会員の丸井一郎です。
食べる日々(2)
今回から数回、
身をもって体験した
飲食生態の多様性=差異を取り上げる。
三十歳前後に
ドイツ連邦共和国(当時の通称「西ドイツ」)に
最初の研究滞在をした。
ライン川沿いのボン(当時の首都)と
デュッセルドルフに
併せて一年以上住んだ。
業界で言語実用論(語用論)と呼ばれる分野の
独日語対照研究に携わった。
事前の準備もあって、
言葉に不自由はなかったが、
実際の場面では色々と
面白くも痛切な体験をした。
いわゆる異文化間コミュニケーションということで、
後に論文や著作にまとめた。
最も予期しなかった異質体験は
飲食生態全般である。
「彼らの当たり前」について
自分(達)が無知であることを痛感した。
日本は明治以来の近代化を通じて、
とりわけ第二次大戦後に、
飲食の分野で欧米化したなどというのは
視野が狭く洞察が足りないという認識の前でたじろいだ。
一方で他者の異質性(具体的な差異)を
十全に追究してこなかったこと、
他方で「食の欧米化」などという概念に
根本的な欠陥が潜在することが痛感された。
で、この分野をも研究テーマとすることになった。
彼らは何をどのように作り食べて
生き延びてきたか、という問いは
他者とその集団を理解する上で不可欠である。
他人のことをちゃんと理解していないと、
自分のことも分からない、
というのが教訓である。
違和感の大きな要因の一つは食材の性質だった。
現地の事情に慣れてからは
基本的に自炊だったので、
穀物、野菜、食肉などの質を
ほぼ毎日検証することになった。
その核心を端的に言えば「固い」と「エグい」である。
先回りして暗示すると、
火山もある急峻な山島で
温暖多雨という日本列島の一般的地理条件に対して、
彼の地は、ほぼ1万年前は氷河の下だった
大陸で冷涼小雨という事情が背景にある。
他の要因は飲食生態の歴史的社会的な側面、
つまり飲食行動に関わる「当たり前」
(何をいつ誰とどのように調理し食べるのが「普通」か:生活形式という)の差異である。
食べる日々(2)
今回から数回、
身をもって体験した
飲食生態の多様性=差異を取り上げる。
三十歳前後に
ドイツ連邦共和国(当時の通称「西ドイツ」)に
最初の研究滞在をした。
ライン川沿いのボン(当時の首都)と
デュッセルドルフに
併せて一年以上住んだ。
業界で言語実用論(語用論)と呼ばれる分野の
独日語対照研究に携わった。
事前の準備もあって、
言葉に不自由はなかったが、
実際の場面では色々と
面白くも痛切な体験をした。
いわゆる異文化間コミュニケーションということで、
後に論文や著作にまとめた。
最も予期しなかった異質体験は
飲食生態全般である。
「彼らの当たり前」について
自分(達)が無知であることを痛感した。
日本は明治以来の近代化を通じて、
とりわけ第二次大戦後に、
飲食の分野で欧米化したなどというのは
視野が狭く洞察が足りないという認識の前でたじろいだ。
一方で他者の異質性(具体的な差異)を
十全に追究してこなかったこと、
他方で「食の欧米化」などという概念に
根本的な欠陥が潜在することが痛感された。
で、この分野をも研究テーマとすることになった。
彼らは何をどのように作り食べて
生き延びてきたか、という問いは
他者とその集団を理解する上で不可欠である。
他人のことをちゃんと理解していないと、
自分のことも分からない、
というのが教訓である。
違和感の大きな要因の一つは食材の性質だった。
現地の事情に慣れてからは
基本的に自炊だったので、
穀物、野菜、食肉などの質を
ほぼ毎日検証することになった。
その核心を端的に言えば「固い」と「エグい」である。
先回りして暗示すると、
火山もある急峻な山島で
温暖多雨という日本列島の一般的地理条件に対して、
彼の地は、ほぼ1万年前は氷河の下だった
大陸で冷涼小雨という事情が背景にある。
他の要因は飲食生態の歴史的社会的な側面、
つまり飲食行動に関わる「当たり前」
(何をいつ誰とどのように調理し食べるのが「普通」か:生活形式という)の差異である。
※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2023年5月号より転載しました。