きのうの続き。
阿信に「実は・・・五月天のCD持ってない」って言うと、「友達に焼いてもらったらいいよ。」とか言ってたのは覚えています。焼くとか言っていいのか?!社長も近くにいるぞ!みたいなことを思った覚えが^^;
こんなに、ビッグなバンドになるとはその頃全く思っていなくて、かわいい男の子たちだなと思っていただけでした。今や、中華圏は言うに及ばず、日本武道館でコンサートをやるほどのバンドですよ。
この顛末をRENEファンサイトのYUTAKAさんが以前サイトに載せていましたので、(ちょっと編集して)転載します。
台湾音楽業界って昔は小さかったし、スターぶる人がいなくてファンとの距離が近い印象が強いです。陳昇の周りの人たちは特に。
元記事はこちら
陳昇跨年演唱会&初めてのRENE 2000/12/30~2001/1/6
ライブが終わって、ホールの外でタムロッていると、出演者が屋上から手を振ってくれている。RENEもいるよ!!お~い!RENEぇ~!大きく手を振って叫んだよぉ。そうしたら、それを一緒に見上げている人がいる。おでこにラメの2001をつけたヘンなおじさんだ。いや、ロックの社長だ。
「よかったらこない?パーティがあるよ。」だって。ほんとにいいのかな?って感じやったけど、ドキドキしながら連れて行かれる。周りはスタッフばかりで、遠慮せずになんでも食べてね、とかいわれたけど、とっても浮いてる感じ。同じテーブルには文夏さんと奥さん。後ろのテーブルには五月天。ぼくがとっても大好きなMTVを撮られる馬宜中さんもいる。もちろんBobbyやバックバンドのみんなも。それから萬芳もいる。
(中略)
それからとってもいい感じだったのが、五月天の阿信。彼とはYOKOさんを交えて、15分くらいお話したかな?CDはもってるんだけど、そんなに大ファンって感じじゃないので、気楽にお話できる。25歳?なのにまだ学生だっていうからなんで?って聞いたら、「勉強が好きじゃないから」だって。当兵(兵役)の時期を、みんなメンバーであわせるため、だとか後できいたけど。富士山の傍で録音をしたことや、春に大学のフィールドワーク(建築)かなにかで、日本にも来るらしいことなどいろいろお話した。最後にYOKOさんがCD一枚も持っていないことを告白すると、
「彼(YUTAKA)にかりたらいいよ。いや、彼にMDかなにかに落としてもらえばいいよ。」 そんなこと言って良いのか?阿信!YOKOさんが
「たくさん売れてるから気にならないよね?」と言うと、 「ううん。CD出せること自体でもう十分うれしいから、そんなことはDon't care」
おぉ!いい奴じゃん。彼ともこの後もう一度会うことに。
(後略)
この話に出てくる「ロックの社長さん」というのは、台湾のロックレコード(滾石)社長の段鍾沂のことですね。その年、陳昇の跨年コンサートを見ていた我ら日本人ファンの一団は、終演後にこの社長さんに、打ち上げにお招きいただいて、乱入したのでした。
阿信に「実は・・・五月天のCD持ってない」って言うと、「友達に焼いてもらったらいいよ。」とか言ってたのは覚えています。焼くとか言っていいのか?!社長も近くにいるぞ!みたいなことを思った覚えが^^;
こんなに、ビッグなバンドになるとはその頃全く思っていなくて、かわいい男の子たちだなと思っていただけでした。今や、中華圏は言うに及ばず、日本武道館でコンサートをやるほどのバンドですよ。
この顛末をRENEファンサイトのYUTAKAさんが以前サイトに載せていましたので、(ちょっと編集して)転載します。
台湾音楽業界って昔は小さかったし、スターぶる人がいなくてファンとの距離が近い印象が強いです。陳昇の周りの人たちは特に。
元記事はこちら
陳昇跨年演唱会&初めてのRENE 2000/12/30~2001/1/6
ライブが終わって、ホールの外でタムロッていると、出演者が屋上から手を振ってくれている。RENEもいるよ!!お~い!RENEぇ~!大きく手を振って叫んだよぉ。そうしたら、それを一緒に見上げている人がいる。おでこにラメの2001をつけたヘンなおじさんだ。いや、ロックの社長だ。
「よかったらこない?パーティがあるよ。」だって。ほんとにいいのかな?って感じやったけど、ドキドキしながら連れて行かれる。周りはスタッフばかりで、遠慮せずになんでも食べてね、とかいわれたけど、とっても浮いてる感じ。同じテーブルには文夏さんと奥さん。後ろのテーブルには五月天。ぼくがとっても大好きなMTVを撮られる馬宜中さんもいる。もちろんBobbyやバックバンドのみんなも。それから萬芳もいる。
(中略)
それからとってもいい感じだったのが、五月天の阿信。彼とはYOKOさんを交えて、15分くらいお話したかな?CDはもってるんだけど、そんなに大ファンって感じじゃないので、気楽にお話できる。25歳?なのにまだ学生だっていうからなんで?って聞いたら、「勉強が好きじゃないから」だって。当兵(兵役)の時期を、みんなメンバーであわせるため、だとか後できいたけど。富士山の傍で録音をしたことや、春に大学のフィールドワーク(建築)かなにかで、日本にも来るらしいことなどいろいろお話した。最後にYOKOさんがCD一枚も持っていないことを告白すると、
「彼(YUTAKA)にかりたらいいよ。いや、彼にMDかなにかに落としてもらえばいいよ。」 そんなこと言って良いのか?阿信!YOKOさんが
「たくさん売れてるから気にならないよね?」と言うと、 「ううん。CD出せること自体でもう十分うれしいから、そんなことはDon't care」
おぉ!いい奴じゃん。彼ともこの後もう一度会うことに。
(後略)
この話に出てくる「ロックの社長さん」というのは、台湾のロックレコード(滾石)社長の段鍾沂のことですね。その年、陳昇の跨年コンサートを見ていた我ら日本人ファンの一団は、終演後にこの社長さんに、打ち上げにお招きいただいて、乱入したのでした。