この週末で、今年の桜は見納めとなった。ソメイヨシノは基本的に同じ種のクローンらしく、一斉に咲いて一斉に散る。
もっとも、チューリップだって同じ時期に植えれば同じころ花をつける。自然というのは不思議なものだ。
周りを見回すと、この子だけは少し遅れて咲き始めたようだ。まだきれい。
街で見かける桜は、ほぼ全部が人がそこに植えたものだ。街や、そこに住む人とともに育ち、花を咲かせ、そして老いていく。
この界隈に住み始めたのは27年前の3月だった。越してまもなく桜の季節になったが、道を歩くと古い民家の庭から、大きな桜が枝を伸ばして花のトンネルを作っているところがいくつかあった。公園の桜とはまた別の趣で、通るたびに上を見上げては息をのんでいた。
戦前の、ある程度経済的に余裕があり文化的、教育的にも洗練されたような人たちが、家を建てるときにこうした桜を植えたのだろう。それから70年だか、80年だかわからないが、最初に家を建てた人たちも、これほど立派な巨木になるとは想像していなかったことだろう。
しかし、その、僕が若い頃見上げた桜のいくつかは、今ではもう見ることができなくなっている。
桜の樹そのものが老いて、枝先が枯れたり、苔が付着したりして衰弱していく。往来の多いところでは、四季を通じて枝が落ちてきたり、風の日には葉が落ちて滑りやすくなり、事故を招くこともある。人工的に植えられた樹は、その晩年においても人の手を借りて生涯を終えることが多いようだ。
2003年4月。緩やかな下り坂の向こうに踏切があり、その手前に道の両脇から桜の木がトンネルを作っていた。
当時400万画素のコンデジ(Nikon Coolpix 4300)で撮影したが、手ぶれ補正もないのに、案外きれいに撮れてるな。。
2008年4月。普段は何気なく通り過ぎる街が、この時期だけ急に変貌する、というのが桜の醍醐味ですね。
この姿がいつまで見られたのか、正確なところはわからない。普段何気に通り過ぎてしまうのは、そこがごく普通のたたずまいをしているからであり、花がなければ気にも留めない。この時期に花が咲いていなければ、そこに桜の樹があること自体を思い出さない。
手許のアルバムで最も最近の写真は、2011年4月10日(日)のものだ。自分のメモを見ると、この日は統一地方選、東京は石原4選、とある。震災後、散らかっていた部屋の片づけが終わっていない。気が付けば外は桜が満開、ということでカメラを持ち出したらしい。節電ムード、自粛ムードの強かった時期だが、別の写真には公園でくつろぐ人々の姿も映っている。
そして今、片側の桜は残っていない。どうやら家のリフォームか建て替えをして、その際に伐採したのかもしれない。
反対側は枝を大きく切られて残っている。花はわずかにつけているが、もはや往時のような姿には戻れないのだろう。
ペン殿のお墓引っ越しのときには行けなかった、神社にお参りに行ったのだが、帰りに通りがかった、ある駅の駅前広場。
2本の桜が枝を広げていた。由緒は全く分からないが、もしや鉄道開業のときに植えられたのだろうか。だとすれば樹齢は90年ぐらいだったことになる。
写真をご覧になればわかるように、今はもう残っていない。この2月に伐採されて、新しい若木が植えられている。
あと30年もすれば、桜盛り?を迎えて人々の目を楽しませてくれることだろう。そのころまで、こっちも元気でいなきゃ。
写真奥に見える更地はかつて古めかしい万屋のような店だった。こちらの建物も撤去され(結構長いけど)、また新しい建物が建てられるのだろう。
桜ではないけど。
先日家の前でお向かいの方と立ち話をしたとき、あのチューリップのプランター、引き取りますから置いていってください、花かわいいですから。。と言われた。
確かに、葉っぱはかなり伸びているのだが、球根を植えたのはおととしで、去年は根あげもせずにいたのね。ので、花が咲くかどうか。。
その時はどうぞ、といったのだが、やはり気になって、チューリップのないほうのプランターに新しい花を植えた。これで有終の美を。。
我が家の二階からお向かいの家を見ると、今頃はちょうどハナミズキが咲き始めるころだ。今年はこちらも少し遅いみたいで、引っ越しまでには見られないかもしれない。うちのほうはまた、棕櫚の樹がカズノコみたいな花をつける。すっかり伸びてしまって、2階の窓からも見上げるような位置にあるが。これを見ると自然の営みのたくましさを、毎年思い起こさせてくれた。こちらも見ることなくさようならかな。