日々 ラクシュミー女神に礼拝や供養を捧げて誦してゆくうちに
美と豊かさが授けられるとされます。
★「オン・シュリーム・アーム・フリーム・サー。」
以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
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叔父が大学時代、南方戦線の遺骨収集帰還のボランティアやってたよー。
叔父はまったくそういうの信じない人で、
夜中、ジャングルの中から軍歌とか日本語のヒソヒソ声が聞こえるたびにズカズカ突っ込んでいくので、
現地人から「クレイジージャパニーズ」って言われてたらしいw
叔父が言うには、霊になると細かいことを忘れちゃうらしく、
自分の部隊がなんだったとか、何県何市だとか言えなくなるんだって。
その代わり、近所がどうとか、子供のころどうだとかいうプライベートな話ばかりになり、
「霊はあてにならない」って叔父はプンプク怒っていたけど、
それでも直接交渉で何体かは身元が割れたらしい。
あと、「日本はどうなりましたか?」と聞いてくる霊が多く、
「みんな豊かになりました、豊かすぎです」と言うと、
「それはよかった」と安心して消えちゃうんだって。
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大学生時代に遺骨収集のボランティアに参加した事あるよ。
夜になると風もないのにザワザワと木々が騒がしいんだよね。
一緒にいた財団のYさん(財団だったかどうか覚えてないけど、
当時財団のYさんとかMさんって言ってた覚えがある)が「同じ日本人が来たから喜んでるのかな」って。
俺は「こんなへたれた現代っ子の俺みたいな奴が来てもうれしいもんですかね?」
なんて会話したのを覚えてる。
今は女性も参加してるけど、あの頃は他にも学生のボランティアはいたけど、
みんな浅黒く日焼けしてガタイいい人ばかりだった。
俺は背こそ高いけど、
ひょろっとしてていかにももやしっ子みたいだったから、なんか場違い感があった。
肉体労働ってほどではないんだけど、
確かに暑いしきついし見たことないような虫はいっぱいいるし、
都会のもやしっ子の俺には結構大変で、普段の不摂生を呪いまくった。
こんなだったら法学部じゃなくて考古学部にすればよかったよ、
今後はバイトは土方だなとかって他の学生ボランティアとも冗談飛ばしあってた。
まぁそんなこんなでトラブルに遭う事もなく無事帰国したんだけど、
Yさんとは結構仲良くなって、
「東京に住んでるんだよね?どうせなら最後まで付き合わないか?」と言われて、
千鳥ヶ淵での引き渡し式にも参加させてもらう事になった。
(今はどうなんだろう?当時は全員は参加しないで、
遺族会の人とかボランティア団体の代表とか主だった人達だけだった)
当日、式の最中に悲しくもないのに涙が溢れてきて、
嗚咽から号泣へ、鼻水まで出てきてポケットティッシュだけじゃ間に合わなくなって
収拾つかなくなってきたら、
見かねたらしい遺族会のおばさんが休憩室みたいな所へ連れて行ってくれた。
そこでも涙も鼻水もが止まらなくて、
「どうもすみません…エグッ…エグッ…グズン…なぜか涙が止まらなくて…ブビーンッ…」って言ったら、
「大丈夫ですよ、良くある事だから。あなた若いし優しそうだからきっとみんな頼っちゃったのね。
たくさん連れて帰って来てくれたのね、ありがとう」って言われて、そこでもう感極まって大号泣した。
式が終わった頃にYさんが心配して様子見に来てくれたんだけど、
「大丈夫かい?○○君、いやぁ、みんな喜んでくれてたよ。
これに懲りずに君には是非また参加して欲しいなぁ」って、
え?みんなってどのみんな?っていう一言があったw
後から聞いた話では、このYさん、結構見える人らしい。
「怖がるかもしれないからと言わなかったけど、
帰国の時にも○○君の背中に何人も乗ってるのが見えてた」と言ってた。
他のメンバーの人たちの背中にも乗ってたらしい…
俺には何も見えなかったし何も感じられなかったし、肩が重いとか一切なかったんだけどなぁ、そんな事ってあるのかな。
こんなひょろい背中でよかったらと結局懲りずに在学中は何回か参加させてもらった。
だけど、寂しい事に(?)不思議な体験はこの最初の一回だけだった。