津野町 天竺舎の雨宮智子です。
はなは終わり。
さあ!働けよとばかりに日の出は6時より前になって、ああ~
あっというまにすぎてしまった春でした。
早く花咲いた分、今年の花の眺めは殊更でした。
冬の終りまでに、落ちる葉を落とした樹々は、すっきりしています。
人々は、この時とばかりに山や野良の要らぬ草藪を刈りこむので、
全体が、そう、まるで五分刈り頭状になっているところに、
梅やら桃やら桜やら、はたまた、すももやナシの花も加わって、
ゴウカケンラン!(書けません。トホホ)
珍しく何日も晴天が続いたので、心を煩わせることもなく。
土讃線に乗れば、思わぬ山の中腹にお宮さんがあったり、
そして、その坂に続く道に桜が散っていたり。
唱歌のさし絵のまま!と思われるようなのどかな景色。
日本の春は美しい!と思いました。
「ねがわくば花の下にて春・・・・」をうたう気持ちがポトリとふにおちました。
(ホントはそういう状況の詩ではないようですが)
さてさて、うららかな田園風景とうらはらに、世の中は殺バツとしているようで、
アメリカでの発砲事件のいくつか…とび道具がないと身が守れないと考えている人々は、
今もまだ開拓時代の気持ちで生きているのかしら…。
力で、おどしで、押し切ろうとする姿が情けない、野蛮というか・・・。
ミサイルがとんでくるから避難訓練を!という行政・“上の人”の声がこわい。
こわいこわいという大衆もこわい。
仮想敵をつくり上げる手法がこわい。
北朝鮮という国を知ってない自分もこわい。
なんというか、人を恨む、憎む声が大きく取り上げられ、
“罪を憎んで人を憎まず”の人は小さくなっているような。
そんな作り上げられていく世論がこわいです。
世の中、どこへ流れていくのでしょう?
※ この記事は、NPO法人土といのち『お便り・お知らせ』2018年5月号より転載しました。