綾瀬市議・上田博之のあやせタウンWebニュース【ブログ版】

神奈川県綾瀬市政の動きを縦軸にしつつ、
横軸は四方八方に広がります。
綾瀬市会議員 上田博之(日本共産党)です。

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◆医師不足問題を考えるときの覚書

2008年11月07日 | 政治を考えるヒント
  ちょっと前の新聞をひっくり返していたら、日本の医師数がなぜ減ったのかを考える資料が出ていましたので、その一部を覚書として記しておこうと思います。

  日本の医師の数は、1970年代くらいまでは、OECDの国々の平均と大差がありません。たとえば、1970年には人口10万人あたりの医師数は、日本が110人に対して、OECD平均は120人です。それが、現在は、日本が200人に対して、OECD平均は310人です。どうしてこんなに差が広がってしまったのか・・・・。

  その鍵は、日本政府、つまり自民党の政策にありました。自然に医師数が足りなくなったのではなく、意図的に増やさなくさせられてきたのです。

  その政策とは、
1982年  医師数抑制を閣議決定
1986年  「1995年を目途として医師の新規参入を最小限10%程度削減する必要がある」と厚生省検討委員会
1993年  医学部入学定員が7725人に。86年から7.7%減。
1997年 引き続き医学部定員の削減に取り組みことを閣議決定。
1998年 新規参入医師の削減を進めることを厚生省検討委員会が提言。
2004年 新臨床研修制度が始まる。

 先日、避難所運営委員会でも、綾瀬市の救急医療体制や産婦人科の体制について不安の声がだされていました。

 2007年2月に発表した政策、「深刻な医師不足を打開し、「医療崩壊」から地域をまもる日本共産党の提案」もごらんください。


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◆国民健康保険証を取り上げない自治体が551市町村に前進

2008年11月04日 | 政治を考えるヒント
  国民健康保険税(料)を1年以上滞納すると保険証を取り上げて、「資格証明書」を発行することを市町村に義務づけるひどい法律があります。

  保険税を滞納する世帯は、そのほとんどが保険税を納めたくても、生活が苦しくて納められない世帯です。ですから保険証を取り上げられて「資格証明書」になると、病院の窓口で医療費の10割を払わなければならなくなるので、病院に行く必要があるのに行かなかったり(受診抑制)、ほんとうはまだ通院しなければならないのに行かなくなる(治療中断)などの問題が発生しています。

  綾瀬市でも100~130くらいの世帯が保険証を取り上げられています。私は議会のたびごとのようにこの問題を取り上げ、命を削る保険証の取り上げはやめるように市に求めてきました。

  10月30日に厚生労働省が発表した「資格証明書の発行に関する調査」によると、資格証明書を発行していない自治体は、全体(1798)の3割にあたる551市町村であることがわかりました。

  政令市である広島市では、約8000世帯に資格証明書を発行していたのですが、共産党議員団や住民の運動で、市が「悪質滞納者だけに限定して発行する」と表明し、今年の5月には発行数がゼロになったということです。

  実は綾瀬市も、市は「悪質滞納者だけに限定して発行する」と言うところまではきているのです。それなのに、100世帯以上が取り上げられています。綾瀬市には悪質な方が多いということでしょうか?  そんなことはないはずです。しかし、ここのところが個人情報の保護などが壁になって、取り上げの実態を調べきれないでいます。

  みなさんのお近くで、保険証を取り上げられて困っている方がいらっしゃいましたら、教えていただけませんでしょうか。

  なお、このひどい法律は、1997年の国民健康保険法の改正(改悪)でつくられました。賛成した政党は、自民、民主、社民の各党です。

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◆ダイヤモンド婚を祝す

2008年11月02日 | つぶやき
  妻の両親のダイヤモンド婚(結婚60周年)を祝いました。

  60年前といえばあの第二次世界大戦が終わって、新しい憲法ができた直後です。
  焼け跡の混乱の中から復興の息吹が広がっていった時代。
  青春時代を戦争と軍部の圧政の中に生き、戦後の食糧難に耐え、貧しさの中から一つ一つ家庭を築いていった両親。

  私はまもなく50歳になりますので、60年の歳月の6分の5は、私の生きてきた時代と重なるのですが、しかし、最初の10年の重みが違うように思えました。高度経済成長前の日本は、今の日本とは違う国のような気すらしてしまいます。

  高齢者をいたわるのではなく、ムチうつ日本という国がなぜつくられてしまったのか。そんなことも考えてしまいます。

  次は、75周年の「プラチナ婚」だそうです。プラチナ婚にむけて、一年一年を大切に、そして長生きをしてほしいと思います。

  写真は、会場のホテルが「サプライズをご用意させていただきました。」と、用意してくださいましたウエディングケーキです。このあと、60年前の結婚式ではなかったケーキカットが行われました。すてきなホテルの配慮に感謝です。

  ちなみに、60年前のヒット曲は、
1948年:東京ブギウギ、異国の丘、憧れのハワイ航路
1949年:青い山脈、銀座カンカン娘、夏の思い出、長崎の鐘、悲しき口笛  です。

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