「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

海ゆかば 2019・03・03

2019-03-03 11:15:00 | Weblog



     今日の「お気に入り」は、時折り、脳の奥底からよみがえり、口ずさむ歌。

     大阪出身の作曲家 信時潔(のぶとき きよし、1887年(明治20年)-1965年(昭和40年))さん

    がNHKの嘱託を受けて1937年(昭和12年)に作曲した「 海ゆかば 」。
    
     インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」には、「当時の大日本帝国政府が国民精神総動員

    強調週間を制定した際のテーマ曲」と解説されています。

     歌詞は万葉集の「賀陸奥国出金詔書歌」の一節。



       「 海(うみ)行(ゆ)かば 水(み)漬(づ)く屍(かばね)

        山(やま)行(ゆ)かば 草(くさ)生(む)す屍(かばね)

        大(おほ)君(きみ)の 辺(へ)にこそ死(し)なめ

        かへりみはせじ 」



    「 此處(ここ)は御國(おくに)を何百里(なんびゃくり) 」の明治の軍歌「戦友」同様、 メロディと言い、歌詞と言い、

   「哀歌」にしか聞こえません。

    因みに、インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」には、信時潔さんのことが、次のように

   解説されています。


   「 大正・昭和時代日本の作曲家、音楽学者、チェロ奏者。大阪市出身。 」

   「 略歴

     牧師・吉岡弘毅(元津山藩士の外交官で明治初期の日朝外交を担当)の子として大阪市北区中之島に生まれ、幼少より

    賛美歌に親しんだ。大阪の市岡中学を経て、東京音楽学校器楽部および研究科器楽部でチェロを学んだ後、同科作曲部に移り、

    アウグスト・ユンケルに指揮法、ハインリヒ・ヴェルクマイスターにチェロと作曲、ルドルフ・ロイテルに対位法と和声学を

    師事する。東京音楽学校助教授を勤めたのち、留学先のドイツでゲオルク・シューマンに師事、帰国後に東京音楽学校教授と

    なる。同校の本科作曲部(現東京芸術大学音楽学部作曲科)創設に尽力し、弟子には、片山頴太郎、下総皖一、坂本良隆、

    橋本國彦、呉泰次郎、細川碧、高田三郎、大中恩、柏木俊夫などがいる。

     主な作品には、交声曲『海道東征』、歌曲集『沙羅』、国民唱歌『海ゆかば』(大日本帝国海軍の将官礼式用儀制曲『海ゆかば』

    とは同名異曲)、『紀元二千六百年頌歌』、ピアノ組曲『木の葉集』、合唱曲『紀の国の歌』、『鎮魂頌』などがある。

     『沙羅』は現在でも愛唱され、多くの合唱曲も演奏機会が多い。『沙羅』を初めとする歌曲は木下保編曲の合唱曲としても

    親しまれた(木下は『海道東征』初演時の指揮者でもある)。芸術音楽のみならず文部省唱歌『電車ごっこ』等を作曲。

     戦前戦後を通じて学校の音楽教科書の編纂や監修にも力を注いだ。校歌・社歌・団体歌等の作曲も数多く手がけ、生涯で

    少なくとも1000曲以上を数える。

     シェーンベルクやバルトークなど当時の現代音楽の知識も豊富だったが、実作ではドイツの古典派・ロマン派に基づく簡素で

    重厚な作風を貫いた。太平洋戦争後は作品数が減るが、これは『海ゆかば』が軍国主義に利用され、学徒出陣の際に用いられた

    ことに対抗できなかったことを恥じたものだとも言われる。同世代の作曲家である山田耕筰とは作風、経歴、戦後の処し方で

    好対照をなす。 」
     



  

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