気象庁の管制センターについて知ったのは
アド街の清瀬の回の時でした。その時はあまり気に留めていなかったのですが、
昔の無線施設について調べていると、どうやら
海軍・大和田通信隊と関係していることがわかりました。
「くるめの文化財」というPDF(2015年11月)に詳しく載っているので、
スクショ画像を掲示しておく
以前取り上げた米軍の大和田通信所も、
もとは海軍大和田通信隊の敷地であって
現在、気象庁の衛星管制センターの場所は副受信所(分室)だったようです。
今昔マップ
昭和20年 アンテナのマークは確認できますが、
軍事秘密のためか、何の施設かは書いていません。
昭和40年 気象通信所になっていますが、アンテナのマークが
今よりも多く、敷地も広かったようです。
神山公園・清瀬第五中学校のあたりまで。
では撮影した写真
センターのある通りは
気象衛星の名前からとったのか「ひまわり通り」と命名されている。
神山公園側からセンター全景
通用門(公園側)
バスも通っています。バス停前から門
門とドーム型アンテナ
アド街の清瀬の回の時でした。その時はあまり気に留めていなかったのですが、
昔の無線施設について調べていると、どうやら
海軍・大和田通信隊と関係していることがわかりました。
「くるめの文化財」というPDF(2015年11月)に詳しく載っているので、
スクショ画像を掲示しておく
以前取り上げた米軍の大和田通信所も、
もとは海軍大和田通信隊の敷地であって
現在、気象庁の衛星管制センターの場所は副受信所(分室)だったようです。
今昔マップ
昭和20年 アンテナのマークは確認できますが、
軍事秘密のためか、何の施設かは書いていません。
昭和40年 気象通信所になっていますが、アンテナのマークが
今よりも多く、敷地も広かったようです。
神山公園・清瀬第五中学校のあたりまで。
では撮影した写真
センターのある通りは
気象衛星の名前からとったのか「ひまわり通り」と命名されている。
神山公園側からセンター全景
通用門(公園側)
バスも通っています。バス停前から門
門とドーム型アンテナ