宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

歳月の物語

2008年06月14日 | Weblog
(画像はクリックされましたら拡大します。)

少女雑誌「マイバースデイ」の妖精シリーズ(画像向かって左)
を読んで育ったわたくしは、それが当然世界の妖精の姿形の標準
であると思っていました。

そうして中学生ぐらいになってから西洋の妖精について書かれた
本などを読むようになって実際との違いに驚き、「妖精の多くは
日本的な表現では妖怪というものの方に近い」という事を感じました。
(画像向かって右)

また妖精シリーズの方では「心を美しく保って、そして妖精の存在を
信じていればいつか会う事が出来る」という説明でしたが、
西洋の報告や伝承では妖精は時に人間にとって迷惑この上ない
イタズラをしていくとか、大変気まぐれであるとかで、「妖精を
避けるための工夫」も多かったという違いにも驚きました。


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それほど遠くない昔、荒野の向うで一人の老婆が庭園を持っていた。

真昼の太陽が照りつける間も老婆は花の世話をした。
老婆は特にチューリップを愛で、花が大変綺麗に咲いていたので、
近所の小妖精もこの庭園を気に入った。
そして真夜中に花壇から妖精の子守唄が聞こえるようになった。

人間の庭が妖精の国から注目を浴びるのは決してささいな事ではない。
小妖精はチューリップが好きでたまらなくなり、手を置いて妖精だけが
知っている秘密のやり方で祝福した。
その時からチューリップはますます美しくなり、ラベンダーが恥じ入り、
バラが頭を垂れるくらい、例えようの無いほど素晴らしい香りを放った。

老婆は命の短い花を我が子のように慈しみ、1本たりとも決して
摘み取らなかった。
そのため小妖精はこの素晴らしい花壇に留まり、老婆の事も快く
思っていた。

それから何年もして老婆が亡くなると、荒野のはるか向うから別の
民がやって来て、老婆の家で暮らし始めた。
そして愚かにも、花など何の役にも立たないと思い、チューリップを
引き抜いて代りにパセリを植えた。

勿論小妖精が喜ぶわけがなく、指先に敵意を込めてパセリに手を置いた。
するとパセリはすぐに根元から枯れ、翌朝までには他の花壇の植物も
全てしなびてしまった。

庭園には何も育たなくなったが、一方で老婆の墓は楽園だった。
しばしば墓地から音楽が聞こえるようになり、一年の決まった夜には
妖精が葬送歌や哀歌を歌うと広く知られるようになった。
老婆の墓には1本の雑草も生えず、いつも青々として良い香りが
漂い、そして春になると誰が植える事もなく、墓の周りにチューリップが
咲いたという。

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