今日の「お気に入り」。
「 ヒトラーの全盛時代は十年である、おごる平家だって二十年である。栄枯は一炊(いっすい)の夢だと
書いたら一睡の夢だろう、字引ぐらい引け、またそのまま印刷に付す編集部も編集部だという手紙を
もらったので驚いたことがある。
『邯鄲の夢の枕』また『盧生の夢』の故事はまだ生きているつもりで書いたのは必ずしも私の落度
ではない。謡曲に『邯鄲』がある。黄表紙に『金金先生栄花夢』がある。盧生という若者が栄華の都
邯鄲の旅籠(はたご)で粥(かゆ)を待つうちついうとうと眠ると、富貴をきわめたり零落したりする一
生の夢を見た。目ざめればもとの盧生である。粥はまだ炊きあがっていなかった。
夕(ゆう)べは一睡もしなかったという言葉はむろんあるが、栄華は一炊の夢でなければならない。 」
( 山本夏彦著 「『豆朝日新聞』始末」 文春文庫 所収 )