宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「三人寄れば……」

2008年06月07日 | Weblog
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この法印に関する記事の中で、「人間の意識と組織」に関する事が
書かれており、個人的にそちらには少々関心を抱いた次第です。

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組織はそれ自体が意識を持っている。
上は国家から、下は家族まで、人が3人以上集まると、そこには
別の意識体が生まれる。
これが「妖魔」の正体だ。

集団の意識と自分の意識が一致する場合、一心同体で上手くいく。
しかし油断していると、組織はそれ自体を存続させるために、
人の意識を乗っ取ろうとする性質がある。
そんな時、妖魔は「恐怖」を使うのだ。
リストラ、仲間外れ、煩雑な手続き、異常な規則……誰も望んで
いないのに、どの組織にもこうしたものは生まれてくる。

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「妖魔」が組織に生ずる別の意識体のみに限定されるかはともかく、
この「集団」というものに関する考察を興味深く思いました。

以前「宗教団体というものが大きくなると、宗教の本質を追求する事
よりも、組織の形式や維持拡大の方に力を注ぐようになり、結局宗教は
形だけのものになってしまう」といった言葉を目にした事がありますが、
個を犠牲にして組織の維持力・動力にされたり、個人の力を上部の人間に
吸収され利用されるという形になる事は決して珍しい事ではないと思います。

特に宗教や精神世界に関する組織・団体に属している場合、
自分自身に対するこうした冷静な観察が必要かもしれません。
そして自分が上部の人間や組織の単なる養分に過ぎず、力関係の
中で恐怖や強制力によって自分を抑えられていると感じるならば、
離れるという選択が賢明かもしれません。
例え「グル(導師)は神」だとか、「この団体が正統派」とか
いう宣伝であっても。

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