宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「ノーシスにおいて唱えられる祈祷文」

2009年01月14日 | Weblog

(画像はクリックされましたら拡大します。)

ノーシスの続きです。

ノーシスの、特に性エネルギー昇華法に焦点を当てて紹介された
本の中で、ミゲルさんは80年代にこのようにも書いておられました。
現在から見ると、その展望と希望は大きく裏切られてしまったような
感は否めませんが……。

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日本の人々は本来、儀礼や祭儀を重んじる素晴らしい神秘主義
(ミスティシズム)を宿している。
そして、日本は神秘に満ちた国であり、それ故にこの神秘の
公開の意義を直感し、自分自身と周りの人々のためにそれを
活かすということをするだろう。

日本が社会的、科学的、哲学的に実現する事は、アジアの
国々もそれに倣うということも忘れてはならない。
なぜなら古の時、日本はインド、中国などの国々から神秘を
授かり、今は彼らの方がその果実と神秘の近代化を待って
いるからである。

私は日本人がその進歩向上の為に見せる熱意と、協力的な
国際社会の実現に対する願いを観察してきた。
だからこそ、日本がそれら全てを実現する力があると確信して
いる。

さて、「神秘(ミステリー)」というものは、実際一冊の本を読んだり、
それが公開されたというのみで理解できるものではないことを
考慮することは重要である。

知っただけでなく、それを創造的に実践し、日一日とそれを生き、
かみくだきながら一歩一歩進む事が必要である。

神秘には数多くの面と数多くの見地がある。
だから、「神秘」を体得した人物は、底知れない深い知恵を持つ
マスターとなる。
神聖な神秘とは、それほど深遠なるものだ。

従って、今こうして性の神秘の扉が開かれたとしても、どこまで
足を踏み入れるかは、読者一人ひとりの熱意と根性による、
という事を明記しなければならない。

性ホルモンを光の崇高なエネルギーに昇華する事を理解し、
実行して初めて他の宇宙の神秘へと続く扉を見出す事が
できる。

なぜなら、性は全ての神秘の最初の扉であると同時に、
自己実現と完全な自由へと至る最後の扉でもあるからである。

そうでなければ人類はただ性の奴隷に過ぎず、古代ローマ帝国や
古今東西の多くの文明が示してきたように、退廃と失敗から
逃れることはできない。

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以下ノーシスにおいて唱えられる祈祷文の一部です。

ノーシスはカトリック教の要素も多く取り入れられ、カトリック教の
「主の祈り」「アヴェ・マリア」「使徒信経」の祈りも頻繁に唱えられますが、
一部教会とは異なる言葉が挿入されている箇所もあります。

以下ノーシスにおいて唱えられる、「主の祈り」「アヴェ・マリア」
「保護を願いて」の祈りです。

日本語に訳されていない祈りは、わたくしが翻訳させて頂きました。


………


【主の祈り】

天にまします我等の父よ、願わくはみ名の尊まれんことを、み国の来たらんことを、
みむねの天に行わるる如く 地にも行われんことを。
我等の日用の糧を 今日に我等に与え給え。
我等が人に赦す如く 我等の罪を赦し給え。
我等を試みに引き給わざれ、我等を悪より救い給え。 アーメン。


★この祈りは、我等の主キリストが後世に残したものであり、道の帰依者が
「いと高き所」の神の恵みを求められるよう、七つの聖なる祈願を含んでいる。

ノスティックは、聖なる父の「みむね(意思)が天に行わるる如く、地にも」
行わなければならない。

しかし一般に人間は、自分達の意思を、即ち反対の事を神が行うよう、
神を呼び求め、そして祈る。



【アヴェ・マリア】

めでたし聖寵満ちみてるマリア、主御身と共にまします。
御身は女のうちにて祝せられ、ご胎内の御子イエズスも祝せられ給う。
天主のおん母ラーミーオー、罪深い我等の為に、今も、エゴの死の時も
祈り給え。 アーメン。


★イシス・アドニア・インソベルタ、アスタルテ、マリア、マーヤー、
海の乙女、そしてノスティックの間では、ラーミーオー。

すべてのノスティックは、この祈りと「主の祈り」を、就寝前や危険に
瀕した時に行うとよい。



【保護を願いて】

いと聖なるマリア、敬虔なるみ母よ、
御身の外套(がいとう)にて我等を覆い給え。
神性なる十字架よ、イエズス、ヨアキム・ヨハネの三つのみ名によりて、
御身の保護を願い奉る。

………




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「民主党の正体」
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/159.html#id_acf45b93

沢山の動画が掲載されています。
「試しにやらせてみよう」という主張が、どれほど危険であるかという事を
教えられています。
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