組織が成熟してくると、経営にはどうしても内向きの力がかかり、企業の存在価値である顧客創造から外れた行動をとるようになる、というのはピーター・ドラッカーの言葉だ。
この言葉から想像されるのは、伝統的、安定的な老舗企業のような組織だ。しかし、実際には比較的若くて小さなところであっても、内向きの傾向を示す組織というのは存在する。
僕自身、これまで実際に悩まされてきた。なぜこのような傾向がおこるのだろう。
一つ考えられるのは、その組織の母体となった組織が、内向き、硬直的である場合だ。大組織の子会社、外資系企業の在日法人などは、法人格は別でも人的には大組織の一部なのだから、ある意味では当然なのかもしれない。
でも、結構どこもこれに悩まされている。母体組織の優れた伝統を広めることと、現場に溶け込み柔軟に対応することとを両立しないとならないから、現場のものは非常に悩まされるのだ。
もう一つ感じていることは、組織の人そのものが既に、あるいは資質的に内向きである場合だ。
わかりやすいのは大企業出身の社員が、新たに設立した会社で従来のやり方を踏襲すること、つまり大企業病だが、これはお互い見つけやすいし、自分でも注意ができるので、案外大きな問題にはならないかもしれない。
自分の身の回りの人のことばかり気にしている人が、組織の重要な地位にいると、組織全体がそれに引きずられて内向きになりやすい。こういう人は概して、それに同調する、自分と似た人を近くに引き寄せるので、組織内が同質になりやすい。
大企業病というのではなく、経歴や才能が普通と異なっている人。ある種の才人。こういう人が、組織を動かそうとすると、時に自分の流儀と組織との兼ね合いに足をすくわれてしまい、周りが見えなくなることがある。
困るのは、こういう人は外部と接触しても、自分流のフィルターを通して普通と違う解釈をしてしまい、余計に世間離れしてしまったりする。自分では世の中のことを直に見聞していると思っているから、周りがそれをチェックすることもできない。
このタイプの人はトップには向いていないのだが、そうでなくても苦労することが多いようだ。確かドラッカーの著書でも、別の形で触れられていた(「優秀なビジネスマンが、転職先で成果を出せない。それは組織に求められていることをするのではなく、今までやってきたことと同じ仕事をしようとするからだ」)。
女性が、などというと昨今すぐ批判を浴びせられてしまいそうだが、傾向として女性の管理者は内向きになりやすいところがある。いわゆるmeddlesome old woman、世話焼きばあさんという言葉があるが、よく言えば組織を完全にコントロールしようとしすぎる、ということか。もちろん、男性にも細かい人はいるし、僕自身もバランスのとれた尊敬すべき女性の上司たちと仕事をしてきたことがある。
内向きの組織の人たちに、自覚症状はあまりないようだ。外から入って来た人は、順応できる人と次第に拒絶反応が酷くなってくる人とにはっきり分かれる(はじめから受け付けない人はそもそも入ってこない)。
どこかの時点で切れてしまって、外に飛び出す人もいるし、苦しみながら長く居続ける人もいる。実際どうなのかは知らないけど、僕の感覚ではヤクザの人たちの社会に近いのではないかと思う。まあ、外に飛び出せば、そいつは裏切り者、ということだな。
先に書いたように、企業規模の大小や、歴史にかかわらず、内向き組織は多く、大成功はしないにしても、淘汰はされにくいようにも思える。そこにはむしろ、生き残れる何らかの強みすら感じる。
ドラッカー的には、内向き組織は淘汰されるべき存在なのだろうけど、現実問題としてはそういう組織で生涯を送る人も多いし、それに満足している、あるいは 表向き不満がないようにしている人も多いと思う。よく考えると日本全体が内向きなのかな、とも思えてくるが、話が広がってしまい過ぎるので、それは置いて おく。
と、思ったけど、思考は止められない。やはり社会が内向きなら、その構成員である我々も、ある程度内向きの組織を容認するほうが、合理的なのかな・・。
だんだんわからなくなってきた。