ある雑誌にコンサート情報を紹介した関係でヴェンチャーズのコンサートに行った。
彼らの生の演奏を聴くのは何十年ぶりだろうというぐらい久しぶりのヴェンチャーズのライブだ。
もともと格別にファンでもないので、曲やアーティスト自体にそれほどの思い入れもないが、会場に集まっていたのは、本当のファンの人たちばかり。しかも、すべてオジサン、オバサンばかり(オジサンの方が圧倒的に多かったけれど、みんな50才以上に見えたな...)。彼らが中学生、高校生の頃に初めてヴェンチャーズのサウンドを聴き、それからこのグループにハマり、以来数十年もファンを続けているのだろう。その根性はけっこう見上げたものだ。彼らにしてみれば、何十回、何百回も聴いたような曲(というか、自分たちも演奏してきたのだろうし)をステージで演奏している姿に感動しているオジサンたちを見て、逆に私は感動してしまった。何が、オジサンたちをここまで熱狂的にさせるのだろう?
まあ、私には理解できない部分も多いのだが、会場に入って、私がちょっと閉口したのがオジサン臭さ(音楽とはあまり関係ないが)。世の中にはオバサン臭さというものもあるが、これは大半が化粧品の匂いだからまだいいとしても、オジサン臭さというのは、けっこう困りモノ。というのも、本人たちは気付いているかどうかわからないけれども、その大半は身体に染み付いたタバコ(つまり、ヤニの匂いか?)だからだ。
昔、府中にあるアメリカンスクールで数年音楽を教えていたことがあった(へえ、そんなこもあったんだ?と思う人もいるだろう。この履歴は、私のプロフィールの中ではまったく触れていない...)。その沿線(西武是政線だったかな?字をきちんと思い出せないが)には競艇場があって、平日の夕方レースが終わった時と下校時がぶつかるとさあ大変。電車の車両という車両は、すべて競艇帰りのオジサンたちに占拠されているからだ。競艇には、ほとんど女性は行かない。最近では競馬に女性の姿が目立つというが(私はまったくギャンブルはやらないのでよくわからないのだが)、競艇に行く女性の姿など皆無。だから、必然的に、その車両に乗りあわせると、入った瞬間その男臭さに圧倒される。何と表現したらいいのだろう。ちょっとすえたような匂いと言えばいいのだろうか?お世辞にもあまりいい匂いとか言えない。ヴェンチャーズのコンサート会場にはオバサンたちもいたので、それほど強烈なオジサン臭さではなかったけれど、それでも「うん?」と思うようなこともしばしば。
だから、何が悪い?と言われれば何も悪くはないのだが、人一倍匂いには関心の深い人間なので、そういうところはとても気になる。
これも昔の話しだが、大学は(3つ大学に行ったので、最初の大学)最初仏文科というところだったので、もうほとんど女子大に紛れ込んだという形容がぴったりくるぐらい、教室の中は女性で占められていた。なので、今度は逆に、教室に入るたびに強烈な化粧の匂いに閉口した。オジサン臭さとは正反対の匂いだが、匂いというのは、何でも度を越すとかなり凶器のように襲いかかってくる。
人間は、四つ足歩行をやめた時から匂いの敏感さを失ったという学者がいるが、その代わりに視覚の情報に頼り過ぎるようになったとも言われている。私は、ある意味、視覚の情報はあまり信じていないので、街で人とすれ違う度に、その人が残していった匂い(自分の花腔の中の細胞に残していった匂いの分子ということだが)で、その人がどんな人かをすぐに想像する。もちろん、頼るのは、匂いだけでなく、聴覚も触覚も重要なポイントだと思っているが、視覚というのは、ある意味、一番人を惑わせるので、あまり信用しないようにしている。その人の声やトーン、そして匂い。こういう情報の中にその人なりがけっこう表わされていることが多い(気づいてない人も多いだろうけど)。
彼らの生の演奏を聴くのは何十年ぶりだろうというぐらい久しぶりのヴェンチャーズのライブだ。
もともと格別にファンでもないので、曲やアーティスト自体にそれほどの思い入れもないが、会場に集まっていたのは、本当のファンの人たちばかり。しかも、すべてオジサン、オバサンばかり(オジサンの方が圧倒的に多かったけれど、みんな50才以上に見えたな...)。彼らが中学生、高校生の頃に初めてヴェンチャーズのサウンドを聴き、それからこのグループにハマり、以来数十年もファンを続けているのだろう。その根性はけっこう見上げたものだ。彼らにしてみれば、何十回、何百回も聴いたような曲(というか、自分たちも演奏してきたのだろうし)をステージで演奏している姿に感動しているオジサンたちを見て、逆に私は感動してしまった。何が、オジサンたちをここまで熱狂的にさせるのだろう?
まあ、私には理解できない部分も多いのだが、会場に入って、私がちょっと閉口したのがオジサン臭さ(音楽とはあまり関係ないが)。世の中にはオバサン臭さというものもあるが、これは大半が化粧品の匂いだからまだいいとしても、オジサン臭さというのは、けっこう困りモノ。というのも、本人たちは気付いているかどうかわからないけれども、その大半は身体に染み付いたタバコ(つまり、ヤニの匂いか?)だからだ。
昔、府中にあるアメリカンスクールで数年音楽を教えていたことがあった(へえ、そんなこもあったんだ?と思う人もいるだろう。この履歴は、私のプロフィールの中ではまったく触れていない...)。その沿線(西武是政線だったかな?字をきちんと思い出せないが)には競艇場があって、平日の夕方レースが終わった時と下校時がぶつかるとさあ大変。電車の車両という車両は、すべて競艇帰りのオジサンたちに占拠されているからだ。競艇には、ほとんど女性は行かない。最近では競馬に女性の姿が目立つというが(私はまったくギャンブルはやらないのでよくわからないのだが)、競艇に行く女性の姿など皆無。だから、必然的に、その車両に乗りあわせると、入った瞬間その男臭さに圧倒される。何と表現したらいいのだろう。ちょっとすえたような匂いと言えばいいのだろうか?お世辞にもあまりいい匂いとか言えない。ヴェンチャーズのコンサート会場にはオバサンたちもいたので、それほど強烈なオジサン臭さではなかったけれど、それでも「うん?」と思うようなこともしばしば。
だから、何が悪い?と言われれば何も悪くはないのだが、人一倍匂いには関心の深い人間なので、そういうところはとても気になる。
これも昔の話しだが、大学は(3つ大学に行ったので、最初の大学)最初仏文科というところだったので、もうほとんど女子大に紛れ込んだという形容がぴったりくるぐらい、教室の中は女性で占められていた。なので、今度は逆に、教室に入るたびに強烈な化粧の匂いに閉口した。オジサン臭さとは正反対の匂いだが、匂いというのは、何でも度を越すとかなり凶器のように襲いかかってくる。
人間は、四つ足歩行をやめた時から匂いの敏感さを失ったという学者がいるが、その代わりに視覚の情報に頼り過ぎるようになったとも言われている。私は、ある意味、視覚の情報はあまり信じていないので、街で人とすれ違う度に、その人が残していった匂い(自分の花腔の中の細胞に残していった匂いの分子ということだが)で、その人がどんな人かをすぐに想像する。もちろん、頼るのは、匂いだけでなく、聴覚も触覚も重要なポイントだと思っているが、視覚というのは、ある意味、一番人を惑わせるので、あまり信用しないようにしている。その人の声やトーン、そして匂い。こういう情報の中にその人なりがけっこう表わされていることが多い(気づいてない人も多いだろうけど)。