバサンばかり(オジサンの方が圧倒的に多かったけれど、みんな50才以上に見えたな...)。彼らが中学生、高校生の頃に初めてヴェンチャーズのサウンドを聴き、それからこのグループにハマり、以来数十年もファンを続けているのだろう。その根性はけっこう見上げたものだ。彼らにしてみれば、何十回、何百回も聴いたような曲(というか、自分たちも演奏してきたのだろうし)をステージで演奏している姿に感動しているオジサンたちを見て、逆に私は感動してしまった。何が、オジサンたちをここまで熱狂的にさせるのだろう?
まあ、私には理解できない部分も多いのだが、会場に入って、私がちょっと閉口したのがオジサン臭さ(音楽とはあまり関係ないが)。世の中にはオバサン臭さというものもあるが、これは大半が化粧品の匂いだからまだいいとしても、オジサン臭さというのは、けっこう困りモノ。というのも、本人たちは気付いているかどうかわからないけれども、その大半は身体に染み付いたタバコ(つまり、ヤニの匂いか?)だからだ。
昔、府中にあるアメリカンスクールで数年音楽を教えていたことがあった(へえ、そんなこもあったんだ?と思う人もいるだろう。この履歴は、私のプロフィールの中ではまったく触れていない...)。その沿線(西武是政線だったかな?字をきちんと思い出せないが)には競艇場があって、平日の夕方レースが終わった時と下校時がぶつかるとさあ大変。電車の車両という車両は、すべて競艇帰りのオジサンたちに占拠されているからだ。競艇には、ほとんど女性は行かない。最近では競馬に女性の姿が目立つというが(私はまったくギャンブルはやらないのでよくわからないのだが)、競艇に行く女性の姿など皆無。だから、必然的に、その車両に乗りあわせると、入った瞬間その男臭さに圧倒される。何と表現したらいいのだろう。ちょっとすえたような匂いと言えばいいのだろうか?お世辞にもあまりいい匂いとか言えない。ヴェンチャーズのコンサート会場にはオバサンたちもいたので、それほど強烈なオジサン臭さではなかったけれど、それでも「うん?」と思うようなこともしばしば。
だから、何が悪い?と言われれば何も悪くはないのだが、人一倍匂いには関心の深い人間なので、そういうところはとても気になる。
これも昔の話しだが、大学は(3つ大学に行ったので、最初の大学)最初仏文科というところだったので、もうほとんど女子大に紛れ込んだという形容がぴったりくるぐらい、教室の中は女性で占められていた。なので、今度は逆に、教室に入るたびに強烈な化粧の匂いに閉口した。オジサン臭さとは正反対の匂いだが、匂いというのは、何でも度を越すとかなり凶器のように襲いかかってくる。
人間は、四つ足歩行をやめた時から匂いの敏感さを失ったという学者がいるが、その代わりに視覚の情報に頼り過ぎるようになったとも言われている。私は、ある意味、視覚の情報はあまり信じていないので、街で人とすれ違う度に、その人が残していった匂い(自分の花腔の中の細胞に残していった匂いの分子ということだが)で、その人がどんな人かをすぐに想像する。もちろん、頼るのは、匂いだけでなく、聴覚も触覚も重要なポイントだと思っているが、視覚というのは、ある意味、一番人を惑わせるので、あまり信用しないようにしている。その人の声やトーン、そして匂い。こういう情報の中にその人なりがけっこう表わされていることが多い(気づいてない人も多いだろうけど)。

昨日は、池袋の

2006-08-11 21:15:41 | Weblog
芸術劇場に尺八の藤原道山さんのコンサートに行く。
彼のインタビューを以前雑誌でしたこともあるし、彼のCDをまた別の雑誌に紹介したこともある。まだとっても若いのにこれだけの表現のできるアーティストもそうザラにはいないと私は思っている。ルックス抜群、スタイル抜群、それであの才能なんだから女性ファンがほっておくわけがない。案の定、コンサート終了後のCDのサイン会には女性たちの長蛇の列。やはり、彼もアイドルだ。尺八界にはいいことだと思う。

