このブログは3年前の4月末に始めたが、その少し前に、僕たちは地震という大きな試練に直面している。
今まで、個人的に知人に物を送るなどの支援はしたものの、被災地を訪れて支援活動をするなどはしたことがなかった。
今回所用で訪れた街も、大きな被害を受けた。その町を、震災後初めて訪れた。
3年を経て、短時間通りすがっただけの旅人の目には、あの時のことを思わせるような跡は特になかった。
街道沿いのチェーンレストランは、東京付近で見るそれと、何も違うところはない。店員さんもごく普通のかわいらしい女の子だったし、後からやってきた若いサラリーマン風のお客が、仕事の打ち合わせをしようとする風景も、見慣れた日常的な風景で、全く誰の注意を引くものでもない。
花屋には母の日のためのアレンジが所狭しと並んでいた。高速路線バスでは、偶々一緒になった運動部らしい大学生と、どこか別の大学の老教授が、話に花を咲かせていた。これは東京などではちょっとお目にかかれない風景だろう。都内で知らない老人から話しかけられたら、学生たちは変な顔をして黙ってしまいそうだ。
別の場所では、恋人なのか、職場かどこかの同僚なのかわからないが、男性が女性に、FX取引の手ほどきをしていた。
こうした会話も、普段の人たちが交わす、ごく普通の会話に過ぎない。
違うのは現地の人と話していくと、さりげなく今もまだ仮設に住んでいるということや、持ち物を皆流された、ということが、次第にわかってくるという点だ。
それとても、僕たちがよそ者だから話してくれたことであり、仲間うちでは話にのぼることでもないのかもしれない。