キングサリ または キバナフジ ( Laburnum anagyroides )
今日の「 お気に入り 」は 、米国の著作家 ニール・ドナルド・ウォルシュ( Neale Donald Walsch 、
1943年9月10日 - ) さんが 、対話の中で 、耳にし 、yellow legal pad に 書きとった という 神様のお言葉 。
★ 人生は 、自分が何者であるかを思い出すため 、創りなおすためにある 。
人生は学校ではない 。学校は知りたいことを 知るために 行くところだ 。
人生は 、すでに知っていることを体験する機会だ 。★
・「 " … When we try to speak to each other — Me to you, you to Me,
we are immediately constricted by the unbelievable limitation of words.
For this reason, I do not communicate by words alone.
In fact, rarely do I do so. My most common form of
communication is through feeling. Feeling is the
language of the soul. If you want to know what's true
for you about something, look to how you're feeling
about it. Feelings are sometimes difficult to discover
— and often even more difficult to acknowledge.
Yet hidden in your deepest feelings is your highest truth.
The trick is to get to those feelings. “
( ・・・ 言葉で語りあおうとすると 、とたんに言葉の持つ制約に
しばられることになる 。だからこそ 、わたしは
言葉以外でもコミュニケートする 。それどころか 、言葉はめったに使わない 。
いちばん多いのは 、感情を通じたコミュニケーションだ 。
感情は 、魂の言語だ 。
何かについて 、自分にとっての真実を知りたいと思ったときには 、
自分がどう感じるかを探ってみればいい 。
感情というものは 、なかなか見つからない 。自覚するのはさらに
むずかしい 。だが 、最も深い感情のなかに 、最も高い真実が隠さ
れている 。要はこの感情をつかむことだ 。)
" I also communicate with thought. Thought and feelings
are not the same, although they can occur at the same
time. In communicating with thought, I often use images
and pictures. For this reason, thoughts are more effective
than mere words as tools of communication.
In addition to feelings and thoughts, I also use the
vehicle of experience as a grand communicator.
And finally, when feelings and thoughts and experience
all fail, I use words. Words are really the least effective
communicator. They are most open to misinterpretation,
most often misunderstood. "
( わたしはコミュニケーションの手段に思考も使う 。思考と感情は
同じではないが 、同時に生まれることがある 。思考を通じたコミュ
ニケーションには 、イメージや画像が使われる 。だから 、単なる
言葉よりも思考のほうが 、コミュニケーションの道具として効果的
だ 。感情と思考のほかにもうひとつ 、経験という 、偉大なコミュ
ニケーション手段がある 。
感情と思考と経験のすべてが失敗したとき 、最後に言葉が使われる 。
言葉はじつは 、最も非効率的なコミュニケーション手段だ 。最も
曲解されやすいし 、誤解されやすい 。 )
" And why is that? It is because of what words are.
Words are merely utterances : noises that stand for feelings,
thoughts, and experience. They are symbols. Signs. Insignias.
They are not Truth. They are not the real thing.
Words may help you understand something. Experience allows
you to know. Yet there are some things you cannot experience.
So I have given you other tools of knowing. And these are
called feelings. And so too, thoughts.
Now the supreme irony here is that you have all placed so
much importance on the Word of God, and so little on the
experience.
In fact, you place so little value on experience that
when what you experience of God differs from what you've
heard of God, you automatically discard the experience
and own the words, when it should be just the other way
around.
Your experience and your feelings about a thing represent
what you factually and intuitively know about that thing.
Words can only seek to symbolize what you know, and can
often confuse what you know. "
( どうしてか? それは言葉の性質のためだ 。言葉
はただの音にすぎない 。感情や思考や経験の代用
だ 。シンボル 、サイン 、しるしでしかない 。
真実ではない 。ほんものではない 。言葉は理解の
助けにはなる 。あなたがたはものごとを 、経験に
よって知ることができる 。しかし 、経験できない
こともある 。だからわたしは 、知るためのほかの
手段を与えた 。それが感情と呼ばれるものであり 、
思考と呼ばれるものである 。
さて 、皮肉なことに 、あなたがたは神の言葉ば
かりを重視し 、経験をないがしろにしている 。
経験をないがしろにしているから 、神を経験し
ても 、それが神について教えられていたことと違
うと 、たちまち経験を捨てて言葉のほうをとる 。
ところが 、ほんとうは逆であるべきなのだ 。
経験や感情によって 、ひとは直感的に知る 。い
っぽう 、言葉は知っていることをシンボル化しよ
うとする試みにすぎず 、混乱の原因になることも
多い 。)」
・・・・・・
・「 " Listen to your feelings. Listen to your Highest Thoughts.
Listen to your experience. Whenever any one of these differ
from what you've been told by your teachers, or read in your
books, forget the words.
Words are the least reliable purveyor of Truth. "
( 自分の感情に耳をすますことだ 。自分の最高の考えに耳を傾けなさい 。
自分の経験に耳を傾けなさい 。そのどれかが 、教師に教えられたことや
本で読んだことと違っていたら 、言葉の方を忘れなさい 。
言葉は真実の伝達手段として 、いちばんあてにならない 。) 」
・・・・・・
・「 “ School is a place you go if there is something you do not know
that you want to know. It is not a place you go if you already know
a thing and simply want to experience your knowingness.
Life ( as you call it ) is an opportunity for you to know experientially
what you already know conceptually. You need learn nothing to
do this. You need merely remember what you already know, and
act on it. "
( 学校とは 、知らないことを教わりたいと思うとき 、行くところだ 。
すでに知っていて 、その知識を体験したい というときに行くところ
ではない 。
( あなたがたの言う ) 人生とは 、概念として知っていることを
体験的に知る機会だ 。何も学ぶ必要はない 。すでに知っている
ことを思い出し 、それにもとづいて行動すればいい 。) 」
( Neale Donald Walsch 著 " Conversations With God " Hodder & Stoughton 刊 所収 )
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