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画像向かって右の「一分間臍密功:ヘソ気功」という本は、画像向かって
左の「敦煌臍密功」という中国語の本の邦訳本です。
この「ヘソ気功」というものについて、
「古き仏都:敦煌の石窟中のあまたの臍が際立つ仏像を淵源とし、
仏教・道教・儒教の中国思想、また医学思想にひそむ生命科学の
粋を吸収すると共に、内外の気功学の長所を取り入れて編み出された気功」
と解説されていますが、内容は日本で一般に想像されるような、身体を動かして
意識を用いる気功とは少し違い、どちらかと言えば仏教信仰を持って
マントラや経文を唱えて瞑想するといったイメージの方が近いかもしれません。
様々な種類の興味深い気功が紹介されていますが、中国語の訣を唱える、
般若心経を唱える、漢方薬をブレンドして服用する功なども含まれており、
特に日本人にとってはこの気功の合・不合、好みが個人で大きく別れるようにも
感じます。
邦訳本の方では解説と功法部分だけが掲載されていますが、原本では
沈さんの胃病が治癒したとか、王さんの偏頭痛が快癒したとかの、気功実践に
よって得られた治癒の報告や、特定の疾患に対する対処法などが掲載
されています。
また邦訳本の表紙画は原本の内表紙の絵ですが、原本の表紙画では
少し日本的な感覚と違い、そうした配慮のためかもしれないと感じました。
この気功の一連の紹介の最後に、最も異色の「大悲加持課」というものが
あります。
これなどは中でも最も勤行とかといったイメージのもので、「観音十大願文」や
「般若心経」、念仏や陀羅尼を唱えて手印を結び、観想する事を繰り返すもの
ですが、邦訳本だけでは行えないようになっています。
なぜかと言えば、翻訳者が「あまりにも特殊なものであるので、経文など
一部を省略して紹介する事にした」として、一部の真言などが割愛されている
ためです。
この「大悲加持課」の目的は「気五通を土台にして、六神通を実現し、
阿弥陀仏や観世音菩薩の姿で己の身を加持する事」であるとされ、
わざわざ
「この功はそれなりの素養を持ち、是非修めてみたいと願う者に対してのみ」
と書かれています。
画像向かって右の「一分間臍密功:ヘソ気功」という本は、画像向かって
左の「敦煌臍密功」という中国語の本の邦訳本です。
この「ヘソ気功」というものについて、
「古き仏都:敦煌の石窟中のあまたの臍が際立つ仏像を淵源とし、
仏教・道教・儒教の中国思想、また医学思想にひそむ生命科学の
粋を吸収すると共に、内外の気功学の長所を取り入れて編み出された気功」
と解説されていますが、内容は日本で一般に想像されるような、身体を動かして
意識を用いる気功とは少し違い、どちらかと言えば仏教信仰を持って
マントラや経文を唱えて瞑想するといったイメージの方が近いかもしれません。
様々な種類の興味深い気功が紹介されていますが、中国語の訣を唱える、
般若心経を唱える、漢方薬をブレンドして服用する功なども含まれており、
特に日本人にとってはこの気功の合・不合、好みが個人で大きく別れるようにも
感じます。
邦訳本の方では解説と功法部分だけが掲載されていますが、原本では
沈さんの胃病が治癒したとか、王さんの偏頭痛が快癒したとかの、気功実践に
よって得られた治癒の報告や、特定の疾患に対する対処法などが掲載
されています。
また邦訳本の表紙画は原本の内表紙の絵ですが、原本の表紙画では
少し日本的な感覚と違い、そうした配慮のためかもしれないと感じました。
この気功の一連の紹介の最後に、最も異色の「大悲加持課」というものが
あります。
これなどは中でも最も勤行とかといったイメージのもので、「観音十大願文」や
「般若心経」、念仏や陀羅尼を唱えて手印を結び、観想する事を繰り返すもの
ですが、邦訳本だけでは行えないようになっています。
なぜかと言えば、翻訳者が「あまりにも特殊なものであるので、経文など
一部を省略して紹介する事にした」として、一部の真言などが割愛されている
ためです。
この「大悲加持課」の目的は「気五通を土台にして、六神通を実現し、
阿弥陀仏や観世音菩薩の姿で己の身を加持する事」であるとされ、
わざわざ
「この功はそれなりの素養を持ち、是非修めてみたいと願う者に対してのみ」
と書かれています。