今日の「 お気に入り 」は 、沢村貞子さん ( 1908 - 1996 ) のエッセイ ( 1908年は 、明治41年 )
「 わたしの献立日記 」( 中公文庫 ) から 「 お正月 」と題した小文の一節 。
備忘のため 、抜き書き 。
引用はじめ 。
「 ・・・ 四十二年から書き始めた献立日記は毎年 、暮の三十日 ( 四十二年は昭和 、1967年のこと )
からお正月五日までは空白 ―― ただ 、『 旅行 』となっている 。
一年中 、台所に立っている女の人にとって割烹旅館のお正月は 、
なんとも楽しい 。朝 、ゆっくり起きてお風呂へはいり 、きれ
いに掃除された部屋に坐れば 、上げ膳 、据え膳 ―― 目出たく
凝った山海の珍味が目の前にスッと出てくるのだから ・・・ な
んとも らくちん 。 」
( 中 略 )
「 ・・・ 俳優にとって 、暮からお正月は 身体がいくつあっても
足りない書き入れどき ―― 脇役もそれなりに 、あれこれ仕事
がはいってきて 、休みをとるのはむずかしかった 。( 十二月三
十日から一月五日いっぱい 、一切仕事をしないことにしよう )
自分でそう決めたのは 、二十五、六年前のことだった 。その頃
は夫婦とも 、ただもう仕事に追いまくられ 、ゆっくり話をする
暇もなくて ・・・ これが 、人間の暮らしと言えるかしら 、と
フト溜息が出たりした 。考えたあげく 、家人のスケジュールに
あわせて 、私も正月休みをとることにした 。芸能界で仕事を断
るのは 、頼むよりもむずかしいことはわかっていた 。格別 、ど
うということもない脇役のわがままな願いに対して ・・・ かなり 、
風当りがきつかった 。でも ―― それを通した 。連続ドラマでも 、
松の内 休めないものは 、初めからおろしてもらった 。この世界
に大切と言われる つきあい も欠くことにした 。
ある巨匠のお宅では お正月早々に大ぜいのスタッフが集まって華
やかな宴を張るのが吉例になっていた 。ある年 、その先生から 、
初めて大役をいただいた私は 、翌年のその日 、必ず来るように 、
とプロデューサー達から再三注意されたけれど ―― 失礼した 。
私たちのお正月を大切にしたかったから ・・・ 。そのせいだけと
は思わないけれど 、巨匠からは二度とお声がかからなかった 。約 ( 周りの 忖度だな !? )
束ごとの多い世界で 、自分の好きな生き方をする以上 、そのくら
いのことがあるのは当り前である 。
( ´_ゝ`)
献立日記十冊目 ( 四十九年 ) 元旦に 、初めて簡単なおせち料理が ( 四十九年は 昭和 。1974 年のこと 。)
書いてある 。つまり 、この年から 、私たちはわが家で新年を迎え
るようになったということ 。相変らず 、正月休みはつづけている
ものの 、折角の旅行が面倒になってきた 、というわけである 。
十二冊目 ( 五十年 ) のおせち料理が細かく丁寧に書いてあるのは 、
腰を据えてわが家のお正月を楽しむようになったしるしだろうか 。
以後 、毎年の料理の欄を 、嬉しそうに赤い線で囲んだりしている
けれど 、中味は同じようなもの ―― 昔人間が松の内 欲しいと思う
ものは永い間の経験で 、おおよそ決まっているらしい 。
二十一冊目 ( 五十七年 ) のおせちの品数が多少ふえているのは 、 ( 五十七年は 昭和 。1982 年のこと 。)
年明け早々 、親しい人たちが揃って年賀に見えたから ―― とその
年の日記に書いてある 。
一の重
〇七色なます ―― にんじん 、大根 、椎茸 、きゅうり 、油揚げ 、
しらたき 、黒ゴマ
〇黒豆ふくめ煮
〇いくらのきんかん詰め
二の重
〇紅白かまぼこ
〇伊達まき
〇かずのこ
〇くわいのうま煮
〇蓮根の白煮
〇たたきごぼう
〇椎茸のうま煮
〇栗の渋皮煮
〇昆布巻き
三の重
〇ふきよせ ―― 八つ頭 、にんじん 、こんにゃく 、鶏肉 、焼
豆腐 、さやえんどう
ほかに用意した生ものは 、
〇まぐろ 、ひらめ 、牛肉
主婦は大忙しだった 。
お互いの思い出話もさかなになって 、とても楽しかったが 、そう
いう集まりがつづいたのは五年ほどだった 。料理人がくたびれた 。
二十九冊目 ( 六十三年 ) のおせちの欄には ( 今年から簡単にする ) ( 六十三年も 昭和 。1988 年のこと 。)
と言い訳が書かれ ―― 品数もぐっと減っている 。それでも 、な
にかしらととのえようとするのは 、老女にとって 、やっぱりお正
月は格別の日 ・・・ 生きてゆく上の 、一つの折り目 、切れ目の
ような気がするからである 。」
引用おわり 。
( ´_ゝ`)
令和6年の正月は 、なぜか 、これまで作ったことも 食べたことも
ない 、「 七色なます 」と 「 イクラのきんかんづめ 」をつくって 、
迎えてみましょうか ・・・ 。
そう言えば 、昔は 、家人と 共同で 、おせち料理をつくってたなあ 。
もちろん 出来合いのもの 手作りのもの 取り交ぜて 。
今じゃ すっかり 通販生活 。
Am〇zon なけりゃ 夜も日も明けぬ 。
♪ おカネをちょーだい (^^♪ 、どなたの歌でしたっけ 。
(* ̄- ̄)
歳末の土曜日 、自転車を駆って 、繁華街にある しにせ 眼鏡店に出
かけた 。常用している 老眼鏡 のスペアを 誂えようと思ってのこと 。
駅前の大通りの 、江ノ電高架下に設けられた 細長い駐輪場に駐輪し
ようと思ったが 、事前登録制度になっているらしく 、振りの客は利
用できない様子 。仕方ないので 、近くのコンビニに自転車を仮り置
きして 、眼鏡店を覗いてみることにした 。
ようやく店に着くと 、驚いたことに 、店内は こどもや付き添いの親
その他 老若男女で 大賑わい の順番待ち 。
世の中 、難聴者だけでなく 、難視者が増えている様子 。スマホのせい
だな 、きっと 。21世紀半ばの世の中は 、難視者でいっぱい ・・・ ?
早々に退散して 、平日に出直すことにした 。
あたたかい師走の晴れた空の下 、久々の長距離サイクリングで運動には
なった 、電動アシスト車ではあるけれど 。
月給取りやめてから20年 、はやくやめてよかった と思う一日だった 。
( ´_ゝ`) フー 。
筆者が勤め人だった頃 、あいつより先には死にたくないと思う 、うまの
合わないひとが何人かいた 。相手もそう思っているに違いない 。
今は 忘却の 彼方に ・・・ 。
明日をも知れぬ命だけれど 、気分だけでも 、もう二十年生きる気で 。