一応転居が終了した。
実のところ、転居先の地域には、住まなくなるだけで、今後も頻繁に往来する。
また、転居先の地域は全く新しいところではなく、こどもから大人になるまで住んでいたところと同じ地域だ。
いまも実家があるので、頻繁に訪れている。
生まれた場所と、その後しばらく過ごしたところはその中間ぐらい。なんだか、狭い地域を行ったり来たりしている人生だな。。
いままで、元の家に向かって電車に乗るときは、当たり前だが「帰宅」していたわけで、家に近づくにしたがってホッとした感じが強くなっていった。
車で行くときのほうがその傾向が強いかもしれない。この角を曲がって、街路樹のある通りが見えてくると間もなく家だな、みたいな。
他方、元の家から、転居先に近い実家に行くときは、これは「出かける」という感じになる。ふるさとに帰る、という感じにならないのは、距離的に近くて頻繁に訪れているためと、街がそれなりに変わっていき、昔の面影が失われつつあるからだろう。じぶんにとっての故郷は’70年代のここであり、それは今ではじぶんの心の中(と、往時を分かち合う仲間たちの心の中)にある。
これからは、元の家方面に行くときは「出かける」ことになり、転居先に向かうときは「家に帰る」ことを意味する。これも当たり前だが。
当たり前なのだが、その辺の感覚は自分の中で、どう消化されているのだろうか。
今のところ、まだそこはわかっていない。
引っ越し当日は、業者さんが一気に運び出してくれて、こちらは貴重品と鳥たちを連れてあたふたと出ていかなければならなかった。
翌日、残された荷物を整理に行ってきた。
この写真は比較的落ち着いた感じだが、場所によっては嵐の後のような状態になっているところもあった。
ただ、逆に言うと、多少掃除すればまた住めるような状態でもあったのだ。
カーテンとかも残してあった。一時的に転居先でつかうため、部分的に外しもしたが、代わりに付け替えるようなこともしていた。
壁に飾った写真とかも、そのままになっていた。どれも10年以上前に飾ったものが多く、壁の染みと化していた(剥がすとき、画びょうがさびて取れないものが多かった)
机がそのまま残っている。反対側には本棚も、本のない状態で残っている。
「昭和40年代、都市近郊の一般住宅の様子」として、展示されている部屋のようだ。
この家は間もなく解体される。そのときは業者が重機で家ごと破壊して、家具なども産業廃棄物として処理されることになろう。
次に誰かが住むわけでも、使うわけでもない。
だから、埃だらけでも、使用可能状態で家具が置いてあろうとどうでもいいはずだ。
だが、それは個人的にはどうしても許せなかった。
ひとつには、19年住んだ家に、せめてもの感謝の気持ちを示したかったこと。
もう一つは、このまま「使える」状態で家を残すと、自分に「家に帰ることができる」みたいな未練を残しそうな気がしたこと。
だから、できる範囲で掃除をして、家具などは片隅に片づけることで、ひとつのけじめをつけようと思った。
19年前の初夏、購入のため初めてこの家を見たときは、こんな感じだった。
その時住んでいたのがマンションだったので、なんとなく頼りない、なよなよした作りの家だな、という印象を受けた。
昭和40年代半ばの建築で、当時なりのモダニズムを感じさせる。人には「のび太君の家にそっくりだよ」とよく言っていた。もっとも、アニメの設定などではうちよりずっと間取りが多くて、大きな家なのだそうだ。天井の作りが部屋ごとに、船底型や2段になっていたりと、かなり凝っていた。
昭和47年2月 登記
平成29年4月 登記抹消
来月中旬には更地となり、新しい綺麗な家が再築されることになる。あの家もまた、再生し新たな歴史を刻んで行く。
今日も最後の整理に訪れたが、ドアを開けると、住んでいたころとは違う、埃っぽいような匂いがしていた。
今は転居先(以後現宅または家と呼びます)の整理に忙しい。今日は家具をまとめて買った。これが来るのが来月連休明けだ。やるべきことは山積している。