ある雑誌の編集長が、私の人生のことを「ジェットコースターのようだ」と評していた人がいたけど、要するに、その人は、「ジェットコースターのようにアップダウンが激しい」と言いたかったのだろうと思う。まあ、彼の評は、大体あたっている。私の人生、同じような平面をなめらかに一定速度で動いていることは、ほぼない。次ぎのコーナーでどっちに曲がるかわからないし、下がるかもしれないし、上がるかもしれない。ある意味、このスリルがたまらないんだけど...(笑)。要するに、毎日絶叫マシーンに乗ってるようなものだ。だから、毎日退屈しないでいられる。でも、一緒にいる人は大変だろうナと思う(いま、いないけど...ハハハ)。

今年になってから催促され続けていた次ぎの本の原稿。8月いっぱいに書き上げると担当の人に約束したのはいいけれど、本当にそれって現実味あるのかナ?と思っていたが、やっとそれが現実味を帯びてきた(いま懸命に書いていますから担当の方、ご安心を)。
人間、いっぺんにそうたくさんの仕事を同時期にはできないものだということですネ。
今は、一つずつ確実に仕上げて行かなければ...。

と、それにしても思うのが、最近の街中で見かけるオジサンたちのマナーの悪いこと。オバサンたちのマナーの悪いのは前からだから別に驚かないんだけど、いい年したオジサンたちが、大声で話したり、携帯を大きな音で鳴らしたり通話したり(携帯の使い方そのものを知らないということもあるのだろうけど)、大きなバッグを背中にしょって他人に迷惑をかけたり、我先にと人を押し退けて電車の座席に座ろうとしたりする行為を見ていると何だか哀しくなってくる。もうちょっとお互いに思いやりのある社会にならないのかナ?と思ってしまう。年輩の人たちだったら、かつての日本の優しい社会の中で子供時代を過ごしてきたはずなのに....。

先日友人のサイトに

2006-08-01 00:31:39 | Weblog
「最近の結婚式には、黒いドレスに、黒いストッキング、おまけに真珠のイヤリングをして来る人がけっこういる」と書かれていて、かなりビックリした。
そのカッコウで堂々とハレの席に出席する方もする方だけど、それを変だと思わない人たちが増えているということにも衝撃を覚えた。
女性が黒ストッキングに真珠のネックレスなんて、男の人が黒いネクタイで結婚式に出席するようなもの。ある意味イヤミでやってるとしか思えないその行為をマジにやる年代が増えているのは、絶対周りに教える人がいないせいだと思う。都会の一人暮らしでは、そうした服装のチェックをしてくれる親もいないのだろうし、第一、親自体が非常識な人も多い。おそらく、団塊の世代以下の親は、逆にそういう社会習慣的な常識に欠けている人があまりにも多い。
団塊の世代の功罪はいろいろあるけれど、私が最もこの世代の悪いところと思っているのは、それまでの価値観や古い因習をブチ壊したのはいいけれども、それを再生するどころか、新しい価値観は何も生み出さなかったことだ。要するに、こわしっぱなし、後は、何にも考えずに好き放題生きた世代なのだ。一種のこだわり世代なのだが、こだわったのは自分たちの価値観だけで、その後の世代のことや社会全体のことは何も考えていない。だから、その子供たちには何にもしつけもしないし(逆に、しつける方針も何もないんだろうけど)、放任主義とかいう育児放棄に等しい対応しかできなかった世代のツケがここ十数年でてきているのだと思う。
若い世代の残虐な犯罪が増えている、けしからんと嘆く親の世代がもっとキチンとしつけていたら、そんな犯罪は起こらなかっただろうと私は本気で思っているし、子供に対する虐待も起こらないのではと思っている。
私の世代でも親はよく子供に手をあげていたけれど、それが虐待だと思っている人はほとんどいなかった。なぜなら、親はちゃんと子供をしつけていたし、子供もそれを「教え」だとちゃんと理解して、きちんとした大人に育っていったのだから...。
黒いドレスと黒いストッキングで結婚式に行く若い女性が多いと嘆く前に、そうした子供をきちんとしつけなかった自分の不徳,そして社会の不徳を恥じた方がいいような気が私にはする。